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            <滝口朔> 
 
 
 ここで、晦がふっと笑った。 
 そして、「だ、そうですよ」向かって右手の雑木林に視線を送った。 
 すると、晦の台詞と視線を合図にしたかのように、雑木林の奥から一人の男子生徒が飛び出し、蓮子に向かって駆け寄った。 
 制服に身を包んだ、小柄で華奢な体躯。サバイバルナイフを振り上げている。 
 現れたのは、Bスポットメンバー最後の一人、馬場賢斗だった。
              予期していなかった展開に、朔の反応が遅れた。 
「馬鹿にしやがって!」 
 馬場賢斗が激情に任せて、桐神蓮子を組み敷くところを呆然と見つめる。 
 普段の学校で見ていた大人しい彼からは想像もつかないような行動だ。それだけ、彼女に裏切られたと言う思いが強いのか。 
 教主のように崇められた時間が、彼を変えたのかもしれない。 
 その姿が、朔が兵士だと知ったときの中村大河と被って見え、心が痛んだ。 
             土ぼこりをあげて、二人がもみ合いになる。 
 振り上げられたサバイバルナイフを避けようと、蓮子が両手を顔の前でクロスさせた。 
「うっ」 
 蓮子の悲鳴。 
 右手首が朱に染まっている。賢斗に切られたのだ。 
 瀬戸晦は二人が争う様をゆったりと眺めていた。 
 ややあって、「それでは、好きなだけ話し合ってください」立ち去る。 
 
 どのタイミングからかは分からないが、近くの藪に馬場賢斗がいることに気づいていた上で、彼女に彼を馬鹿にさせたのだろう。 
 林道の向こうに消えた後姿は、演奏を終えた指揮者のようだった。 
             つづら折になった林道、すぐに瀬戸晦の姿は木々の間に消えた。 
 そこで、はっと我に返る。  
 晦のことも気になるが、今は蓮子と賢斗だ。 
 藪を掻き分け、慌てて二人の間に割って入ろうとしたとき、撃発音がした。 
 続く、銃声。周囲に火薬と血の匂いが漂う。  
「チクショウ!」 
 右手の肘のあたりを逆手で押さえ、賢斗が飛びのく。 
 蓮子に撃たれたのだ。 
 そしてそのままきびすを返し、晦とは別の方向、雑木林の中へ駆けていった。 
            * 
  ややあって、桐神蓮子がばっと起き上がり、中腰の体勢になった。彼女の手首から鮮血が舞う。 
 朔に向かって構えられるリボルバー。その動きの中で、銃口が火を噴いた。 
 ほぼ同じタイミングで、横面を叩かれたような衝撃を受ける。耳がキンと鳴った。 
 遅れて、右頬が焼けるように熱くなった。銃撃の衝撃は大きかったが、負傷としては掠めた程度だった。たいした傷ではない。 
 射撃の反動で仰け反っていた蓮子が、そのまま座り込む。 
 賢斗に切られた手首の傷から噴出す、鮮やかな赤。 
 この色は、動脈血だ。朔の傷とは違い、大量出血、ショック死が惹起される危険な状態だ。 
「おい、抵抗するなよっ」 
 ディバックから清潔なタオルを取り出しがら駈け寄り、傷口の上から直接押さえつける。 
 蓮子が悲鳴を上げ苦痛を訴える。 
 身体をよじって逃げようとするので、「我慢しろ、死にたいのか!」怒鳴りつけると、びくりと肩を上げ、まじまじと見つめてくる。 
「腕を上げろ。心臓より、高く」 
 まずは高位保持と直接圧迫止血の併用だ。
              並みの負傷ならここまでで必要十分な効果が得られるが、動脈出血の場合は止血点を圧迫しないと止血し辛い。 
 やはり、血は止まらなかった。 
 ここから先は素人には推奨外の手技だが、朔は救命術を陸軍士官学校で仕込まれている。 
 確実なのは、布などを腕に巻く止血帯法だ。ただ、止血帯より先が虚血状態になり壊死するおそれがあるため、出来れば避けたい。 
 止血点の位置把握が難しいが、間接圧迫止血を行うこととした。 
 蓮子に腕を上げさせたまま、肘の内側、上腕中央側の上腕動脈を指先で圧迫する。 
 
 この時点ですでに、蓮子は抵抗をやめていた。 
 痛みによる条件反射的、瞬間的な拒否はあるが、朔にされるがままになっている。 
「……どうして」 
 助けてくれるの? 
 言外に訊かれ、「知るか」素っ気無く答える。 
 自分でも良く分からなかった。 
             そして、間刈晃司に襲われたときのことを思い出す。プログラムが開始して二週間ほどたった頃、今から一ヶ月ほど前のことだ。 
 千鎖湖のほとりで、混乱し襲ってきた晃司。彼は小柄で非力だった。 
 比べ、朔は兵士の中でも体術に優れ、体格も恵まれている。 
 造作なく返り討つことができた。 
 あのとき、ただねじ伏せることもできたはずだった。しかし、条件反射的にサバイバルナイフで彼の胸元をえぐってしまった。 
 意識、殺意がなかったかと言えば嘘になる。 
 兵士は積極的にプログラムに乗ることは推奨されてはいないが、禁止されているわけでもない。 
 自身を守るために仕方なったと言い訳が立つ場面だったし、実際にそうした。 
             しかし、同じように襲ってきた蓮子に、今は救命を施している。 
 その違いは、一ヶ月という時間だろう。この期間での経験と思索が、行動の違いとなって現れたのだと思った。 
 朔の手技が効き、蓮子の出血は止まった。 
 ほっと胸をなでおろす。 
 今はまだ一時的な止血だが、このまま適切な方法を続ければ、彼女の命は助かる。 
 
