OBR4 −ダンデライオン−  


060 2005年11月07日13時30分


<凪下南美>


「み、みなみ!」
 歓喜の声を上げたのは、塩澤さくらだった。
「助けて!」
 さくらは、山道傍の崖から落ちかけていた。崖から地面と水平に飛び出た木の根に、かろうじてしがみ付いているが、完全に宙吊りの状態だ。
 状況から考えて、先ほどの地震で山道から弾き飛ばされてしまったに違いない。
 覗きこむと、崖の高さは20メートルほどだった。
 崖下に、彼女のものらしきディバッグと拳銃が見える。
 また、崖の途中途中に、樹木や木の根が出たら目な方向に伸びていた。

「早く引き上げて!」
 さもそれが当然であるかのように、さくらが言う。
 言葉としてはお願いの形を取っているが、命令口調だった。
 しゃがみ込み、彼女を見下ろす。
 そして、「……どうして?」少し間を空けて訊くと、さくらは目をむいた。
「友だちだろ!」
「友だちなんかじゃない」
 自然に否定の台詞が出た。
 学校ではそれなりに会話はあった。
 傍目には、親しい間柄にも見えたかもしれない。
 しかし、さくらと高橋由真(碓氷ヒロが殺害)の陰口の対象になっていることは十分に承知していたので、実は普段から距離はとっていた。
 だからこそ出た台詞だった。

 宙吊りのさくらを見やる。
 約40日間のサバイバル生活がそうさせたのか、太りじしだった身体が多少はすぼんで見えるが、もともとがもともとだ。
 さくらと華奢な南美とでは、今でも倍近い体重差があるはずだった。
「だいたい、あんたを私が引き上げられるわけないじゃない。無理」
 平坦に宣言する。
  
 さくらの顔色が変わった。
「滝口とか水嶋から……聞いたの?」
 何のことか分からなかったが、とりあえず肯定も否定もしないでおくと、「寝込んでるあんた見捨てようって言ったの、嘘だから! ホントは助けたかったんだよっ」振り絞るように言う。
 ああ、と頷く。
 少し前まで、南美はきのこ中毒に苦しめられていた。
 その南美を看病してくれたのが、滝口朔や水嶋望(名河内十太が殺害)、中村大河、柳早弥(碓氷ヒロが殺害)だった。彼らがいなかったら、南美はこの場には居なかったのかもしれない。
 ……結構、恩があるな。
 改めて、思う。
 滝口朔らには命を救ってもらっただけでなく、その後サバイバル術も学ばせてもらっている。 

 だけど、このさくらは違う。
 愚かな自白によると、彼女は苦しんでいる南美を見捨てようとしたようだ。
 プログラムの現実を考えると賢明といえば賢明な判断だが、それを本人に言ってしまうあたり、いかにも浅はかだ。

 まぁ、彼女を見限る大義名分が出来た。
 ……プログラム開始当初の南美ならば、迷いはあっても結局はさくらを助けようとしただろう。
 普段の学校でも、三上真太郎(桐神蓮子が殺害)らにからかわれていた麻山ひじりを助けていたりもした。荒れた男子生徒にも負けない、面倒見のいいクラス委員。人望厚い女子生徒の中心。
 それが、かつての凪下南美だった。
 多少のわだかまりはあってもさくらを助けようとし、そして、彼女ともども崖下へ消える運命だったに違いない。  
 しかし今はそんな運命はごめんだった。
「自己責任」
「え?」
「自分で何とかしなよ。人生ってそーいうものでしょ」
「チクショウ!」
 さくらの顔に怒気が宿った。
「崖の途中に茂みもあるし、うまく引っ掛かれば助かるんじゃない?」
 西塔紅美ならこう言うだろうと思いながら、冷やかな台詞を投げてみる。
 そして、ゆったりと立ち上がり、南美は歩き出した。


 やがて背後で聞こえる、さくらの悲鳴。崖を転がり落ちる形になったのだろう、ざざざと藪をかきわけるような音が続く。 
 これを無視し、さらに一歩進む。
 気分がよかった。
 自分も紅美のステージに上がれた、そんな風にも思う。

 と、「死ななかったみたい」背後から声がし、ばっと振り返る。
 視線の先では、西塔紅美さいとう・くみが崖下を覗き込んでいた。
 制服の上からマウンテンジャケットを羽織っている。
 すらりとした長身。釣りあがり気味の瞳、眉は普段と変わらずきれいに整えられていた。大人びた細面の中、唇だけがぽってりと厚く、中学生ながら艶っぽい雰囲気を身にまとっている。
「ほら、手足が動いている。まぁ、骨とかあちこちやられてるだろうから、長くはないかもしれないけど」
「西塔……」
 旧友との再会を果たしたような気持ちになる。
 そして、彼女への恨みや怒りの感情がなくなっていることに気づく。

「一人?」
 訊かれる。
「ええ」頷き、「ちょっと前までBスポットにいたんだけど、出てきた」続ける。
「ああ、あそこ、出たんだ」
「そう」
「私も、あそこは馴染めないだろうな」
 多くは語らなかったが、出てきた理由などを読み取られたようだ。
 ……鋭いなぁ。
 感心していると、「しかしまぁ、中村と滝口んとこと……そっくりのシチュエーションだね」紅美は中村大河と滝口朔の名前を出してきた。

 戸惑っていると、「まぁ、滝口は助けようとしてたみたいだけど」意味不明の台詞が続く。
 紅美は、中村大河に設定された受信機を使って、Bスポットでのやりとりや、朔たちが先ほど遭遇した事態を把握していた。
 その彼女ならではの発言の数々だったが、もちろん南美にはあずかり知らぬことだった。
「まさか、中村とあんたがコッチ寄りになるとはねぇ。んで、滝口はいいヒト側ときた。……でもきっと、助けようとするほうが、人として正しいんだろうけど」
 しみじみと言う。

 怪訝な表情を読み取られたのだろう。
「訳わかんないみたいだね。まぁ、後で教えてやるよ。その代わりあんたも情報を頂戴ね」
 遅れて、気づく。
「それは、合流しようってこと?」
 まじまじと紅美を見つめる。
 やがて、彼女は肩をすくめ、「……そう言ってるつもりだけど?」にやりと皮肉めいた笑みを浮かべた。



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凪下南美
開始早々に仲間ときのこを食し、中毒に。一人生き残る。朔からサバイバル術を学び、物資を集め、Bスポットから出て行った。