<中村大河>
「じゃ、俺たち、行くな」
佐藤慶介が徳山愛梨の肩を抱きかかえ、立ち上がった。
「……気をつけて」
浜辺の草地に寝かされた体勢のまま、中村大河は望を見送った。
慶介が手を振って返す。その腕には血が滲んでいる。愛梨が強く握り締めたため、彼女の爪で傷つけられたのだ。
数時間前、大河らは、Dスポットの建物が土砂崩れに呑まれ海へ落ちる様を目撃した。
彼女は、そのショックから抜け出せないでいるようだった。
今も目はうつろだ。
慶介といえば、傷に特に頓着せず、愛梨に献身的に接している。
土砂がつけた海の濁りはすっかり消えていた。深い群青色の所々に、波の白が映えている。
慶介らは、もともとキャンプ地にしていたCスポット近くの洞穴に戻るとのことだった。
彼らをサポートするため、瀬戸晦もしばらく付き添うつもりのようだ。
……瀬戸らしいや。
日ごろそれほど付き合いがあったわけではないが、大河は瀬戸晦には大人しく心優しいイメージを持っていた。
混乱状態の愛梨を一人で支えることに不安を持っていたのだろう、慶介も晦の申し出をありがたく受け入れいてた。
「ああ、そうだ」
滝口朔が、立ち去ろうとする慶介に声をかけた。
「Cスポットのどこかに、トランプのマーク、スペードかダイヤのマークがなかったか?」
Aスポット入り口の扉にはクローバーの飾りがあった。海に沈んだDスポットは水嶋望の話ではハートが床板にあしらわれていたらしい。
「さぁ……気にしてみてなかったからなぁ」
と、「あっ」瀬戸晦が口を切った。
「ちょっと前にBスポットにも寄ったんだけど、天窓にスペードの色ガラスが嵌め込まれてたよ。……でも、それがどうかしたの?」
「いや、たいした意味はないんだろうが、少し気になってな……」
良かれ悪しかれいつもきっぱりとしている朔にしてはあやふやな台詞だ。
「ふうん……」
軽く頷きを返した晦が、「ああ、そうだ。凪下さんの体調が戻らないのは、野営のせいもあるんじゃないかな。小康状態んときにでも、Bスポットに移したら?」と言って来る。
情報交換のときに、凪下南美のことも話していた。
「Bスポットに?」
怪訝な表情で朔が訊く。
「なんていうかな……生活」
「生活?」
今度は水嶋望が訊いた。
「うん、そうだ。生活って表現がいいと思う。Aスポットと同じで建物タイプで、布団やベッドもあって、そこで生活することを想定した作りだった」
「へぇ……」
Aスポットは、寝泊りに向いた内装ではなかったし、水嶋望の話ではDスポットも似たような状態だったということだ。
ロッカー状のCスポットはそもそも生活不能だ。
これが、最初の説明にあった『スポットごとの特性』の一つだろう。
「Bスポットの連中、友好的だったし、受け入れてくれるよ」
瀬戸晦の話によると、数人が集まって生活しているそうだ。
「……生活」
その言葉の重みを改めて感じた。
プログラムより前の生活が、ひたすらに安泰だったとは言えない。中学三年生なりの悩みもあったし、誰かと諍いになることもあった。
だけど、家に帰れば暖かい布団があり食事あり、清潔な衣類があった。
部活動、期末テスト……。
親と旅行に行くような年ではなくなっていたが、たまに朔たち友人と遠出することもあった。
脈絡もなく脳裏に浮かぶ数々のシーン。当たり前だと思っていたその一つ一つが稀有であったと、大河は思い知らされていた。
「……Bスポットはまだ一度も禁止エリアに入ってないな」
ぽつりと呟くように朔が言う。
「今回も入ってない」
地図を眺め、水嶋望が追随した。
そして、大河を見やり、「中村、少ししたら自分の足で歩けそう?」訊いてきた。
「うん、大丈夫」
Dスポットが海に呑まれた直後、海に漂う人影を見つけ、思わず助けに飛び込んだ。
しかし、その誰か……Dスポットに立て篭もっていた三上真太郎らのうちの誰かだったのだろうが……を助けることは出来ず、大河自身が溺れるという二次遭難を引き起こしてしまい、結局、滝口朔に助けられる展開になってしまった。
