<水嶋望>
疑問はすぐに氷解した。ナイフの柄を握っているのは、倒れていたはずの名河内十太だ。
中腰の体勢。
額にうっすらと汗をかいているが、口元に笑みがある。
彼の緊張感と高揚感が伝わってきた。
十太の唇が動き、「油断大敵」軽い調子で言う。
そして、ゆったりと立ち上がった。右腕を軽く回した後、乱れていた髪を整えなおす。その所作は、いかにも洒落者の十太らしかった。
切れ上がった瞳に、通った鼻梁、浅黒い肌。髪は短く、形の良い額があらわになっていた。
その彼が、碓氷ヒロのほうへ歩いていく。
「ありがト」
ヒロはヒロで近づいてきていた。
傷口から流れた血が、ナイフを紅く染める。
全身の力が急速に失われた。その中、心臓のポンプだけは活発に動き、どっどと心拍があがる。皮膚の感覚が腹部の傷に集中し、逆に、他の部位の感覚が薄れていく。
腹部の傷から、ぼたぼたと血が流れていた。
「どう……して」
崩れ落ちつつ、もう一度問う。
ブナや樫の木に覆われた雑木林の間にぽっかりと開けた空間、望は高橋由眞と折り重なるように倒れている。
そこから2メートルほど離れてヒロと十太が立つという構図となった。
……碓氷ヒロと名河内十太が組んでいた?
うつぶせに倒れ、頭だけを上げた体勢で、思う。
しかし、十太は明らかにヒロに傷つけられていた。
傷口からは真新しい血が流れており、特に腕の傷は深かった。これがフェイクだとは思えない。
「こういうのも、アリだネ」
「な、俺を殺さなくて正解だったっしょ? このゲームでは、誰かと一緒のがいいんだ。協力体制万歳。敵対国家が手を握る。呉越同舟。平和的解決。次の一太刀をやめることで生まれる愛もある。ラブアンド、ピース。ラブアンド、ポップ。愛は地球を救う。愛という名の同盟。……そんで、このほうが、いろんな意味で刺激的」
十太の口が滑らかに動く。
……べらべらとよく喋る男だ。
適当に言葉を繋いだだけとも取れる台詞。
一度は戦闘になったが、十太がヒロを説得し、同盟を組んだのだと聞き取れた。
十太の胸元と左腕の傷から、赤い血が流れ続けている。
傷害の加害者と被害者が話すという、緊迫したシチュエーション。
しかし、ヒロと十太のキャラクターゆえだろうか、二人の間にはどこか間延びした雰囲気があった。
彼らの関係の意外さに、目を見張る。
十太が無傷で現れたのなら違ったが、重傷を負っていたことで警戒心を解いてしまった。
自らの傷をも策とした十太に舌を巻き、己の油断を悔やんだ。
と、唐突に、十太が「碓氷、万人という言葉を知ってるか?」始めた。
「ん、何のこト?」
「万人は徒党を組むから、万人という」
「なんか、違わくナイ?」
「人は徒党を組む。単位はたくさんあるよね。労働組合、市民団体。友だちグループ。とにかく、人は徒党を組む。人は一人では生きていけないから。互いに支えあっていくものだから。一人は皆のために、皆は一人のために。人という字は……まぁ、いいや」
十太は両手を胸の前で広げ、流れるように話す。
まるで、政治家の演説のようだ。
そして、「……高橋も水嶋も軽装だ。どこかでキャンプしてるんだろ? 他に仲間は?」最後にずばりと訊いて来る。
長い前振りだったが、要は最後の一言が言いたかったらしい。
回りくどいが、なかなかに鋭い。
ヒロは気づいていなかったようで、「へぇ、名河内クン、頭いいネ」と感心したように言った。
やや置いて、ヒロは向きなおし、「そのへん教えてくれたら、助けてあげるヨ」今度は望に向かって言う。
語尾が上がる独特のイントネーション。
望は無言を返した。
行きがかり上一緒にいるだけで仲間とは言いがたいが、安全と引き換えに朔たちを売ろうとは思えなかった。
表情から拒否されたことが分かったのだろう。
「仲間は売らない、カ」
ヒロが眉を上げた。
「違う」
理由は、友情だとか倫理観から遠く離れた場所にあった。
水嶋家の今後を考えたからだった。
プログラムの様子は、音声、映像データとして保存される。
助かるにせよ、このまま殺されるにせよ、水嶋の看板に裏切り者のレッテルを貼られることは得策ではなかった。
父親は処刑されてしまったが、兄がいる。また、叔父や甥も軍部の人間だ。それぞれ、望の父親の失脚から側杖を受け、冷や飯食いになってしまっているが……。
自分が無理でも、彼らが奮起してくれれば。
望はすでに一つの可能性として、自身が死んだ後のことを考えていた。
もちろん、最期まであがく。
