<滝口朔>
Bスポット入ってすぐのメインホール。朔の目に最初に入ったのは、床に転がる小瓶だった。
木床に小さな瓶が転がり、透明な液体がこぼれている。
そして、小柄な少女が身体をくの字に曲げて倒れていた。
「中崎……」
駆けつけ、抱き上げる。
倒れていたのは中崎祐子だ。
ふっくらとした頬からは血の気が失せている。
喉に渇きを覚える。
一度ごくりと唾を飲み込み、心を落ち着かせた。
手の向きを変え、政府支給の腕時計を見やる。
記録兵と潜入している兵士の腕時計は特別製だ。死亡時の様子を記録撮影する必要性から、参加選手が死亡した瞬間に、氏名とおおよその場所が表示される仕組み。
その画面には、まだ彼女の名前は表示されていない。つまり、まだ彼女は生きているのだ。
しかし、瀕死の状態であることには変わりはない。
四肢は脱力し、脈もろくに取れない。
周囲を見渡す。河合千代里がテーブルに打っ伏しており、遠藤健は床に倒れている。
千鎖湖のほとりで夜を明かそうとキャンプを張る準備をしていたら、矢崎ひろ美の死亡情報が送られてきた。
ひろ美はBスポットのメンバーだったはずだが、死亡位置はCスポット近くだった。
本来ならば、Cスポットへ向かわなければならない場面だが、朔の足はBスポットへと向かった。
彼女の死が気にならないと言えば嘘になるが、それ以上に残された者たちの安否が気にかかったのだ。
板壁の扉は開け放たれており、難なく敷地に入ることが出来た。
誰かが慌てて出て行ったのだろう、建物の鍵も開いたままだった。
ホールには、中崎祐子、河合千代里、遠藤健の三人の姿しかなかった。
他の者たちはどこにいったのか。
「いったい、何が……」
言うと同時、朔の腕時計が小さく振動した。
ひゅっと息を呑み、視線を腕時計の液晶画面に落とすと、河合千代里の名前が表示されていた。次ぐ、遠藤健の名前。
祐子を支える手が震えた。
逆手で、床に落ちていた小瓶を拾い上げ、パッケージの説明を読む。
一瓶で一人分の致死量。苦しむことなく眠るように死に至ると書かれていた。物質名等は一切書かれておらず、その詳細がつかめない。
応急処置の基本は、希釈と催吐だ。
喉元に指を突っ込み、咽頭を刺激し、ペットボトルの水を大量に飲ませようとしたが、反応がない。
「おい、中崎っ。中崎!」
彼女の名を呼ぶが、ぴくりとも動かなかった。
ここで、首輪に付けられた記録用カメラの電源を入れていないことを思い出す。
普段は節電のために電源を切り、必要にあわせて入電するよう指示されている。今はまさしく撮影しなければならない場面だ。
カメラと連動している腕時計のスイッチを押そうとしたところで、朔の手が止まった。
彼女の映像を本部に送りたくなかった。
任務放棄と取られそうだが、いまさらという感覚もある。
首輪の盗聴器を通して、これまでの会話は全て採取されている。
朔のプログラムとの向き合い、任務との向き合いが変わってきていることは、宇佐木教官にも知られているはずだった。
そもそも、先に矢崎ひろ美の元へ行かなければならない場面だった。
まぁこの程度の造反で、首輪を遠隔爆破されるなどの罰を食うことはないだろう。
これは、兵士もまたプログラム実験の対象であるという確信と照らし合わせれば、おのずと見えてくる推察だった。
単純に記録兵として派遣されているのならば、他の選手と同じ土俵に上げられるはずはない。
防弾チョッキなど物資面での優遇は一切なく、爆弾内蔵首輪も一般生徒と変わらず付けられている。
また、『三ヶ月生き延びる、もしくは最後の一人になる』という優勝条件は、兵士にも等しく課せられていた。
朔たちもまた、プログラム対象なのだ。
では、兵士におきる心理変化も、一つのサンプルとして記録、分析されるだけだ。
カメラの残り台数の関係もある。
四人居た兵士も、鈴木弦、水嶋望と命を落とし、今となっては朔と瀬戸晦の二人だけだ。政府としても、簡単には切れないだろう。
帰還時の報酬に影響するかもしれないが、朔はこの立場を利用してやろうと自棄気味に考えていた。
……強かになった、と言えるのかも知れない。
