OBR4 −ダンデライオン−  


034 2005年10月17日20時00分


<水嶋望>


「痛っ」
 栗のイガに刺された指先を恨めしそうにみつめ、「ったく……」塩澤さくらが憎憎しげに毒を吐いた。
 制服の上からダウンジャケットを羽織っており、小太りの身体がさらに膨らんで見えている。
 目鼻立ちも丸く、全体に丸い印象の外見だが、内容物は刺々しい。
「なんで、私ばっかこんな目に」
 ……プログラムで苦労しているのは、皆同じなんだけどな。
 思ったことはもちろん口には出さず、水嶋望は「ほんと、ひどいよね……」さくらに話をあわせた。
 
「凪下だけ休んでてズルいよね」
 斜面の上からやはり尖った声が落ちてくる。
 北の山の中腹あたり。クヌギや杉、栗といった雑木、下生えの草木に覆われている。
 先ほどの声の主は高橋由眞ゆま(新出)だ。
 さくらと似たふくよかな身体つき。顔立ちはさくらと大分違い、細面、切れ長の鋭い瞳の持ち主だ。肩までの髪をさらりと流している。
 二日前、Aスポットの物資開放時に遭遇し、そのまま行動をともにしていた。
 由眞とさくらは同じ美術部で、もともと仲が良かった。
 二人とも似た質で、日ごとからクラスメイトの悪口や噂話に花を咲かせていたものだ。
「ちょっと身体の調子が悪いからって甘えてるのよ」
「ほんとは良くなってるんじゃないの?」
 さくらと由眞の会話に適当に相槌を打ちながら、望は「くだらない」小声でつぶやいた。

 首輪に密かにつけられた超小型カメラのスイッチはオンにしていある。
 撮影記録は、直ちに作戦本部にデータ転送されている。彼女たちの愚かしい言動をせいぜい送ってやるつもりだった。
 彼女たちをたしなめる気はない。どうせ皆、何かしらのことは言われているのだ。
 ……まぁ、表立って私に向かってきたら、全力で叩き潰すけどね。
 望は元軍部高官の娘だ。
 父親が権力争いに破れ、『元』という不名誉な頭文字が付いてしまったが、良家の子女としてのプライドは健在だった。


 キャンプ地にしている沢から少し離れた場所にある雑木林。
 このあたりは栗や柿、自然薯などが野生している。三人で摂りに来ていた。
 残りのメンバーのうち、凪下南美は高熱でうなされており、柳早弥が付き添っていた。男子二人、滝口朔(兵士)と中村大河は、釣り糸を垂れているはずだ。
 スポットで小動物を捕らえる罠も手に入れており、仕掛けてはいるのだが、まだ獲物はかかっていない。獣道やそれぞれの特性の知識が必要なのだろう。
 比較的捕獲容易な魚介類や山菜が食糧の中心になっていた。
 スポットからの獲得物資もあったが、それだけでは心もとなかった。
 
 瀬戸晦(兵士)からBスポットの情報を得てから二日たっていたが、南美の容態がさらに悪化し、移動は延ばし延ばしになっていた。
 そのあたりも、さくらと由眞の不満になっているようだ。
「ねぇ、あんなやつ放っといて、先にBスポットに行こうよ。望から、滝口くんたちに言ってくんない? 望、滝口くんたちと仲いいし」
「でも……」
 あやふやに否定を返す。
 本来の望ならもっときっぱりと断るのだが、クラスで溶け込むために、有明中学校では周囲にあわせている。

 さくらとしては、AスポットからBスポットへ移動する際の危険を懸念しているのだろう。
 ボディガードとしての男子生徒が必要なのだ。 
 高橋由眞はそれほどでもなかったが、さくらは日ごろ南美と親しくしていた。
 ……それが、この有様か。
 憤りや悲しみは感じない。
 ただ、人間なんてそんなものだと、冷めて思うだけだ。
 望の父親が反政府運動者の汚名を着せられ、失脚したとき。それまで彼を取り巻き、おこぼれに預かっていた者たちは潮が引くように去っていった。
 男だろうが女だろうが、大人だろうが子どもだろうが、関係は無い。
 人は等しく、身勝手だ。

 望は、凪下南美をおいてBスポットへ向かおうとは思っていない。
 これは、倫理的にどうとか友だちだからとか、そういった趣旨の理由からではなかった。
 彼女を見捨てることが得策だとは思えないからだ。
 さくらや由眞、人の行動にさほど興味がなさそうな滝口朔はともかくとして、人のよい中村大河や柳早弥には悪印象を与えてしまうだろう。
 また、南美の恨みも買うに違いない。
 大河や南美が他のクラスメイトにそのことを話したら、その印象は広がってしまう。
 このプログラムは三ヶ月と言う長期だ。乗り越えるためには、他の選手の力を借りる場面が必ず出てくる。恨みを買えば、殺される危険性が増す。
 何事も長い目で見て判断しなくてはならないだ。

 もしかしたら、さくららよりも打算的な思考なのかもしれないが、望はそれを恥だとは捉えていない。
 打算だろうが何だろうが、結果として、凪下南美も救われる。
 ……なら、これでいいじゃない?



