<滝口朔>
徳山愛梨
の悲鳴。
やけにクリアに聞こえると思ったら、いつの間にか雨脚と風が弱まっていた。
滝口朔は、轟音とともにDスポットが海へ消えていく様を、呆然と見つめていた。
渦巻く海は建物を呑み込み、多量の土砂で赤茶に濁される。
水位があがったような錯覚を受けた。
渦の勢いは割合に早く弱まった。呑み込みきれなかった瓦礫や木材の破片が波間に浮かび、逆さになった樹木が浮かぶ。
もともと簡素な建築だったのだろう、Dスポットは根こそぎ海へ押し出されていた。元あった場所には、乱暴に掃かれたような跡だけが残っていた。
その後方には崩落の爪あとが残る斜面。
横幅10メートル、斜高10メートルほどが削られ、色鮮やかな土肌が露出していた。
膝を突き、泣き叫ぶ愛梨。
「大丈夫、大丈夫だからっ」
愛梨と交際している佐藤慶介が、彼女を包み込むように抱きしめた。
水嶋望と瀬戸晦は、言葉も無いようだった。それぞれ、目を見開き立ちすくんでいた。
「なぁ、あれって……」
晦に話しかけると、華奢な肩がびくりと上がった。
「え?」
「土砂崩れの前に、斜面の上で爆破があったように見えたんだが……」
「えええ?」
気が付いてなかったらしく、晦は丸い目をさらに丸くした。
「誰かが、土砂崩れを誘発させたってこと?」
腕を組み問うてくる望に、頷いて返す。
「いったい誰が……?」
晦の粘ついた声。
「分からない」
朔たちは、桐神蓮子の存在に気が付いていなかった。
と、「あっ」それまで黙っていた中村大河が驚いたような声をあげた。
「あそこっ」
彼の指差す先、10メートルほど先の海面に、黄色の何かが見えた。
浮かぶ黄色は、衣類のようだった。誰かが海面に漂っている。Dスポットに立てこもっていた三人のうちの一人か。
一拍置いて、大河が海に駈け入った。
「た、大河っ」
慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。
ぞくり、背中に氷を当てられたような感覚。全身が総毛立った。
水難事故において、救助者が命を落とす二次遭難のリスクはきわめて高い。
この状態の海に飛び込む大河の行動は、無謀としか思えなかった。
……どうする?
迷う、迷う。
その間に、大河の頭が水面から一旦消え、再び現れた。
やはりというか当然というか、まともに泳げていないのだ。
浮かんでいた黄色は、既に消えていた。
朔は大きく嘆息つき、「ああ、畜生!」一声、吼えた。
上着を脱ぎ、上半身裸になる。
そして、「おい、借りぞ」佐藤慶介からライフジャケットを受け取る。
「滝口……?」
「無茶だよっ」
何をしようとしているか分かったのだろう、水嶋望と瀬戸晦がそれぞれに惑い声をあげる。
防衛陸軍士官学校で、水難救助法や心肺蘇生法の講習は受けている。
水難救助の基本は岡からの救助だが、手近にロープなどが見当たらなかった。水に入るしかなさそうだった。
さらに大事なのは、救助者、水難者ともに浮力を得ることだ。
混乱し暴れる徳山愛梨を抑え、彼女からもライフジャケットを借り受ける。半ば奪い取る形になった。
この海釣り用のライフジャケットは、Dスポットの初回支給物資に入っていたそうだ。
……政府はこの展開を予期していたのだろうか?
ふと考える。
三方が斜面や海に面した、立て篭もりやすいスポット。
しかし、背にする斜面は脆く、建物自体はろくに固定されていない。
親しくしていた中村大河と開始早々に遭遇したことに作為を感じたが、これも作為の一つなのだろうか。
ありえそうだった。
政府としても、一つの可能性として設営したのだろうが……。
その可能性に気が付いた人間が、瀬戸晦以外にもいた。そして、彼もしくは彼女は実行に移した。そういうことなのだろう。
驚いていた。
政府のやり様ではなく斜面に爆弾を仕掛けた者に、朔は愕然としていた。
その人物は、確実にクラスメイトなのだ。
いつのことだったか、プログラムよりも以前に、朔は大河が「このクラスはいいクラスだ」と言っていたのを聞いたことがあった。
粗野な振る舞いの目立つ三上真太郎ら、人の悪口ばかりな塩澤さくららなどもいるが、彼らは積極的な虐めはしていなかった。
たしかに目立った争いのない、穏やかなクラスだった。
その中の誰かが崎本透留を殺し、また別の誰か……あるいは同一人物が三上真太郎らを殺した。
人間なんてそんなものだという冷めた思考の中、なにか疼くものを朔は感じていた。
ライフジャケット同士をホルダーにつなげ、朔は一度大きく息を吸い込んだ。
「強制はしないが、良ければヘルプしてくれ」
望と晦に声をかけ、朔は海に駆け入った。
それどころではないからだろうか、水の冷たさは感じなかった。
