OBR4 −ダンデライオン−  


012 2005年10月08日04時00分


<凪下南美>


「違、う?」
  紅実の顔を見上げ、訊く。
「少なくとも私は入れてない。あんたらのうち誰かがしたにしては、三人ともやられてるし」
 見やると、荒木文菜や麻山ひじりにも同様の症状が出ていた。文菜は痙攣症状が出ており、身体を小刻みに震わせている。
 分けが分からなかった。
「どう……して」
「あんた、案外バカなのね。食中毒に決まってるじゃない。食中毒」
 最後の『食中毒』は一文字一文字区切るように言ってきた。
「だって、ちゃん……と、調べて……」
 サバイバルハンドブックの写真と照らし合わせ、食用かどうか確かめてから調理していたのに、どうして。
 苦しくて、とても最後まで言い切れなかったが、言いたいところは伝わったようだ。
 紅実は、鼻で笑った。
「ド素人が、ちゃんと見分けつくわけないっしょ。私なら、絶対にキノコなんて食べない」
 それで、食事は別にしていたのか。と、この三日間の彼女の行動を理解する。
 紅美は続けて、毒きのこに関して講釈をしてきた。

 毒きのこによる中毒症状には、下痢、嘔吐、腹痛、痙攣、昏睡などがあり、最悪の場合死に至る。
 毒きのこの中には食用きのことよく似た形状のものが多数あり、縦に裂ければ安全などの、よく言われる見分け方は全て迷信である。
 ドクツルタケやフクロツルタケなど、致死性のきのこが多数存在する……。
 これだけの知識を持っていたのだ。
 南美たちに警告するだけの素地はあった。
「なら……」
 なら、どうして、きのこを食べることを止めてくれなかったの?
「だって、個人責任だもの。何をしようが、個人の自由。だけど、その返りは自分にくる。プログラムに関わらず、生きてくってそういうことじゃない?」

 ややあけて、「なんか、ちょっとカッコイイこと言った? 私」茶化したような物言いを続けてくる。
「勘違いしないでよ。私、別にあんたらに死んで欲しいわけじゃないのよ。勝手に自滅してくれるんなら、それはそれで構わないってだけ」
 個人主義、という言葉が頭をよぎった。
 たしかに彼女は日ごろからそういった風だったが……。

 この間も嘔吐は続いていた。下痢症状も出ており、悪臭があたりに広がりつつあった。土肌の地面の色を汚物が塗り替えていく。
 ……舌を噛み切って死にたい。
 情けなさと悔しさに涙がこぼれる。
 また、激しい腹痛と嘔気から早く逃れたかった。
 その様を、西塔紅実に気の毒そうに見下ろされた。
 思いも読み取られたようだ。
「死にたい?」
 知らず知らずのうちに頷いていた。
「まぁ、ほっといても、あんたたちは大方死ぬけどね。キノコの食中毒で死ぬのって、実際はそれほど率高くないんだけどさ。……それは、きちんと応急処置やら治療を受けてのこと。こんな島で夜気に晒されて、一週間もサバイバルして体力も削られてて……実際問題、無理だろうね」
 この台詞は、南美だけでなく、ひじりや文菜にも向けた言葉だったらしい。
「さ、どうする? 楽になりたいのなら、手伝うけど?」



 ひじりと文菜は紅実の申し出を受けた。
 紅実のサバイバルナイフを胸元に受け入れ、命を絶った。

「さ、凪下の番だね」
 ここで、彼女は目を見張ることになる。
 南美が自身の口元に中指を突き入れたのだ。
 げえげえと肩を揺らして嘔吐する。ペットボトルの水を含み、再び催吐した。
 毒物を身体から少しでも排除したかった。