その後の朔たちの迅速な応急処置のおかげで後遺症も残らずにすんだ。
まだ回復には至っておらず、浜辺の草地に寝かされてはいるが、立ち上がれないほどではなかった。
「私、先戻って準備してる。Bスポットに凪下を連れて行こう」
「そうだな……」
朔の頷き。
これは、プログラム中の記録・首輪に隠されたカメラによる撮影を指令されている朔や望たち兵士の都合もあった。
Bスポットにある程度の人数がいるのなら、誰かがもぐりこんだ方がいいのだ。
兵士の一人である瀬戸晦が佐藤慶介らについて行ったのも、そのあたりの事情もあった。
……もちろん、大河にはあずかり知らぬ話ではあったが。
*
ややあって、大河はふっと口を開いた。
「あのさ、さっき、どうして助けてくれたん?」
「ん?」
朔自身も命を落とす可能性は十分にあった。
危険を押して海に入ってくれたことを感謝するとともに、疑問を感じていた。
朔は基本的にクールな性格だ。
また、プログラムが始まって以来、その質は強まっている。
大河は、朔のクラスメイトの死に対する冷淡な態度に憤りや畏怖を感じていた。彼が崎本透留の亡骸をぞんざいに扱ったときも、襲われ仕方がなかったとはいえ間刈晃次を殺したときも、食って掛かったものだ。
その朔が身を挺して命を救ってくれたのだ。
単純に、不思議なことだった。
「なんか」
返事は、朔にしては幼い言い回しから始まった。「なんか、身体が勝手に動いてた」
「そか……」
朔らしいと、感じた。
そして、朔が嘘偽り無く話してくれていると思った。
友だちだからだとか、当たり前のことをしたと答えられたら、作り物めいて感じてしまったに違いない。
「ありがとう」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとう」
心の底からの礼。
滝口朔が助けてくれなければ、中村大河はこの場に生きてはいない。 それは、事実だった。
プログラム。どうしようもなく残酷でやるせない現状ではあるが、大河は生を諦めていなかった。
「でも。でも、俺さ、海に飛び込んだこと、後悔してない。……結局助けられなかったけど、溺れちゃってサクに迷惑かけたけど。……でも、後悔してない」
そんな大河の言葉に、朔が右の口角を上げ、への字口を作る。しかし、その瞳は穏やかだった。
「水嶋も、ありがと、な」
少し距離を開けて座っている水嶋望にも声をかける。
迷彩柄の戦闘服に身を包んでおり、ショートカットの黒髪をやはり迷彩柄のキャップにまとめ入れている。形のよい額を出、きりりとあがった太い眉が凛々しい印象を増さしていた。
「……ほとんど滝口がやってくれたから」
ややあって、望が答える。
おや、と眉を上げる。大河が声をかけたとき、彼女もまた穏やかな顔をしていた。そして、その視線は朔にあったように思えたのだ。
その表情に、身覚えがあった。
大河には、悠子という名の歳の離れた姉が一人いる。
共稼ぎで忙しい両親に代わって大河を育ててくれたのは、彼女だった。
彼女は、時に母となり時に父となり、大河の世話をしてくれた。弟から見ても出来た人で、色々気苦労もあるだろうに、大河を可愛がってくれている。
見覚えがあったのは、まさしくその悠子が大河を見る視線だった。
打ち合わせどおり、水嶋望は先に北の山へ向かい、浜辺には大河と朔の二人が残された。
「勇ましいな」
小さくなっていく望の背を眩しげに眺め、朔が呟く。
「え?」
「いや、あいつも一人で動くのは恐ろしいだろうにな、って思っただけだ」
彼らしからぬ台詞に目をむく。しかし、朔が望を気遣ったことに、大河は素直な嬉しさも感じていた。
知らず、微笑んでいたらしい。
「なんだ、その気持ち悪い笑顔」
「わ、ヒドイ」
くすくすと笑いあう。そして、こんな笑い方をする朔を見るのは初めてだということに気が付いた。
……うん、いい傾向だ。
頷く。その様子を、朔が不思議そうに見やってきた。
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