<滝口朔>
「さ、ご飯にしよっか」
ややあって、中崎祐子がひらひらと手招きしてきた。キッチンから美味そうな匂いもする。
鍋裏をごんごんとおたまで叩き、「できたよー」祐子が大声を上げる。
その声につられ、部屋や表からほかの生徒たちが集まってきた。
無意識に、首輪に手をやる。
記録兵の首輪は特別製で、爆弾のほか、録画のためのカメラが内臓されている。
この様子も、作戦本部に転送されているはずだ。
……ああ、そうか。
ため息をひとつ。
今更だが、記録兵の首輪にも爆弾が内蔵されている意味、朔たちもまたプログラム実験対象であることを再確認する。
「腹減ったー」
サッカーボール片手に表から戻ってきたのは、高木航平(新出)だ。
目鼻立ちのはっきりとした顔立ちに、軽くウェーブを描く癖っ毛。
航平は、サッカー部に所属しているスポーツマンだ。さきほどBスポットに到着したときもリフティングをしていたが、まだ何か練習をしていたようで、汗をかいていた。
朔が彼のことを熱心と感じていいものか悩むのは、この場がプログラムだからだろう。
女子生徒は、千代里と祐子のほかに、桐神蓮子に矢崎ひろ美(新出)。
男子生徒は、航平のほかは馬場賢斗(新出)。そして、瀬戸晦の姿があった。みな、制服姿だ。
Bスポットに到着した時期の差異はあるが、この7人で生活していたそうだ。
瀬戸晦は、朔と同じく、専守防衛陸軍から秘密裏に派遣された記録兵だ。柔和な丸顔。めがねも丸ふちで、穏やかな印象を増している。
兵士としては致命的な華奢な痩躯。実際、格闘は苦手のようだった。
階級としては朔よりもひとつ下の伍長となる。
一緒に任務を受けた鈴木弦、水嶋望は既に亡い。
残るは彼だけだった。
晦はDスポットの崩落のあと、佐藤慶介と徳山愛梨のカップルについてCスポットに向かっていた。彼らはどうしているのだろう。
瀬戸晦とは、接点を隠すため、学園ではあまり関わらないようにしていた。
ここは、気安い性格の中村大河に声をかけさせるほうが自然だ。
待っていると、「瀬戸」予想したとおり、大河が声をかけた。
「なに?」
「佐藤たちは?」
二人の名前は、定期放送でまだ呼ばれていない。
詳細な記録のために、朔たち専守防衛陸軍兵士には、特別仕様のデジタル腕時計……選手死亡時にはその名前と死亡位置が表示される……の画面にも出ていないので、存命のはずだ。
「Cスポットまで送り届けたよ。移動してなければ、スポット近くの洞窟にいるんじゃないかな。僕が出るときは徳山さんはまだ混乱続いていたけど、佐藤くんがいるから大丈夫じゃないかな。……ま、お邪魔ムシになるのもね」
最後は冗談っぽく笑う。
と、「わっ」先にキッチンに入った大河がすっとんきょうな声を上げた。
遅れて入った朔も目を見張った。
10人は楽に座れる大テーブルの上に広がる食事。
湯気の立つ野菜スープに、米を伸ばした七分粥。メインは目玉焼きと缶詰肉だ。
「豪華だ……ねぇ」
「そう?」
日ごろ通りなのだろう、大河の驚きに中崎祐子が小首をかしげる。
大河は単純に質量に驚いているようだが、朔の驚きは少し違う点にあった。
薪火を使った温水シャワーがあることから、火を通した温かい食事が出せることは予想していたが……。
「この目玉焼き……」
「ん、滝口くん、好きくないの?」
現代っ子らしいやや壊れた言葉遣いで、祐子が笑う。
「今さっき焼いたように見えるけど」
スープはレトルト食品のようだが、目玉焼きはそうは見えなかった。
「そうだよ?」
朔の惑いについていけない祐子に代わり、「ああ……」桐神蓮子が軽くうなづき、「この裏に、鶏小屋があるんだ。みんなで世話してるんだよ」説明してくれた。
桐神蓮子も図書室の常連だ。
西塔紅美ほどではないが、プログラム以前にも話したことがあった。
制服の上から白地のカーディガンを羽織っている。
白い肌、能面を思わせるつるりとした細面。銀縁めがねの奥、一重の切れ長の瞳が涼やかに光る。艶のある黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。