 望は父親の失脚の側杖を食い、政治犯の血縁者として、強制士官制度により兵役についている。
 幸い専守防衛陸軍士官学校から順を追うことができたが、これは望にとって酷く屈辱的なことだった。
 もともと望は、士官学校へ進む予定だったのだ。
 父親の影響はあるものの、望は自らの意志で軍人になろうと考え、目指していた。
 その矢先の、父親の失脚、家の零落。
 そして、強制士官。
 士官はもとよりの希望だが、それが自由意志であるか強制であるかは大違いだ。
 一般に強制士官者の昇級はある程度で頭打ちになり、受ける指令も危険度の高いものばかりだ。
 望は女性とは言え、家柄的にも能力的にも華々しい未来が約束されているはずだった。
 その自分が使い捨ての駒となることが、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 そこに来た、プログラム潜入の指令。
 生きて帰れば、二階級特進か、強制仕官免除を受けられるという。
 前者を選んだ場合、強制士官経歴も抹消され、一般兵と同等の扱いを受けることが出来る。
 後者の選択肢は望にはなかった。

 もちろん、死の恐怖はある。
 しかし、プログラムから生きて帰れれば、望の夢である『水嶋家の復興』の一歩となる。軍人としてのキャリアにも箔が付くというものだ。
 望には兄がおり、彼ももとは軍部の幹部候補生だった。
 今は閑職に回され、すっかり腑抜けてしまっている。
 ならば、自分が……。

 
 ふと、滝口朔のことを思い出した。
 彼は望とは真逆の理由、兵役免除を目指し、積極的に記録任務にあたっている。  
 朔の両親は政治犯だ。
 彼が物心付く前に捕縛され、母親は処刑、反政府運動に寄与の低かった父親は強制キャンプ送りになったと聞く。
 そして、朔は京都洛南孤児院に送られた。
 どこの国立孤児院も軍部と繋がっているものだが、洛南孤児院は特にその傾向が強かった。
 これもある種の管理実験なのだろう、徹底した実力主義が敷かれていると聞く。
 食事、居室、自由時間。
 優秀な者は、孤児院での全てが優遇され、劣った者はろくな食事も与えられない環境。
  
 送られた孤児院が特殊ではあったが、彼の経歴は大東亜共和国において決して珍しいものではない。
 士官学校にも似たような境遇の者がいくらでもいた。
 また件の孤児院でも、育める友情や交友はあったに違いないが、朔は他人を排除する道を自ら選んだ。結果、友情や愛情、娯楽的な知識などに欠落のある人間になってしまった。
 周囲にいる者はみな敵という状態に自らを追い込んだのは、他でもない朔自身だ。

 だけど……彼の中で何か変化が起きているように、望は感じていた。
 以前の朔ならば、他人を排除し生きていた朔ならば、水難した中村大河を助けようなどとはしなかっただろう。
 また、声高に彼だけの不幸を取り上げるつもりはないが、数年前までは恵まれた環境にいた望から見ると、気の毒に感じる部分も多大にあった。
 だから、朔に変化の兆しが生まれたことは、素直に喜ばしいことだった。
 一般校潜入による学生生活はもちろんのこと、プログラム中の体験や思考が彼に影響を与えているのだろう。
 開催期間が三ヶ月と言う異例の長期であることも幸いしている。
 それだけ、時間をかけて変化できるということだ。


 ……じゃぁ、私自身は?
 考える。
 全てを打算で図り、行動をしている自分にも変化は訪れるのだろうか。
 ここで、望は強く首を振った。
 プログラム潜入任務の成功、水嶋家の復興のためには、変化は必要ない。
 唐突に、『せっかくなんだから、楽しんじゃえよ』どこからか、死んだ鈴木弦の言葉が聞こえたような気がした。
 弦の父親が、望の父親の部下だったこともあって、彼とは強制士官される前からの付き合いだ。
 幼い頃から奔放で自由を好んだ彼。
 プログラムを利用し、学園生活を、当たり前の中学生としての生活を得ていた彼。
 そんな彼が、プログラム早々に命を絶ったのは、至極納得のいくことだった。 
 ……私も、学園生活を楽しむべきだったのだろうか。打算無く、友人を作ればよかったのだろうか。
 しかし、ややあって、望は強く首を振った。
 ……私は、アイツみたくは、なれない。

 これは、迷いなのだろうか。
 自問する。
 鈴木弦は、強かに、そして儚く意思を通した。
 滝口朔は、人との向き合いに変化を生じながらも、一心に強制士官という鎖を解こうとしている。
 外からは、自分も迷い無く任務についてるように見えるだろう。だけど……。

 心の奥底にある、深蒼の湖面が静かにさざ波始めていた。いや、もしかしたら、ずっと前から波は立っていたのかもしれない。
 そう、思った。
 夜空を見上げる。
 枝葉の間から、月星の光が涼やかに落ちて来ていた。
 無性に、鈴木弦や滝口朔、瀬戸晦ら、他の兵士に会いたくなった。
 何を話したいわけでもない。今の惑いを話すつもりなど、さらさらなかった。
 ……誰が、弱みなど見せるものか。
 だけど、顔は見たかった。
 それは望に生じた微かな変化の証だったのかもしれないが、彼女に自覚はなかった。


  
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水嶋望
記録撮影のために潜入している兵士の一人。軍部高官だった父親が覇権争いの中失脚している。任務成功を足がかりに家を復興させたい。