 
 止血を施しながら、ぼんやりと曇天の空を見上げる。 
 
 つり橋から落ちそうになった高木航平を救うことができなかった。 
 兵士であることを中村大河に知られ、激憤を投げつけられた。続いた罵倒、別離。 
 平和を願っていたBスポットの崩壊。中崎祐子らの死。 
 穏やかで善良な質と捉えてた兵士仲間、瀬戸晦の裏側を見た。そして得た彼への困惑。その晦が引き起こした、馬場賢斗と桐神蓮子との争い。 
 賢斗は敗走し、次いで朔と蓮子とで戦闘になりかけた。 
 ここ数日の目まぐるしい展開にショートしそうだった頭が、急速に落ち着いてきていた。それは、蓮子に救命を施すにあたり、判断に判断を重ねたからだろう。 
  
「ありがと」 
 蓮子に礼をされ、死に際の中崎祐子からも同じ言葉を差し向けられたことを思い出す。 
「中崎も、そう、言ったの? 聞こえなかったけど、そんな感じだったね」 
 血を失い、元々色白だった頬が、紙のようになっている。 
 蓮子はメインホールなどに盗聴器を仕掛けていたそうだ。 
 会話を聞かれたのだ。 
「こんな実験に無理やり参加させて、本当に申し訳ない」 
 謝罪。 
 彼女の負傷に直接的に関わったわけではなく、むしろ救助したのだが、なんだか責任のようなものを感じていた。 
 遅れて、この発言は懲罰対象になるかもしれないと思った。 
 だけど、言ってすっきりした部分もあった。 
 そんな様を複雑な表情で見つめられる。 
             やがて、蓮子は口を開き、「兵士も実験対象ってホント?」言ってきた。 
「ああ。物資等の優遇措置はないし、掛けられるルールも同じだ。指令されたのは記録だけで、実験対象とは明言されなかったが、状況から考えて、そうとしか思えない」 
「じゃぁ、仕方ない。許してやるよ」 
 わざとだろう、偉ぶってくる。 
 そして、傷の痛みに顔をゆがめながら、「良いことを、教えてあげる」言う。 
「何のことだ?」 
「中崎を自殺させたのは、瀬戸だよ」 
「なっ」 
 驚き、目を見開く。 
「滝口、中崎と待ち合わせしてたんでしょ? 彼女、最初は向かおうとしてた。そしたら、瀬戸が出てきてさ、Bスポットに仕掛けられてた作為ってやつを話したんだ」  
 さきほどの瀬戸晦と蓮子の会話で、Bスポットに張り巡らされていた計略、作為は把握している。 
 Bスポットにいたときの違和感の正体はこれだったのかと、息をついた。 
「うまく、話してた」 
「うまく?」 
「中崎が絶望するように、うまく話してた。彼女の気持ちを誘導してた」 
「どう、して」 
 唖然として疑問を落とすと、「Bスポットってあいつの企画だったんでしょ?」逆に訊かれた。 
「オレは知らなかった」 
 意外だったのか、目を見開いて返してくる。 
 そして、「きっと、企画がぽしゃるのが嫌だったんだ。何が記録だけの存在だ。……まぁ、馬場とか河合をコントロールしようとしてた私も、似たようなものだけどね」最後は自虐的に言い、肩をすくめる。 
             救われたような気持ちだった。 
 中崎祐子が自分と合流しようとしていたと聞かされ、胸に熱いものを得る。  
 その道を閉ざした瀬戸晦への怒りは、あまり感じなかった。それは、朔もまた政府側の人間だという意識があるからだろう。 
 朔だって、指令実行のために周囲を偽ってきた。 
 その結果受けたのが、中村大河の憤怒だ。 
 
 もちろん思い返せば、瀬戸晦の言動にいくつかの嘘を見つけることが出来る。 
 そこにも憤りは感じない。そもそも兵士間で偽ってはならないなんてルールはないのだ。 
 晦は兵士は『記録だけの存在』であるべきだと考えているらしい。 
 そして企画進行に介入した自分を、まだまだ未熟だと評していた。 
 では、Dスポットが土砂に呑まれる前、三上真太郎らに警告を発していたのは、彼の真実の姿なのではないだろうか。 
 兵士としての理想と、現実に得る感情の中で、揺れていて欲しい。 
 憤りよりも先に、そう願う。  
              
 と、頬の傷に冷たい何かが触れた。 
 見ると、目の前に白いものがちらついていた。 
「雪、だ」 
 綿埃のような粉雪が、雑木林をバックに舞っている。初雪だった。積もるほどではないが、ぐっと気温が下がったように感じる。 
             鎖島に冬が訪れようとしていた。 
 
            
  
−11/28−
 
              
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            
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