このあたりは近深い。砂地は落ち込み、すぐに足が付かなくなり、全身が海水に浸かった。
これまでにも多くのクラスメイトの死を見てきたが、悲嘆はなかった。
Dスポットが土砂に呑まれたときはさすがに驚いたが、三上真太郎たちの安否を気遣うようなことは全くなかったものだ。
だけど、大河の死を予感した今、朔は彼を助けようとしていた。
……どうしてだろう。
荒れ狂う海を進みながら、考える。
しかし、答えは見えなかった。
*
泳力を維持するための脱衣、浮力の確保、補助者の確保。
それぞれ一瞬の判断だったが、やれるだけのことはした。
問題はここからだ。
救助は背後から、とはよく話だが、実際は遭難者が抱きついてこようとするため難しい。
大河は、波間で浮き沈みを繰り返していた。
相当に水を呑んでいるに違いない。
立ち泳ぎの状態で「大河っ」声をかける。朔も水を呑み込み、むせた。
ホルダーにつけていたもう一着のライフジャケットを、大河に投げ渡す。
「それにつかまれっ」
海の中、ジャケットを着込むことは難しいだろうが、抱えれば浮力となる。
聞こえたのか、ただ単に何かにすがろうとしたのか、大河はジャケットを掴んだ。
「よし、落ち着け、もう大丈夫だ」
ここで初めて、大河が朔のほうに向き直った。
その目が大きく見開かれる。
ややあって、幼い丸顔に、泣き笑いのような表情が生まれた。
これを多少は落ち着いたと判断し、朔は泳ぎを進め、大河の肩を持った。
「抱きついてくるなよ、オレが泳げなくなる」
しかしこの台詞を聞かせることはできなかった。先ほどの泣き笑いを最後に、大河は意識を消失したようだった。
再び、恐怖に襲われる。
自身の水難の危険性ではなく、大河に迫る死に恐怖していた。
水嶋望らの声を頼りに、横泳ぎの要領で岸へ向かう。
浜に近寄ると、半身が浸かるところまで海に入った瀬戸晦が引き上げてくれた。
士官学校で鍛え抜かれた身体と体力だが、さすがにこたえた。砂浜に一度身体を投げ出す。しかし、すぐに起き上がった。
次は心肺蘇生だ。
望や晦も同じ兵士だ。
さすがに落ち着いており、意識確認や気道の確保を始めていた。
「意識、呼吸なし」
望の言葉に、息を呑んだ。
呼吸停止から2分の人工呼吸した場合の蘇生率は90%だ。5分後で25%、10分後ではほとんど蘇生の可能性は無くなる。
また、3~4分、脳に酸素が送られない状態が続くだけでも、重大な障害が残る場合がある。
事態は一刻を争う。
心肺蘇生は二人組み以上で行うことが望ましい。
幸いといっていいだろう、この場には兵士が三人も揃っていた。それぞれ、各種緊急救命の実技を身に着けた成績優秀な学兵だ。
「三人もいるんだっ、助けるぞ!」
朔の語気に、残り二人が頷く。
まずは水嶋望が心臓マッサージを行い、朔が人工呼吸を行うこととなった。順次入れ替わる形だ。
大河を仰向けに寝かせ、その額に片手をあて、あいた手で顎先を持ち上げ気道を再度確保した。
伝わる大河の体温があまりに低く、恐怖を重ねたが、朔の動きは滞らなかった。
そのまま流れるような動きで大河の鼻をつまみ、息が漏れないように大きく口を開けて彼の口を覆う。そして、二秒を数え息をゆっくりと吹き込んだ。
これを二回繰り返す。
次いで、望が心肺蘇生法に入った。
「1、2、3、4……」
大河の胸の中央、胸骨のあたりを組んだ両手で小刻みに圧迫する。
30を数えたところで入れ替わり、朔の人工呼吸。
2回の人工呼吸と30回の胸骨圧迫を4回繰り返したところで、大河が水を吐き出した。
「よしっ」
もう一度人工呼吸をする。
これを契機に、さらに大河は水を吐き出し、咳き込んだ。
「朔……?」
大河の鳶色の瞳が薄く開かれ、青ざめた唇から掠れた声が漏れた。
表情が次第にはっきりとしてくる。
「ああ、もう大丈夫だ」
「ひどいや、ファーストキスだったのに」
大河の口角があがり、弱弱しいながらもいたずらっ子のような笑みが生まれた。
一瞬、虚をつかれる。
「……バカヤロウ」
あまりの困憊に朔は浜に座り込んでいたが、その身体がゆっくりと傾ぐ。そのまま大河の隣に横倒しになった。
腕と腕が触れ合う。
海で冷やされたはずの大河の肌から熱を感じた。
……生きている。
そう思った。
大河だけでなく、自らの生をも感じた。
見上げた空。
いつの間にか雨はやみ、雲間から朝の太陽が覗いている。
落ちてくる日差しが心地よかった。
握り締めていた右手を空へ突き出し、軽く開く。
手のひらの中に、大河を助けるために飛び込んだ海で掴んだ大切な何かが、光り輝いて見えた。
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