OBR4 −ダンデライオン−  


046 2005年10月18日17時00分


<滝口朔>


「滝口くん」
 夕刻、エントランスホールのソファに身を沈め、文庫本を読みふけっていた朔に、中崎祐子が話しかけてきた。
 Bスポットではほとんどの物資を共同使用しており、この文庫本も特に所有者はいないそうだ。
 朔がいま手にしているのは、今回の物資開放で得た本だ。
 カテゴリとしては恋愛小説になるのだろうか、平易な文章で文章量もさほどないため、一時間ほどでほとんど読み終えていた。
 祐子の目が文庫本に移る。
「うわ、こんなの読むんだ」
 読んだことがあるのか、内容を把握している風だ。
 中背で丸みを帯びた体つき。それほど太っているわけではないのだが、ふっくらとした丸顔と目じりの下がるおっとりとした雰囲気の相乗で、ころころとした印象だ。
 制服の上から薄手のカーディガンを羽織っている。
「……おかしいか?」
「うん、キャラじゃないね」
 大人しい顔で遠慮なく切り込んでくる。

「ここは、いいな。ここは、普段の学校みたいだ」
 祐子のあけすけな雰囲気に釣られたのだろうか、思っていたことがごく自然な言葉になった。
 多少のトラブルはあるようだが、彼らを見ていると、そう感じる。
「……普通の生活って大切だったんだなって、思う」
「うっわ」
 驚きの言葉。
「すまん、変なこと言ったか」
「……ううん、なんとなくわかる。ここは平和だけど、ほかは大変みたいだしね。……大変って言葉じゃ軽いか」
 祐子は一瞬表情を暗くしたが、「滝口くんがそんなことを言うヒトだとは知らなかったな」くすくす笑った。笑うと、口元から八重歯がこぼれた。
「キャラじゃないか」
 彼女の言葉を借りると「うん、キャラじゃない」繰り返してまた笑った。

 ここで、朔は首輪に内蔵されている記録カメラの電源を切った。
「……なんで、だ?」
 数秒後、自問していた。 
 もともと記録カメラは、充電容量の関係で連続記録時間が限られる。
 そのため、必要と思われる場面をピックアップして送るように指示されていた。
 これまでも、適宜電源のONOFFを繰り返してきたが、任務上の必要性が元だ。
 しかし、今回はいたって個人的な理由からだった。
 ……なぜだか、彼女との会話の様子を転送したくなくなったのだ。
 もっとも、音声は常時記録されているので、会話そのものは聴取されてしまう。そのことを非常に残念がっている自分にまた戸惑う。

 任務を否定するつもりはさらさらない。しかし……。
「なに、どしたの?」
 祐子が笑い混じりに訊いてくる。
「自問してるんだ」
「ジモン?」
「己を省みてるんだ」
 彼女はふんと鼻を鳴らすと、「意味不明だけど、その理屈っぽい台詞は、とりあえずキミのキャラ、だね」にっと笑った。
「そうだな、これはキャラだな」
 彼女とくすぐりあうように笑う。

「でも、いいな」
 祐子がふっと息を吐くように、言ってきた。
「え?」
「うん、なんか、いい」
 腕を組み、ソファに座る朔を見下ろしてくる。
「お前、偉そうだぞ」
「そう?」
 またくすくす笑い、「正直、滝口くんをBスポットに迎えるの、怖かったんだよね」続けた。
「ま、そうだろうな」
 普段の自分を振り返り、同意する。

「コワモテだしさ、何考えてるかわかんないしさ」
 ここで言葉を切り、彼女はソファのあいたスペースに座ってきた。決して広いとは言えないソファに二人並んで座る。彼女の体温を感じ、少し鼓動が早くなった。
「ありがと」
 一呼吸の後、彼女は意を決するかのように言った。
「え?」
 今度は朔が戸惑い、驚く番だった。
「ありがと、なんか大事なこと、思い出せた」
「え?」
「でも、いつまでこのままでいれるか、不安だよ」声のトーンがひとつ下がる。
「え?」
 先ほどから同じ台詞しか吐いていない。

「……さっき来たところの滝口くんにはわかんないだろうけどさ、ここ、雰囲気変わってきてるんだよね」
「雰囲気」
「馬場くん、ちょっと前まで、割り当てあったんだよ」
「薪割とか皿洗いとか」
「そそ。でも、問題8割答えられるの、馬場くんだけだしさ、負担大きいしさ。だから、馬場君は割り当てナシにしようってことになったんだ」
 負担の分散。
 馬場賢斗に割り当ての仕事がないことが疑問だったが、そういう理由だったらしい。
「わからない理屈ではないが」
「そ、わからなくはないんだよ。馬場くんばっか負担してもらうの悪いし。みんなのために問題解くの、すっごいプレッシャーだろうし。……でも、馬場くんは割り当てそんなに嫌がってなかったと思うんだよね。私もだけど、あのヒト、目立つの嫌いだから。特別扱いって言うの? そーいうの苦手だと思う」

