<滝口朔>
雑木林を抜けると、クレバスのような深い地割れに出た。
そして、10メートルほど先に崖があった。地割れによってそれ以上近づくことが出来なかい。
朔たちからは、切り立った崖を横から見る形になる。
崖は岩肌で、上辺は低い草木で覆われているようだった。高低差は、朔たちがやや下になる。
地形の影響だろうか、先ほどよりも風を強く感じた。
そして、崖の端に足を投げ下ろして座っている華奢な体躯。ちょうど崖に腰掛けているような体勢だった。
その制服姿は、男子生徒だ。
少年は、じっと空を見つめていた。
崖の高さは30メートルは優に越えるので、危なっかしい光景だったが、少年の横顔はあまりにも穏やかだった。
「弦……?」
水嶋望が眉をひそめた。
そう、崖の落ち端に座っているのは、鈴木弦だった。
声ではなく気配で気がついたのだろう、鈴木弦がこちらを見てきた。
「よう」
まるで、街中で友人と偶然に出会ったような気軽な物言い。
手をひらひらと振ってくる。
「何をしている?」
朔が訊くと、「何なん……だろうね」あやふやな回答が返ってきた。
弦の、目鼻立ちのはっきりとした顔に浮かぶ笑顔。
「鈴木?」
その笑みがあまりにも儚げに見え、もう一度疑問符を投げる。
「タキと望か。珍しい組み合わせだ、ね」
軽く首をかしげ、さらに微笑みを向けてくる。
朔に向かって『タキ』と呼んでくるのは、鈴木弦だけだった。中村大河は『朔』と下の名前で呼んでくる。
孤立を極めていた士官学校でも、弦だけは気安く話かけてきた……。
「な、凪下もいるぞ」
なぜだか、焦った口調になった。
凪下南美は、中村大河たちに預けてきた。彼女の荷物を取ってくると理由を付け、キャンプ地を離れてきたのだ。
依然、南美は気を失ったままだ。
どきどきと朔の胸が鳴っていた。
……何だ? これは、いったい何だ?
得た戸惑いに、さらに惑う。
「……ほんとはさ、プログラムの前にって、決めてたんだ」
崖に座る少年は言い、歌うように続けた。「楽しかったぁ。……俺がさ、有明中学校に来たのは、今年の1月からだから……一年足らずか。短かったけど、ほんっとに、楽しかった。楽しすぎて、延ばし延ばしにしてたら、プログラムが始まっちゃった」
「弦?」
彼の下の名を呼ぶのは、水嶋望だ。
士官学校ではおよそ接点のなかった彼らだが、二人の父親が上司部下の関係で、入校前には付き合いがあったという話を聞いたことがあった。
「……初めから、そのつもりだったのか?」
強い口調で、望が訊く。
クラスでは見せない、凛々しい物言いが彼女本来の様だ。
……そのつもりとは? 鈴木は何を決めてたんだ?
望や鈴木弦が意図する事柄が朔には分からず、さらに混乱した。
そして、この場に自分以外の誰がいたとしても、みな、望と弦の意中を覗くことができるんだろうと思った。
物心ついた頃から人との関わりを切ってきた朔は、心の機微の読み取りが致命的に不得手だった。
ただ、自分が情緒に欠けているという自覚はあった。
それは、ひどく情けなく、ひどくもどかしいことだった。
ここで、弦が崖の落ち端で座りなおした。
……落ちる!
思わず目を瞑るが、この間も彼らの会話は続く。
「この任務のさ、説明を聞いたとき……チャンスだって思ったんだ」
「チャンス?」
「そう、失った大切なもの、時間を取り返すチャンス」
「軍を……利用したってこと?」
「そういうことになるんだろう、ね。記録役なんてする気、ぜんっぜんなかったから」
「普通の生活を楽しむだけ楽しんで……?」
「そう。……ほんと、楽しかったぁ。部活をして、授業に出て、さぼって、友だちとお茶して、だべって……。女の子と付き合ったりなんかしっちゃったりして」
最後の言葉は、凪下南美のことだろう。彼らは一時期交際していた。
「プログラムまでに、って思ってたんだけどね、楽しすぎて、もったいなくて、延ばし延ばしにしちゃった」
先ほどと似た台詞。
何を? とは訊けなかった。
訊くことが恥のように感じられ、訊けなかった。
「だけど、もういいや。もう、満足。最後にタキと望に会えてよかった。ミソカにもさ、ちょっと前に会えたし」
弦は、もう一人の兵士、瀬戸晦の名前を口に出した。
……一週間前のAスポットの物資開放のことだろうか?
「半日くらい前かな。碓氷と一緒にいたよ。Dスポットに向かうって言ってた」
碓氷ヒロのことだ。
どこか愛嬌のある童顔の少年だ。晦とは割合に親しくしていた。合流したのだろう。
……朔は碓氷ヒロが崎本透留を殺害したことを知らなかった。
「Dスポットに……」
Dスポットは今三上真太郎らに占拠されている。
やや置いて、弦が再び微笑んだ。
それは、朔の知らなかった弦の顔だった。
普段の彼はもっとはっきりと笑う。
穏やかに微笑む鈴木弦など、朔の持つ狭く小さな彼の印象の中にはなかった。
鈴木弦は、明るく声を上げて明朗に笑う。これが朔の持つ弦のイメージで、そして、ただそれだけだと思っていたのだ。
「タキ」
呼ばれたが、すぐには返事ができなかった。
やや遅れて「……なん、だ?」答える。
「俺たちは、試されている」
謎掛けのような台詞。
「え?」
「俺たちは、試されているんだよ」
語尾を変え、弦は繰り返す。
心音が天井知らずに高まっていた。心臓のドラムがあきれるほどのビートを刻む。目の前がくらくらとした。喉の渇きを同時に覚える。
「鈴木、お前は」
掠れた声になった。
その声が契機となったのか、一度強い風が吹いた。
風に負け、目を瞑り、そして開ける。
……そのときには、鈴木弦の姿は崖から消えていた。
−鈴木弦死亡 24/28−
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