<滝口朔>
滝口朔は腐葉土の地面に膝をつき、水嶋望の瞳に手を置いた。
目を閉じさせ、両手を胸の前で組ませる。高橋由眞も同様の格好をさせた。
雑木林、でたらめに伸びた枝葉の隙間から、月明かりが白く落ちてきていた。その光を両手で掬うようにしてから、彼女らに向かって手を合わせる。
鈴木弦は、俺たちは試されていると言った。
水嶋望は何を試され、どんな答えを得たのだろうか。
碓氷ヒロと名河内十太の姿はない。望が死んですぐに立ち去った。余計な戦闘を避けたのか、興が削げたのか、判断は付かない。
……右手は仏、清らなことの象徴で、左手は自分自身、不浄さの象徴なんだよ。両手を合わせることで、合掌することで、清浄と迷いの世界が一つになるんだ。
ふと、誰かの言葉を思い出す。
ややあって、シーンとともに誰の言葉だったかを思い出した。
大神監視官だ。
大神は、朔の日常生活を監視するために派遣された上官だ。長身の男性で、一つ一つのパーツがはっきりした彫りの深い顔立ち。
その、大神の顔が頭に浮かぶ。
朔たち兵士四人は、より自然なプログラム記録のために、一年ほど前から順次有明中学校に転校生として潜入させられていた。
個別の家庭設定もあり、朔は世間的には『兄』の大神と二人暮らしをしていることになっている。
大神は気安い性格で、監視官というよりは、歳の離れた兄のように接してくれている。
朔は幼いころには両親と死別しており、家族の記憶が無い。偽りではあるが、朔にとっては初めて得たも同然の家族だった。
この夏に、大神に誘われて大河と三人でキャンプに行った。
神崎高原リゾートという長野県にある保養地で、陸軍駐屯地が間近にある。軍が運営に一枚噛んでいるそうで、その関係で安く泊まれた。
彼はときどき、何も無い空間に向かって手を合わせていた。
それまでは不思議に思いながらも踏み込めないでいたのだが、キャンプの夜が垣根を下げたのか、どうしてそんなことをするのか訊けた。
そのときに、合掌の話をしてくれたのだ。
「他人に合掌することは、その人への尊敬の意になるし、それがもし亡くなった人であれば哀悼の意になるんだ。……まぁ、感謝だとか、お願いだとかの意味でも使われてるけど。謝るときも両手を合わせるね……あ、そうだ。タイ国では『ワイ』って言うらしいよ。やっぱり敬意を表してる。でも、向こうでは、大東亜共和国のような感謝とかの意はないんだ。似たような動作なのに、使われ方が違うのも面白いね……」
多くは語らなかったが、大神は弟をプログラムで亡くしたらしい。
あのときは、大神がキャンプに連れて行ってくれたのは、クラスに馴染めていない朔を監視官としてフォローするためだと思っていた。
しかし今は、複雑な意図などなかったのではないかと思う。
「……哀悼」
驚きをこめて、口に出す。
朔は、いま自分が他人の死を悼み哀しんでいるんだと悟り、驚いていた。
そして、このプログラム中に感じていた疑問がいくつか解けた。
崎本透留の亡骸を放置して立ち去ろうとした朔に、中村大河が憤り突っかかってきた理由。
透留の亡骸を前に争う朔と大河を見て、鈴木弦が涙した理由。
間刈晃次に襲われ、彼を殺してしまった朔が「正当防衛だ」と言った時に、大河が身体を震わせて「なんか嫌なんだよっ」と返した理由。
「そう……だったのか」
様々なことが腑に落ちた。
煎じ詰めれば、自分は他人の死を悼むべきだったのだ。
そうすれば、大河を憤らせることは無かったし、鈴木弦を哀しませることはなかった。もしかしたら、間刈晃次を殺さずにすんだのかもしれない。
そして今、ごく自然な気持ちで水嶋望らの死を悲しみ、悼んでいることに気づく。
「そうだった……んだ」
繰り返す。
「そう……だったんだ、な」
三度繰り返し、横たわる水嶋望に視線を投げかける。
血にまみれ泥に汚れ、事切れた少女に投げかける。
その無残な姿にそぐわず、彼女の表情は穏やかで、微笑んでいるようにも見えた。
続いて、残る疑問の答えもごく近くまで来ていると感じた。
鈴木弦が投身した理由。
一度はプログラム任務を受命した彼が、なぜ任務半ばで死を選んだのか。
彼が任務よりも大切にしていたものが何なのか。
*
「朔……」
気が付けば、背後に中村大河がいた。銃声を聞きつけてやってきたのだろう。
朔よりの頭一つ低い、細身。丸顔に、茶の入った長い髪がかかっている。鳶色の丸い瞳が、望たちの亡骸を捉えていた。
「朔がやったの?」
口調から、殺害ではなく弔いのことを訊かれていると分かる。
「ああ」
照れくさく、うつむき加減に答えた。
大河の瞳を真正面から見ることが出来ない。
きっと彼は、望たちの死を哀しみつつも、プログラムの現実に震えつつも、朔の変化を喜んでくれているだろう。
大神の存在も感じた。合掌の意味を教えてくれたのは彼だ。彼もまた喜んでくれるに違いない。
それが気恥ずかしくて、少し情けなくて、だけどなんだか嬉しかった。
ふと、足元の植物が小さな蕾をつけていることに気が付く。
何という種類かは分からなかった。
両手でくるめるほどの小さな株で、茎は短く、ぎざぎざの葉が地面に水平に広がっていた。蕾は黄色だ。
「……蒲公英」
「え、何? 朔、何か言った?」
「いや、なんでもない」
茎から下と花の色が、ちょうど蒲公英のようだった。
ただ、花の形が……今は蕾だから判断が付きにくいが……違うし、そもそも秋も終わりの今、蒲公英が咲くはずもない。
名も無い花。
名も無い花が開こうとしている。
そう思うと同時、鎖島に来てから今まで草木に気を向ける余裕など無かったことを知る。そして、自分自身の変化とやがて来る開花が重なって見えた。
遅れて、あまりに自分らしからぬ思考に、「柄でもないな」朔は苦笑した。
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