<水嶋望>
やがて口を切ったのは、名河内十太だった。
「昔さ。昔、紅実と俺がまだ小さな子どものころ、俺んちでハムスターを飼ってたんだ」
「は?」
十太の唐突な話の展開に、朔がぽかんとした反応を返す。
基本的に人付き合いの悪い朔のこと、クラスでは名河内十太とはほとんど関わりがなく暮らしていたはずだった。
十太独特の話の流れに、ついていけないのだろう。
「ハムって名前で。可愛くてさ、二人で大事に育てた」
十太と西塔紅実が遠縁の関係で幼いころから親しかったことは、よく知られたことだ。そのせいか、十太は特に補足を入れなかった。
「よくある鳥かごのようなゲージじゃなくて、部屋の一角を囲って飼ってたんだけど、あるとき、紅実がそこにクロを入れたんだ。ああ、クロは当時紅実んちで飼ってた猫なんだけどさ。黒猫だから、クロ」
「安易だネ」
「うちの親族の命名法は、単純明快が身上なんだ」
ヒロと十太が、場に合わない軽口をたたきあう。
「まぁ、とにかく。まだ穢れを知らない、いたいけな少女だった……いまのあいつからは想像もつかないけど……紅実は、クロとハムの同居を試みたわけだ」
皮肉を交えた茶化したような物言い。
「紅実としては、二匹仲良くってつもりだったんだろうけど……まぁ、結果はご想像の通りで。紅実が自己責任自己責任言うのって、あれが元なんじゃないかなって思う」
たしかに、紅実は『自己責任』という言葉を好んで使う。
雑な知識できのこを選り分け、結果毒にあたった凪下南美らにも、そう言い放ったらしい。
「悲劇的だな」
銃を構えたまま、朔が皮肉げに言う。
血にまみれて倒れる二人の少女。銃やサーベルを構える三人の少年。
この状況に似つかわしくない思い出話に、半ばあきれている風だ。
「名河内は? 君はどうだっタノ?」
「俺? 俺は……クロに、旨かったかい? って訊いたよ。ハムは可哀相だったけど、猫はそういう生き物だもの。仕方ないじゃん」
冗談とも本気とも取れる表情。
「ちなみに、旨いのかい?」
碓氷ヒロに聞き返す。
彼は少なくとも崎本透留を殺害している。クラスメイトを殺したことへの面当てなのだろうか。
これに、ヒロは肩をすくめ、唇の端をあげる。
「て、話がずれた」
「何がいいたい?」
滝口朔が問いを投げる。
本来、のんびり話しているような状況ではないのだが、十太とヒロのペースにすっかり巻き込まれている。
「……まぁ、そういうことだよ」
十太の〆の台詞に続くように、「僕は、こんな感じカナ」碓氷ヒロが歌いだした。
「軍歌……」
朔が驚いたような声を上げる。
それは、大東亜共和国軍歌だった。
この勇ましいマーチを、望は子守唄代わりに聞いて育った。
薄れ行く意識の中、兵士であることがばれたのかと懸念するが、「なんか、水嶋さんみてるト、こんな感ジ」ヒロの台詞から、悟られていないと推察できた。
単純に、彼の持つ軍部へのイメージと望とが被るようだ。
「お前ら、何がしたいんだ」
朔は惑っていたが、望には分かっていた。
十太の昔話も、ヒロの歌も、さきほどの『私、間違ってる?』という望の問いへの返答なのだ。
……ハムは可哀相だったけど、猫はそういう生き物だもの。仕方ないじゃん。
十太の台詞が言葉を変え、胸の奥に染み入ってくる。
……高橋さんは可哀相だったけど、君はそういう人だもの。仕方ないじゃん。
「あのとき、クロは、ほろほろ泣いてる紅実を横目に、毛づくろいに勤しんでたよ」
だって、猫はそういう生き物だから。
「私、は」
声帯を叱咤し、声を押し出す。
自分のことながら消え入りそうではあったが、彼らに届いているようだ。
「私は、そこ……まで、思い切れ……な、い」
開き直られては、殺された高橋由眞はたまったものじゃないだろう。
「俺は、人はもっとクロになればいいと思うよ。そのほうが刺激的だしね」
鎖。
このプログラムが始まる前のこと、滝口朔は強制仕官制度を指して、そう言っていた。
彼は、その呪縛から逃れようと、必死にもがいている。
その姿は、羨ましくもあった。
望とて、縛られている。それが何であるかは、十分に分かっているつもりだ。
だけど、結局のところ、滝口朔のように脱出しようとは思えなかった。高橋由眞の口を封じた今となっては、自分からより深みに入ったといえる。
この間も碓氷ヒロの軍歌は続いていた。適当に歌っている風ながら、しっかりと音程が取れている。
幼いころから訊き馴染んだ歌を聴きながら、ゆっくりと目を閉じる。
……私への葬送曲として、これ以上ふさわしいものはない。
不思議に、気持ちは落ち着いていた。
任務との向き合いに迷い波打っていた心の湖は、由眞殺害を経て、一時嵐の海のようになっていた。
その嵐が急速に収まっていく。
黒雲は去り、雨風はやみ、湖面は静けさを取り戻す。
酷いことをしていると、思った。
最大の禁忌を犯したのに。なのに、心が穏やかになっていく。
そして、朔に少しの懸念も抱いていないことに気が付いた。
この男なら、何があっても、キャンプ地をヒロたちにばらさない。所属陣営……あえてこの言葉を望は使い続けた……を危険に晒さない。
……信頼。
「ああ……」
嘆息する。
……私は、この男を信頼している。この私が、他人を信頼している。
父親が失脚したとき、周囲の人間は潮が引くように去っていった。その経験からか、望はすっかり冷めたペシミストになっていた。
……その私が、人を信じている。
と、様々な場面が、そのときの気持ちを伴って心の湖に流れ落ちて来た。
舞い散る花びらのように、ひらり、ひらり、落ちて来る。
水嶋家の復興を夢見て、士官学校に入校した。
その直後、滝口朔を初めてみたとき、なんて愛想の無い男だと思った。
プログラム任務の話がきたとき、これ以上ないチャンスだと思った。
そして、朔も同じ任務に就くのだと知り、驚いた。
やがて、場面は色合いを変え、プログラム中の映像のひと欠けになる。
朔と合流したとき、正直なところほっとした。
鈴木弦の投身を一緒に見たとき、弦の気持ちを推し量れない、そんな風に育ってしまった朔を気の毒だと思った。
Dスポットが土砂に押し流され海へ消えたときは、恐怖に身体が強張った。
海難した中村大河を救おうと朔が危険を省みず海へ入ったときは……なんて無茶をと憤りながらも……心が震えた。彼の心の変化に、素直に嬉しさを感じた。
すっかりぼやけてしまった視界の先、不安そうな滝口朔の顔が見える。
未熟で不器用な、朔。その瞳には涙が浮かんでいる。望が死に行くことを哀しんでくれているのだ。
ふっと心が温かになり、彼のことを案外気に入っていたのだと、知る。
恋愛感情ではない。
これは……何だろう?
よく分からなかった。
分からなかったが、心地よかった。
ひらり、ひらり。滝口朔が涙ぐむ様子が、花びらと一緒に落ちてくる。
彼は変化した。
私は変われなかった。
……ほんとに? ほんとに、少しも変われなかった?
分からなかった。分からなかったが、湖面を埋める最後の場面が彼で良かったと、思う。
そして彼女は事切れる。
−高橋由眞・水嶋望死亡 18/28−
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