<曲刈晃次>
「ペトルーシュカ」
唐突に、碓氷ヒロが言った。
雨で艶を増した厚い唇に、奇妙な色気を感じた。
「え?」
「キミはまるデ、ペトルーシュカだ」
ヒロが片手で、リモコンのようなものを操作する。
とたん、ヒロのリュックに掛けられていた音楽プレイヤーからメロディが流れ始めた。外部スピーカーに設定してあるのだろう。ピアノ曲のようだった。
アップテンポではあるが、悲哀を帯びたメロディ。
その旋律と曲名に、聞き覚えがあった。
ヒロの家に遊びに行ったときに、曲の背景とともに聞かされたことがあった。
彼は吹奏楽部で、クラシック音楽への造詣が深かった。
そのレクチャーのほとんどは、クラシックに興味のない晃次には退屈なものだったが、『ペトルーシュカ』はその独特の曲調とストーリーが印象に残っていた。
ロシアの作曲家、ストラヴィンスキーの作品で、バレエオーケストラをピアノに再現した編曲のため、多彩で複雑、非常な難曲だそうだ。
おがくずの身体を持つ風采の上がらない道化人形、ペトルーシュカが主役。
主な登場人物は人形遣いに、彼が操る、三体のパペット……ペトルーシュカ、可憐なバレリーナ人形、荒くれ者のムーア人だ。
パペットたちは、それぞれ人形遣いに命を吹き込まれる。
愚かでこっけいなペトルーシュカはバレリーナに恋をし、やがてバレリーナの恋人のムーア人に刀で斬り殺され、仮の生を閉じる。
悲哀に満ちた物語だった。
「さしずめ、ボクはムーア人かナ」
ヒロはそう言うと、サーベルを持ち直した。
「まぁ、ボクと凪下はなんの関係もナイけどネ。そのへんは、テキトー」
いたずらっ子のような笑い声をあげ、返す手で斬りつけてくる。
思わず出した左の手のひらに、一瞬の熱を感じたかと思うと、ぱっと赤い血が舞った。
続く、二斬。
一つは左腕で受け、もう一つは左肩で受けた。
その間にも、ヒロの音楽プレイヤーから流れる、重音。旋律は、大胆な跳躍を見せる。
血が、湖に散る。
雨粒に揺れる湖面に赤い色が着き、すぐに消えた。
空いた右手で小型リボルバー、M360Dを握る。
今度は、しっかりと意志を持って、銃口をヒロに向けた。
幼い丸顔に、驚きの表情が浮かんだ。
しかし、恐怖心は見えなかった。
人に殺される恐怖も、人を殺す恐怖も彼には見えない。
そのことに、晃次は戸惑い、憤った。
「なん、なんだよっ」
晃次にしては珍しい張った声になる。
がくがくと身体が震えた。
緊迫が胃の腑を焼き、吐き出しそうだった。
碓氷ヒロは、もともと掴みどころのない性格ではあった。
何を考えているか分からない。そう思うこともあった。
だけど、好んで人を殺すような、そこに一片の恐怖もないような人間ではなかったはずだ。
……なのに、どうしてっ。
「どうして!」
投げつけた疑問に、ヒロは寂しげな笑みを返してきた。
それにまた戸惑う。
「……だって、ボクはムーア人だかラ。ボクも人形の一つだかラ」
「どういう……」
意味かと尋ねることはできなかった。
その前に、胸元を深く斬られ、晃次は気を失った。
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