<桐神蓮子>
ぴぴぴぴ……耳障りな電子音。桐神蓮子が目覚めてまず見たのは、自分の吐いた白い息だった。
蓮子が今いるのは、会場の中央部、丘の中腹にある洞穴の中だ。ごつごつとした岩肌で、地面は苔むしていた。
この近くにCスポットがあるが、今は禁止エリアに設定されている。
寝袋に包まったままごそごそと手を動かし、腕時計に月明かりを当てる。
夜中の3時半。
まだ夜明けには早い。着込むだけ着込んでの寝袋の中だが、とにかく寒かった。
電子音の正体は、腕時計の目覚ましタイマーだ。表示板の側面についたボタンを操作し、音を止める。
「凍死せずにすんだと喜ぶべきかな」
皮肉げに言い、寝袋に入ったまま身体を起した。
寝袋から出るとさらに寒さがこたえた。
剥き出しの岩に手をぶつけないよう気をつけながら、伸びをする。
一重の切れ長の瞳に、能面を思わせるつるりとした細面。肌は白く透けるようだ。艶のある黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。
制服の上からセーターを着込み、さらに白いダウンコートを羽織っている。
銀縁眼鏡をかけると視界がはっきりした。
滝口朔の姿はない。情報交換の後、彼とは別行動をとっていた。それからさらに半日ほどが経っている。
*
蓮子は一人っ子だ。
高校教師をしていた父親と専業主婦の母親のもと、育った。教育熱心な両親で、躾は厳しかったが、愛情も注がれていたように思う。
母方が資産持ちだったせいもあって、経済的にも恵まれていた。
その生活が激変したのは、蓮子が中学に上がる頃だった。
『それ』がやってきたときのことを、蓮子は今でも覚えている。
二年前の夏休み、8月の第3日曜日だった。
当時住んでいた家のリビングで本を読んでいたら、どこかに出かけていた両親が、一本の木枝と花瓶を持って帰ってきた。
それが、緑光教との関わりの始まりだった。
その頃、立て続けに身内に不幸があり、知人の勧めでお払いをしてきたらしい。
不幸払いのため、大枚を叩いて、ご利益のあるという木と花瓶を求めてきたのだ。
緑光教は、ご神木を象徴にした新興宗教だ。
新興宗教の中にも志の高いものはあるのだろうが、緑光教は残念ながら、悪徳のカテゴリに入っていた。
その集金システムはシンプルで、信徒に分け木や花瓶を高値で売りつけるほか、説法や会合で金を取るというもの。
教主は50がらみの男で、蓮子には脂ぎった俗物にしか見えなかった。
しかし、弁は立ち、ある種のカリスマ性も確かにあった。
両親が街角に立ち、布教活動に勤しむ信徒の一人になるまでにたいした時間は掛からなかったように思う。
やがて桐神家は、家を手放し、安定した職を手放した。
父親は布教活動の中で学校教師を続けられなくなり、いまは学習塾で雇われ講師をしている。
蓮子も強制的に入信させられた。
生来の冷めた性格ゆえ蓮子に信心は生まれなかったが、下向きな環境変化に、投げやりな生活になりかけた時期もあった。
それを留めたのは、緑光教ナンバー2の女性との存在だった。
緑光教自体はろくでもないものとしか捉えていないが、彼女との出会いを与えてくれたことは、ありがたいと思っている。
彼女は、端的に言えば教主の愛人だ。
当初は教主の本妻がナンバー2のポジションにいたが、1年ほど前に体よく引退させられている。
そこまではまぁよくある話だろう。違うのは、その後だった。
彼女は教団運営にも手を伸ばしていったのだ。
現在では教主はすっかりお飾りになり、彼女は実権と甘い汁を存分に得ている。
教えに心服しているように装ってはいるが、蓮子の見たところ、それは偽りの姿だ。
彼女も蓮子同様に信心などない。彼女が求め望んでいるのは、ありがたい教えなどではなく、その高い能力を存分に振るえる環境だ。
実際、教団は彼女が実質トップになってから急激に規模を拡大している……被害者が増えているという表現が正しいのかもしれないが。
愛人として教主に媚を売り、甘い汁を吸う。
そこに留まらなかったことに彼女の価値があると、蓮子は思う。
むしろ、教団の実権を握り、手腕を振るうことが目的だったのだろう。
彼女は何かしらを経営する側になりたかったのだ。その何かしらがたまたま緑光教だったということだ。そのシンプルな思考と実行力は感嘆に値したし、得るべき利益は利益で積極的に頂戴する強欲さも気に入るところだ。
彼女を見ていたら、素行を乱すだなんて、自分の価値を自ら下げるだなんて、馬鹿らしいことだとしか思えなかった。
荒れた家庭環境の中でも、授業にはきちんと出、勉学にも励んだ。良好な生活態度を保った。
だから、プログラムに巻き込まれたとき、彼女の真似をしてみた。
最初はDスポット、次いでBスポットで。
Dスポットの三上真太郎は自我が高く、ことを急いでしまったこともあって上手く掌握できなかったので、その仲間ごと建物ごと海へ沈めた。
実は、それほどの決意や殺意があったわけではない。
初回の開放物資、まだドラフト方式で物資を分けていたときに爆弾を得ていなければ、彼らを殺すことはなかっただろう。
直接手を下すのはやはり恐ろしいし、体格差から考えてリスクも大きすぎる。
しかし、遠隔攻撃なら、呵責もそれほど感じずに済むのではないかと考え、スポット後方の崖に爆弾を仕掛けてみただけだった。
……果たして、三上真太郎らはDスポットともども土砂に呑まれた。
Bスポットでは、その反省を踏まえ、じっくりと進めた。
結果、緑光教の彼女よろしく、馬場賢斗をお飾りの教主に据え、実権を握ることが出来た。
まぁ、結局、Bスポットは封鎖されてしまったのだが。
馬場賢斗に愛情は一切なかった。
必要だから、掌握できる自信があったから、寝ただけだ。
右手首を見る。
包帯が巻かれており、血が滲んでいた。
逆上した馬場賢斗につけられた傷からの出血だ。血は止まっているが、傷は深い。滝口朔の応急処置がなければ命を落としていただろう。
この件に関し、瀬戸晦にしてやられた感は否めない。
−11/28−
□□■
バトル×2 4TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録
|