 高木航平や桐神蓮子、矢崎ひろ美などに褒め称えられ、居心地悪そうにしていた馬場賢斗を思い出す。
 昼食のとき、みなが賢斗に気を使っている風だった理由もわかった。
 航平が、瀬戸晦と馬場賢斗をさして『バスケとかで遊んでくれないから詰まんない』と言ったとき、河合千代里に注意されたが、あのとき航平が謝ったのは、賢斗にだけだった。
 Bスポットの物資獲得は賢斗にかかっている。確かに気を使う相手、状態だろう。

「そう思うなら、提案してみればいい。特別扱いはやめようって」
「……できないよ。今の雰囲気じゃ」
 ふと、思ったことがあった。
「いつから? 前はそうじゃなかったんだろ。いつから変わったんだ?」
 変化には何かしらの契機があったはずだ。
「え……。いつからだろ」
 少し考え、「桐神さんが来て少ししてから……や、でも、馬場くんの特別扱い言い出したの、千代里だしなぁ。わかんないや、徐々にそうなったのかなぁ」祐子は首をかしげた。

「プログラムってさ」
 そういうと、中崎祐子は一度眉を寄せ、口をきゅっと結んだ。
「どうした?」
 すっと息を呑み、「政府のものじゃない? 政府とか軍とかって、なんか、得体の知らない大きなものって感じでさ。そーいうどうしようもないものに人生狂わされるのは、なんか、諦めつくんだよね」思いを開いてくる。
「諦め……?」
「そ、どーしようもないかなって。相手でっかすぎるし。……まぁもちろん死にたくはないけど」
「ふむ」
「でも、今はなんだか……。なんだか、もっと身近な何か……隣に普通にいる誰かに」
 彼女は強い口調で『誰か』と言い変えた。
「そう、誰かに、大切な何かをいじられて……じわじわ変えられてる、そんな気がする。それが誰だかわからなくて、そもそもそんな誰かなんているのかわからなくて、なんだか、イラつく」
 最後は腕を組み、口をへの字に曲げる。
 そのさまが何故だか可愛らしく感じられ、朔の胸の鼓動がさらに高まり、乱れた。

 ふと、思い出したことがあった。
「逃げればいい」
「逃げる?」
「そう、逃げればいいんだ。相手の大きさは関係なく、いよいよヤバいなと思ったら」
「ヤバいって、滝口くんっぽくない言い回し」
 茶化すように、祐子が言う。
 肩をすくめて返し、これも今までの自分らしくないと、朔も笑った。
「とにかく、ヤバいと思ったら、その状況をどうにかしようと頑張るのではなく、抗うのではなく、ただ逃げるんだ」
「何とかしようとしないで?」
「そう、ただ逃げる」
「ふむ、覚えとく。いよいよヤバくなったら、逃げるよ」
 実は、最近読んだ本からの借り物だった。
 ごく普通の青年が、政府要人殺害の冤罪をかけられる。物語は多視点で、その青年やその青年を取り巻く人間たちの様々な思いが描かれる。『抗わずにただ逃げろ』は、逃亡生活を送る青年が、とある人物からかけられた言葉だった。
 今の状況は、その物語と似通っていると言えば似通っている。

「なんか、滝口くんって変わったね」
 何度目かの台詞を、今度は祐子から聞く。
「日々変化してるんだ」
「それは、いい変化だね」
「オレも、そう思う」

 と、「そろそろいいかな」大河の声がした。
 見上げると、中村大河と瀬戸晦がメインホールとエントランスホールを繋ぐ扉の隙間から顔をのぞかせていた。
 いつから見ていたのか、「なんか、声かけ辛くてさ」大河が笑う。
 にやにやとしたとでも表現するのだろうか、からかうような笑いだった。
「私、晩御飯の準備しなきゃ」
 慌てて祐子がエントランスホールから出て行く。
 家が小料理屋をしており、その関係で彼女も料理が得意だそうだ。自然、Bスポットの食事の用意も彼女が担うことになったらしい。

「いやぁ、春だね」
 大河がまた含みのある笑いをする。
 そして、朔の隣に今度は大河が座り、肩を組んでくる。
 瀬戸晦は、エントランスホールとメインホールを繋ぐ扉に背を預けていた。
「いい感じだったよー。朔も隅に置けないね」
 何をどう言われているのか分からず戸惑っていると、「中崎のこと、ちょっと気に入ったんでしょ。そんな感じだったよ」笑って注釈いれてきた。
「気に入った?」
「そそ。恋ってやつなんじゃない?」
 わざとらしく、『恋』に力を込めてきた。
 思わず、噴出す。
「この、オレが?」
「そう。俺のとなりにいる、このオレさんが。ね、そんな感じだったよね」
 大河が瀬戸晦にボールを投げると、「そ、かもね」黒ふち眼鏡の奥で目を細め、穏やかに受け止める。
 中背の華奢な体躯。薄手のフリース地パーカーを着込んでいる。

 瀬戸晦も秘密裏にプログラムに潜入している兵士だ。
 また、階級は朔のひとつ下になる。この会話は、上官としてあまり都合のいいものではなかった。
「お前は火焚きの当番だろ。さっさと行け」
 わざとらしく表情を険しくて追いやるが、「はいはい。照れちゃって、カワイイー」全く効果はなかった。



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滝口朔 
記録撮影のために潜入している兵士の一人。孤児院育ち。任務成功による強制士官免除が望み。中村大河と親しい。
中村大河
一般生徒。朔たちの秘密に気づいていない。