<水嶋望>
と、「ぐっ」斜面の上から潰れた声が聞こえた。
同時に、黒い影が紅い何かを飛ばしながら転がり落ちてくる。潅木が押しつぶされるばきばきという音が響く。
本来なら、すぐに身を構える場面。
また、訓練を受けた兵士として、それだけの冷静さを望は持っていた。
だけど、ほんの少し。ほんの少しだけ、望は対応を遅らせた。
その少しの間を使い、深くため息をつき、軽く目を閉じる。
やがて望が目を開けたとき、小型リボルバー、M360Dはポケットから取り出され、身体はこれからの戦闘に備えていた。
……それでこそ、水嶋望だ。
状況に合わない笑みを確かに浮かべ、望は視線を周囲に走らせた。
「由眞っ」
塩澤さくらが悲鳴を上げる。
落ちて来たのは、斜面の上で栗を拾っていた高橋由眞だった。
胸元をざっくりと斬られている。流れ出る大量の紅い血。
由眞の薄い唇から、ひゅーひゅーと荒い息が漏れている。
様々な種類の樹木が群生する、雑木林。月が出ているとはいえ、暗がりは多い。見たところ、襲撃者の影はなかった。
状況を図る。
由眞の切り傷は、目測70センチほどだ。
相当に長い刃物で斬られたことが伺える。崎本透留や間刈晃次の話は滝口朔から聞いている。由眞の傷は、彼らが受けたものと似ていた。
同一人物によるものと判断していいだろう。
そして、その誰かは拳銃を所持していない、あるいは拳銃を積極的に使う意思がないと考えられる。
素人に拳銃の取り扱いは難しい。
望は、その誰かが賢明な判断……内容の是非はさておき……をしていると思った。
気が付けば、塩澤さくらの姿がなかった。
友人の由眞を捨て置いて逃げ出したのだ.。これはこれで、すばやい判断だといえる。
「誰にやられた?」
由眞に確認すると、「碓氷……」と返事があった。
「……碓氷」
碓氷ヒロ(崎本透留を殺害)、童顔で愛嬌のある少年だ。
誰しもが殺人者になりえるプログラムではあるが、彼がゲームに乗ることは予想していなかったので、意外に思う。
斜面の上めがけ、一発撃ち込む。
命中は期待していない。銃を持っていることをヒロに知らせたかったのだ。
崎本透留らに危害を加えた者の正体は分かった。ならば、積極的に争うメリットは薄い。これで退いてくれるなら、それに越したことはなかった。
しかし、右側から藪を掻き分ける音と、人の気配がした。
ばっと向きなおし、M360Dを構える。
銃の扱いは慣れていた。
士官学校でも、射撃の成績は常に上位だった。
これは、望なりの考えもあった。……格闘は、体格の問題もあり、男子官にはどう努力しても及ばない。だけど、射撃なら努力の成果もあげやすいのではないか。
そう考え、射撃練習に励んだものだ。
大口径の銃だと反動に負けてしまうが、この程度の口径銃なら耐えられる自信があった。また、M360Dは軍の配備銃でもある。使い慣れていた。
やがて、藪を押し分けでてきたのは……名河内十太だった。
ひょろりとした長身。日ごろから洒落者だったが、こんなときでも整髪料を使い、短い髪を立てている。その髪が乱れていた。
カーゴパンツに、白地のトーレナーという姿。そのあちこちに紅い血が滲んでいた。
そして……左手の肩から肘にかけてと胸元のあたりを、ざっくりと斬られている。
切れ長の瞳はうつろで、浅黒かった肌が蒼白になっていた。
「助け、て……」
掠れた声を押し出してきたかと思うと、そのまま高橋由眞の隣に倒れこむ。
名河内十太も碓氷ヒロに襲われたのだと判断する。
二人をかばうように前に立ち、銃を構えなおす。
救わなくてはならないような義理はなかった。さくらと同じように逃げ出そうとも考える。
望たち四人の兵士は、記録兵として秘密裏に送り込まれている。
身を守るため、生き残るための行動はある程度の範囲で認められている。積極的にゲームに乗ることは推奨されていないが、殺害も認められていた。
ここで逃げたといって特に問題はないだろう。
しかし……評価。
傷ついたクラスメイトを捨て置いての逃亡が将来的に加点になるか減点になるかを、望は冷静に推し量っていた。
記録兵も記録の対象だ。
プログラム中の望の言動は、粒さに記録されている。
望は軍部での出世、水嶋家の復興が願いだ。
……この状況で尻尾を丸めて逃げ出す上官に、誰かついてくるだろう。戦略的撤退を掲げてもむなしいだけだ。
「気をつけ……て」
十太の掠れた声と同時、10数メートルほど先の藪が動き、碓氷ヒロが現れた。
中背で華奢な体躯。
ぽってりと厚い唇。つるりとした白い肌。決して整っているわけではないが、愛嬌のある可愛らしい顔立ちだ。月明かりの下、丸い瞳がくりくりと動いている。
ヒロは制服姿だった。
返り血だろう、あちこちに血がついていた。
躊躇なく、二回射撃する。
一発目は外れたが、二発目がヒロの肩を掠めた。ヒロと望との間隔は15メートルほど。相当の距離、掠めることが出来たのは、望だからこそだ。
「うワッ」
さらにもう一射。
ヒロの左脚が跳ね上がり、血があたりを染める。
当たるとは思っていなかったのだろう、望の射撃の腕に驚いた様子だ。兵士である望の射撃術は確かだ。
圧倒的優位を感じる。
記録撮影と分析が主な任務だが、戦闘自体が禁止されているわけではない。
必要な場合は応戦しても問題ないと言われている。
これは、応戦すべき場面だろう。
そう判断した。
そして、追撃しようとした瞬間、わき腹のあたりに衝撃を受ける。
唐突な展開。
「え?」
見やると、左腹部にサバイバルナイフが刺さっている。
「……え?」
どうして?
安全は確保していたはずだ。
碓氷ヒロとは距離をとっている。
なのに、なぜ?
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