両親が揃って新興宗教にはまっており、苦労しているらしい。
そのせいか、祐子や千代里にはない落ち着いた雰囲気がある。
蓮子も強制的に入信させられているそうだが、本人には信心は全くないらしい。
教団や宗教の成り立ちそのものには興味はあるのだろうか。図書室で、心理学や宗教学の本を持っている姿を見たことがある。
とても、14,5の少女が持つにふさわしいとは思えず、印象深い姿だった。
*
詳しく話を聞くと、どうやらBスポットは食料を中心に貯蔵されているそうだ。
武器や衣類の支給はほぼないに等しいそうだが、10人程度なら日常的な食事を十分にまかなえる量の食料が5〜7日程度のペースで開放されるほか、鶏小屋や井戸、生活設備も揃っている。
スポットごとに貯蔵物の偏りがあるとは聞いていたが……。
温かいシャワーや布団など望めない、野営に次ぐ野営。
スポットから得られる携帯食や保存食では、一日の食事をまかなえず、野生植物や魚で栄養を補ってきた。その量も、とても十分とはいえない。
水から寝床から自力で確保してきた朔たちの生活と、彼女たちの生活の差異に、ため息をつく。
「中村、滝口」
目玉焼きにかぶり付きながら、高木航平が声をかけてくる。
「後でサッカーかミニバスでもしようぜ。裏手にさ、バスケットリンクもあるんだ。馬場とか瀬戸はやんないから、詰まんなかったんだ」
名前を呼ばれた馬場賢斗がびくりと肩を上げる。
成績優秀だが非常におとなしい少年で、朔は一度も話したことがなかった。
高校は有名進学校を目指しているらしく、今も小脇にテキストが見える。
他のスポット同様、Bスポットでも多少の娯楽品が入っており、航平のサッカーボールや賢斗のテキストはそのひとつのようだ。
と、「高木」千代里が航平を睨み付ける。
これを受けた航平が慌てた声で、「ごめ、馬場」と賢斗に謝った。
「ううん、気にしないで。僕、運動苦手だから」
台詞どおり、特に気にした様子もなく少年は軽く首を振る。
「共同生活だからさ。悪口になりそうなことは言わないようにしてるんだ。他にもルールあるから、後で教えるね」
河合千代里がにっと笑い、和やかな空気に戻す。
少し神経質に過ぎるような気がしたが、これも平和を保つためだろう。
争いの種を極力早期に摘んでいるのだ。
ふと思いつき、傍らにおいていたマウンテンジャケットのポケットから、一冊の本を取り出す。タイトルは、『ダンデライオン』。Aスポットで娯楽物資として手に入れた小説本だ。
カテゴリとしては青春小説になるだろうか。
陸上部に所属する男子高校生が主人公。
まだ途中までしか読んでいないのだが、友情や恋愛、部活動といった描いた内容だった。
裏表紙の粗筋を見る限り、特に大きな事件や悲劇的な展開はないようだ。
平凡な日常。
Bスポットは、まるで『ダンデライオン』の世界のようだった。
決して自然なものではない、作り物めいた平和。航平たちはプログラムという現実から目をそらしているのかもしれない。
だけど、それでも彼らに敬意を感じた。
人を踏み台にしてでも生き残るという選択肢を捨て、たとえそれが作り物であっても、維持できる。
それはそれで、強い心がなければできないことだ。
ただ、微かな違和感も得ていた。
それが何か探ろうとしているうちに「なに、その本?」千代里に訊かれ、中断する。
「ん、娯楽物資の中にあった」
「ああ、滝口ってば、見た目いかついのに、本好きだもんね」
「え」
確かに足しげく図書館には通っていたが、そのことを知られているとは思っていなかったため、驚いた。
「やだ、それくらい知ってるよ。同じクラスの仲間じゃん」
「なか、ま……」
「ちょっと。中村、相方がフリーズしてるんだけど」
「相方ってナニさ」
大河が苦笑する。
朔と言えば、くすぐったいような気持ちになっていた。
仲間、相方……そんな括りに、自分が入る状況がなんだか気恥ずかしかった。
両親が政治犯として捕縛。
物心ついたときには、政府の息のかかった孤児院にいた。
