OBR4 −ダンデライオン−  


017 2005年10月08日23時00分


<滝口朔>


 雑木林を抜けると、クレバスのような深い地割れに出た。
 そして、10メートルほど先に崖があった。地割れによってそれ以上近づくことが出来なかい。
 朔たちからは、切り立った崖を横から見る形になる。 
 崖は岩肌で、上辺は低い草木で覆われているようだった。高低差は、朔たちがやや下になる。
 地形の影響だろうか、先ほどよりも風を強く感じた。
 そして、崖の端に足を投げ下ろして座っている華奢な体躯。ちょうど崖に腰掛けているような体勢だった。
 その制服姿は、男子生徒だ。
 少年は、じっと空を見つめていた。
 崖の高さは30メートルは優に越えるので、危なっかしい光景だったが、少年の横顔はあまりにも穏やかだった。
「弦……?」
 水嶋望が眉をひそめた。

 そう、崖の落ち端に座っているのは、鈴木弦だった。
 声ではなく気配で気がついたのだろう、鈴木弦がこちらを見てきた。
「よう」 
 まるで、街中で友人と偶然に出会ったような気軽な物言い。
 手をひらひらと振ってくる。
「何をしている?」
 朔が訊くと、「何なん……だろうね」あやふやな回答が返ってきた。
 弦の、目鼻立ちのはっきりとした顔に浮かぶ笑顔。
「鈴木?」
 その笑みがあまりにも儚げに見え、もう一度疑問符を投げる。

「タキと望か。珍しい組み合わせだ、ね」
 軽く首をかしげ、さらに微笑みを向けてくる。
 朔に向かって『タキ』と呼んでくるのは、鈴木弦だけだった。中村大河は『朔』と下の名前で呼んでくる。
 孤立を極めていた士官学校でも、弦だけは気安く話かけてきた……。
「な、凪下もいるぞ」
 なぜだか、焦った口調になった。
 凪下南美は、中村大河たちに預けてきた。彼女の荷物を取ってくると理由を付け、キャンプ地を離れてきたのだ。
 依然、南美は気を失ったままだ。

 どきどきと朔の胸が鳴っていた。
 ……何だ? これは、いったい何だ?
 得た戸惑いに、さらに惑う。


「……ほんとはさ、プログラムの前にって、決めてたんだ」
 崖に座る少年は言い、歌うように続けた。「楽しかったぁ。……俺がさ、有明中学校に来たのは、今年の1月からだから……一年足らずか。短かったけど、ほんっとに、楽しかった。楽しすぎて、延ばし延ばしにしてたら、プログラムが始まっちゃった」
「弦?」
 彼の下の名を呼ぶのは、水嶋望だ。
 士官学校ではおよそ接点のなかった彼らだが、二人の父親が上司部下の関係で、入校前には付き合いがあったという話を聞いたことがあった。
 
「……初めから、そのつもりだったのか?」
 強い口調で、望が訊く。
 クラスでは見せない、凛々しい物言いが彼女本来の様だ。
 ……そのつもりとは? 鈴木は何を決めてたんだ?
 望や鈴木弦が意図する事柄が朔には分からず、さらに混乱した。 
 そして、この場に自分以外の誰がいたとしても、みな、望と弦の意中を覗くことができるんだろうと思った。
 物心ついた頃から人との関わりを切ってきた朔は、心の機微の読み取りが致命的に不得手だった。
 ただ、自分が情緒に欠けているという自覚はあった。
 それは、ひどく情けなく、ひどくもどかしいことだった。

 ここで、弦が崖の落ち端で座りなおした。
 ……落ちる!
 思わず目を瞑るが、この間も彼らの会話は続く。

「この任務のさ、説明を聞いたとき……チャンスだって思ったんだ」
「チャンス?」
「そう、失った大切なもの、時間を取り返すチャンス」
「軍を……利用したってこと?」
「そういうことになるんだろう、ね。記録役なんてする気、ぜんっぜんなかったから」
「普通の生活を楽しむだけ楽しんで……?」
「そう。……ほんと、楽しかったぁ。部活をして、授業に出て、さぼって、友だちとお茶して、だべって……。女の子と付き合ったりなんかしっちゃったりして」
 最後の言葉は、凪下南美のことだろう。彼らは一時期交際していた。 

「プログラムまでに、って思ってたんだけどね、楽しすぎて、もったいなくて、延ばし延ばしにしちゃった」
 先ほどと似た台詞。
 何を? とは訊けなかった。
 訊くことが恥のように感じられ、訊けなかった。
「だけど、もういいや。もう、満足。最後にタキと望に会えてよかった。ミソカにもさ、ちょっと前に会えたし」
 弦は、もう一人の兵士、瀬戸晦の名前を口に出した。
 ……一週間前のAスポットの物資開放のことだろうか?
「半日くらい前かな。碓氷と一緒にいたよ。Dスポットに向かうって言ってた」
 碓氷ヒロのことだ。
 どこか愛嬌のある童顔の少年だ。晦とは割合に親しくしていた。合流したのだろう。
 ……朔は碓氷ヒロが崎本透留を殺害したことを知らなかった。
「Dスポットに……」
 Dスポットは今三上真太郎らに占拠されている。
 
 やや置いて、弦が再び微笑んだ。 
 それは、朔の知らなかった弦の顔だった。
 普段の彼はもっとはっきりと笑う。
 穏やかに微笑む鈴木弦など、朔の持つ狭く小さな彼の印象の中にはなかった。
 鈴木弦は、明るく声を上げて明朗に笑う。これが朔の持つ弦のイメージで、そして、ただそれだけだと思っていたのだ。

「タキ」
 呼ばれたが、すぐには返事ができなかった。
 やや遅れて「……なん、だ?」答える。
「俺たちは、試されている」
 謎掛けのような台詞。
「え?」
「俺たちは、試されているんだよ」
 語尾を変え、弦は繰り返す。

 心音が天井知らずに高まっていた。心臓のドラムがあきれるほどのビートを刻む。目の前がくらくらとした。喉の渇きを同時に覚える。
「鈴木、お前は」
 掠れた声になった。
 その声が契機となったのか、一度強い風が吹いた。
 風に負け、目を瞑り、そして開ける。
 ……そのときには、鈴木弦の姿は崖から消えていた。


 
−鈴木弦死亡 24/28−


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滝口朔 
記録撮影のために潜入している兵士の一人。孤児院育ち。任務成功による強制士官免除が望み。中村大河と親しい。