両親が反政府運動に関わったばかりに、強制仕官の咎を受けた。これは、罪者の血縁者を抱え込む内憂と、使い捨てにできる兵士の必要性を天秤にかけてできた制度だ。
大東亜共和国は徴兵制を採っていない。軍役は任意だが、一部例外がある。
それが、強制士官制度による軍役、兵役だった。
政治犯の血縁者に強制的に適用され、軍役忌避、自主退役は許されない。
拒否者や脱走兵は、例外なく死罪となる制度だった。
朔のように仕官学校を経られることは稀で、ほとんどが単純兵役に終わる。
しかしどちらにしても強制仕官者に軍人としての未来はない。
士官学校卒業組みはある程度は昇級できるが、結局すぐに頭打ちになり、危険度の高い任務を中心に受けることになるのだ。
この、高確率で命を落とす危険極まりない任務も、使い捨ての駒だからこそ与えられたものと言える。
だけど、プログラム任務を終えれば、強制仕官の解除という報酬を得られる。未来を変えることが出来る。
自身が強制士官者であることを考えるとき、朔は鎖牢を思い浮かべる。四肢を鎖で縛られた自身の姿を。
……プログラムから生きて帰ってくれば、自由を、得られる。
任務を受ける決意をしたとき体内を巡った、開放への淡い期待感は未だ残っている。
プログラム当初は先のことだけを考え、冷静に構えていられた。クラスメイトの死を何のわだかまりもなく撮影できた。
だが、いつの頃からか抱き始めた割り切れない何かが、今となっては心内の大半を占めていた。
*
カメラを通さず、自身の瞳にメインホールの様子を映し、朔はふっと息をついた。そして、マウンテンジャケットのポケットから一冊の小説を取り出しす。
タイトルは『ダンデライオン』、Aスポットの初回開放に入っていた娯楽物資だ。
陸上部に所属する男子高校生を主人公に、恋愛や友情を綴った青春小説。
既に読み終えており、何度も読み返してもいる。
まだ平和だった頃のBスポットの様子を見たとき、驚きともにまるで『ダンデライオン』の世界のようだと感じた。
彼らは、事前潜入時に朔が見ていた普段の学園生活をつとめて維持していた。
努力して平穏を作り出しているBスポットのメンバーに敬意を抱き、行く末に不安を抱きつつも、この凪がいつまでも続けばいいと願ったものだ。
そっと視線を下ろし、中崎祐子の顔を見つめる。
閉じられた双眸、唇。血の気を失った頬。
膝を突き、彼女を抱きかかえた体勢。触れ合う肌には冷えてきており、彼女の命が潰えようとしているが嫌というほど分かる。
ここに来ても、彼女に抱いていた感情の正体を、朔には掴むことが出来ない。
友情とも恋愛とも呼べない、あやふやな、だけど大切な感情。
瞳が潤む。
涙は朔の頬を伝い、祐子の頬に落ちた。
これが機になったのか、祐子が薄く目を開けた。朔を認識したのだろう、驚いたような顔をする。
「逃げろって言ったじゃないか……」
恨み言のような台詞を差し向け、すぐに後悔した。「ち、違う。俺は、そんなことをお前に言いたいんじゃ、ない」
目を伏せ、首を大きく振る。食いしばる歯。嗚咽が漏れる。
自分でも悲しくなるほどに狼狽していた。しかし自覚はあっても、どうすることもできない。もどかしくてもどかしくて、堪らない。
彼女の死を止める術がないことは、すでに理解していた。
では、オレは何を。
「オレは、お前に、何を言ったら」
分からなかった。消え行く彼女の魂にどんな言葉をかけたらいいのか、分からなかった。
人として未熟であることが、情けなく、悔しい。
と、彼女の唇が微かに動いた。
言葉にはならなかったが、読唇術で読み取れた。……読み取れたが、全く予期していなかった言葉だったため、理解が遅れた。
「そんな、どうして」
唖然とする。
彼女に、『ありがとう』と言われたことに、唖然とする。
「どう、して」
繰り返す疑問。
……何も、してない。
「オレはお前に、何もしてない」
なのに、どうして。
やがて、祐子の瞳がゆっくりと閉じられる。一拍の後、朔の腕時計が小さく振動した。
−河合千代里・遠藤健・中崎祐子死亡 11/28−
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