徹底した管理体制、競争主義。周囲はみな敵という環境で育ち、政治犯の血縁者に懲罰的に適用される強制仕官制度により、兵役についた。
成績優秀だったため、いきなり戦場に放り込まれることはなく、専守防衛陸軍士官学校を経ることができたが、そこでも友人の類はできなかった。
ずっと、一人で生きてきた。ずっと、孤独に生きてきた……。
遅れて、ひゅっと背筋が寒くなった。
……まずい、な。
朔は自身のことを思うとき、鎖に囚われた姿をイメージする。プログラム任務を無事に終え、報酬の兵役免除を、自由を得ることが、朔の目的だ。
鎖の呪縛から逃れることが、朔の悲願だ。
そのためには、大河らを文字通り切るつもりだ。そこに覚悟などなかった。
間刈晃次を殺したときも、迷いなどなかった。
だけどいま、朔の心内にあるのは、懸念だった。
生き残るために、任務をまっとうするために、自由を得るために、クラスメイトの殺害を辞さない気持ちに変わりはない。だけど、もう迷いなく行えそうになかった。
それは、仲間、相方という言葉に魅力を感じてしまったからだろう。
プログラム開始までに一年弱の潜入期間を経た。その頃は偽りだとしか捉えてなかった学生生活が、今の朔にはとても大切なもののように感じられる。
息が軽くなる。胸のつかえが取れたようだった。
今なら、鈴木弦の気持ちもわかるような気がした。彼が大切にしたものの正体が見えたような気がした。そして、彼がなぜ自殺という道を選んだのかがわかるような気がした。
記録兵四人はみな、強制仕官者だ。
弦も政治犯の父親の側杖で、本人の意思ではなく、士官学校に入校、兵役につかされていた。
鈴木弦は、奪われた世界に焦がれていた。
彼が崖から投身する直前に話した内容、吐露した心情の数々。
その一つ一つが、朔の中、心の深い部分に今になって染み入ってくる。『……ほんとはさ、プログラムの前にって、決めてたんだ』あのとき、彼は確かにそう言った。
少年は任務を強かに利用し、切望した『日常』に舞い戻っていたのだ。
プログラム記録任務を遂行する意思などなかった。
今回の任務は、より自然な記録のために、対象校への事前潜入が織り込まれており、弦は一年ほど前から有明中学校に潜入していた。
彼は、その潜入期間を楽しむだけ楽しんで、プログラムの直前に自決するつもりだった。
遅れて、鈴木弦が続けた台詞の重みを知る。『楽しかったぁ。……短かったけど、ほんっとに、楽しかった。楽しすぎて、延ばし延ばしにしてたら、プログラムが始まっちゃった』思い切りのいいはずの彼がプログラム前に幕を下ろすことができなかった、その重み。
そして、最期の台詞。
『俺たちは、試されている』
政府などではない。もっと大きな物、形のない大きな物に、弦は試されていた。
また、そのことをちゃんと理解していた。
名河内十太に殺された水嶋望も理解していた。
そして、彼らなりの回答を指し示した。
ふっと、間刈晃次のことを思い出す。混乱し襲ってきたところを返り討ちにした小柄な彼。大人しく不器用な晃次は、三上真太郎らのからかいの的になっていた。俯いて生きているようだった彼が、最期に見せた微かな笑顔。
……あいつもきっと。あいつもきっと、何かをつかんだんだ。
一般生徒も兵士も垣根なく、何かに試されている。そして、意識無意識に答えを出している。
……ならば。ならば、オレは?
オレは何を試されている?
わからなかった。今までと同様、わからなかった。だけど、その影は見えるような気がした。五里霧中ではない。やがて霧は晴れるであろう。そんな確信。
それは、この任務で様々な経験をし、思いを抱き、そしていまBスポットに立っているからだろう。『ダンデライオン』の世界に立っているからだろう。
平凡で、平穏な日常。
だけど、その日常はごく簡単に奪われる。
だからこそ、人は大切に思い、焦がれるのだ。何かを誤魔化してでも、すがろうとするのだ。
そう、思った。
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