銃はどこかに行ってしまっていた。
うつぶせに倒れこんだ体勢のまま、ホルダーからサバイバルナイフを取り出し、目前に構える。銃を失った今、このナイフが望の攻守の要だ。
戦意を喪失しない望に驚いたのか、名河内十太がひゅっと口笛を吹いた。
「強いね。紅実とはまた違った強さだ」
感心したように言う。
紅実とは、西塔紅実のことだろう。十太と紅実は遠縁にあたり、幼い頃から見知った仲だということだ。
「まぁでも、キミじゃなくても、大丈夫だかラ」
碓氷ヒロの視線の先は、望のそばに倒れている高橋由眞だ。
気絶していなかったらしい。名を呼ばれた瞬間、由眞の肩がびくりと動き、「ひっ」と短く切った悲鳴をあげた。
あげた顔はすっかり怯えてしまっている。
確かに、望が言わなくても由眞がいる。
また、彼女は性格的にも簡単に仲間を売ることが予想できた。
このとき、望の明晰な頭脳は目まぐるしく動いていた。
「お、教える! 他の子たちのこと、教えるから、助けてっ」
その間に、由眞の懇願が雑木林に響く。
由眞のこの台詞で覚悟が決まった。
すっと息を呑み、サバイバルナイフの柄を握りなおす。
それだけで腹部の傷が痛み、潰れた声が漏れた。
見やると、身体の周りが血の海になっていた。下半身、腰から下の感覚が失われていた。麻痺したようになって、動かすことも出来ない。
……長くはもたない。
認識が気力を削り、視界に朧がかかった。
ぼやけた視界のまま、腐葉土の地面に手をつき、身体を起こす。地を覆う血だまりから、ぬるりとした感触を得る。
そのまま、サバイバルナイフを両手で握り締め、振り上げる。
「何ヲ……?」
ヒロの疑問符。
今から行うことに、きっと彼らは驚くだろう。
だけど……。
望が意を決した瞬間、近くの藪ががさりと揺れた。
「やめろっ」
月夜に響く、誰かの声。
この誰かは望の行動を予期している。
少し驚いた。
まさか、誰かに読み解かれるとは思ってもみなかったのだ。
しかし、だからといって、留める望ではない。
勢いそのまま、高橋由眞に向かって倒れこんだ。
果たして、ナイフが由眞の首筋に突き刺ささった。
同時、肉を切り裂く感触からか、失血からか、吐き気に襲われた。
うつむき、ナイフを握った両手を伸ばした体勢。
目前に、由眞の首から流れた紅い血がじわりと広がってきた。浸食という言葉が浮かび、ぞわりと全身の産毛が逆立つ。
顔を上げると、至近距離、目を見開いて倒れる由眞の姿があった。
苦痛というよりは、不思議そうな顔をして、彼女は事切れていた。
その表情に、少し救われた気持ちになるが、吐き気は止まらない。
どうすることが、陣営の利となるのか。
水嶋家は文字通り国家に身を捧げてきた家系だった。
個を殺してでも、全体を生かす。これが、その一族として、望に染み付いた思考だ。
その思考が、行動をともにしていた朔たちの安全と、彼たちを裏切ろうとしていた高橋由眞とを、天秤にかけたのだ。
天秤は前者に強く傾き、そして望は由眞を殺した。
煎じ詰めれば、朔たち個人を助けようとしたわけではない。
『個を殺してでも、全体を生かした』だけだった。所属陣営全体を守っただけだった。
しかし、罪悪感は重くのしかかってきていた。
「水嶋……」
思いがけない声がした。滝口朔の、歳の割りに大人びた声だ。
そして、先ほどの「やめろ」という台詞も、彼のものだったと気づく。
何度か発砲している。銃声を追ってやってきたに違いない。中村大河らの姿は無く、一人のようだ。
ちょうど、望が倒れているあたりを中間とする形で、朔はヒロたちと向き合っていた。
制服の上から青地のマウンテンジャケットを着込んだ、がっしりとした長身。
艶のある黒髪をわけ、額を出している。
黒目の少ない三白眼に、真一文字に結ばれた薄い唇。
銃を構える姿が堂に入っていた。
一度、静寂があたりを包んだ。
ぴんと糸が張ったような緊張感。
これを崩したのは、望自身だった。
「見て、たんだ」
「ああ……」
どのタイミングからかは分からないが、望が望なりの考えで高橋由眞を殺すところを見られたに違いなかった。
「私、間違って……る?」
ためしに訊いて見る。
言葉を紡ぐことすら億劫になってきており、死期が近いと悟る。
望の問いに、滝口朔は困ったような表情を返してきた。
きっと、何と言っていいのか、分からないのだ。
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