 そして、「……誰が」天に向かい、掠れた声を投げつける。
「な、に?」
 紅実の大人びた顔に、初めて動揺の色がついた。
「誰が、死ぬものか」
 怒りに、目の前が赤く燃え上がって見えた。
 その憤怒の対象は、自分自身と紅実だった。
 きのこの危険性など、彼女に言われるまでもなく、知っていた。なのに、サバイバルハンドブックの参照程度で安全確認としてしまった。
 もっと慎重であるべきだった。
 それこそ、支給物資のほかは、栗や柿などよく知った食材だけを口にしている紅実のように、慎重であるべきだった。
 この長期プログラムで、生き延びたいと願うとき。
 警戒するべきは、血に惑ったクラスメイトだけではないのだ。
 自己の油断や仲間の不注意も、大きな危険となるのだ。
 
 自己の失策を省みると同時に、紅実への憤激もあった。
 ……知っていたなら、教えてくれればいいのに。という思いに身体が焼かれた。
 紅実の小ばかにしたような物言いが癇に障ってしかたなかった。

 下痢、嘔吐は続く。
 恥ずかしくて、情けなくて、辛くてたまらない。
 中毒症状が、身体を細胞単位から切り崩していく。苦痛に心が悲鳴を上げる。
 死にたい。早く、楽になりたい。
 だけど。
 だけど、このまま死ねば、己の愚かさに負けたことになる。この女に負けたことになる。
「誰が、お前の……手など、借りるか」
 右のこぶしを握り締め、中指を立てる。
 何かの映像で見た、アメリカ国の罵声を意味するポージングだ。
 四肢が震え、それさえもままならないことにまた激怒する。
「この、クソアマが! あたしを、凪下南美を、舐めんなっ」
 愛らしい容貌にそぐわない荒い口調が、南美の真骨頂だ。

 ややあって、怒情は戸惑いの水をかけられることになる。
 ぱちぱちと拍手が降ってきたのだ。拍手の主は西塔紅実だった。
「それでこそ、凪下だ」
「な……?」
「可愛い」
 淡々と、いっそ冷ややかに聞こえる声で吐き出される愛らしい形容。
「は?」
 その違和感に疑問符が続いた。
「その大きな目が、可愛い。白い肌が、可愛い。そんな顔に似合わないきたっない言葉が、可愛い。汚物に塗れていようがどうなっていようが、あんたは可愛いよ」
「……可愛い?」
 吐物と下痢便に汚れ、口汚い言葉で罵ってくる南美を形容するには、あまりにも不釣合いな語句だった。
 南美の仲間たち、一般的な女の子たちがぬいぐるみやアイドルを見て「可愛い」と騒ぐ感覚とは明らかに違うのだろう、紅実の口調はあくまでも冷淡だった。

 だけど、紅実から最大の賛辞を受けたことは理解できた。『可愛い』という語彙は、彼女の中で一般とはずれた位置にあるようだった。


「次の放送は、一週間後か」
 10数分後、西塔紅実が静かに立ち上がる。
 両肩にそれぞれリュックサックを肩がけしていた。大荷物は、ひじりたちの物資だ。
 彼女が荷物を詰め替える間も、南美は地べたに横たわり苦痛に耐えていた。
「あんたの名前が呼ばれないことを、期待している、よ」
 ざっと足元の砂をける音が響く。
 台詞を残し、彼女が去って行ったのが分かった。

 残していったのは、台詞だけでなかった。
 南美の手には、リュックサックが触る。
 防水性の高い厚い木綿のキャンパス地。その上に塗付してある揮発性ワックスの感触が手元に伝わってくる。
 リュックサックには、確かな膨らみがあった。
 ……南美の物資は残していったのだ。

 全てを持ち去られてもおかしくない状況だった。
 また、それを阻止するだけの体力は、南美にはなかった。
 もっと言えば、殺されてもおかしくなかった。プログラムという状況下、それは十分にありえる可能性だった。
 だけど、紅実は生かした。
 身汚くても、情けなくても、『生』にしがみ付こうとする自分を生かした。

 礼を感じなくてはいけないのだろうか。
 彼女に、ありがとうと言わなくてはいけないのだろうか。
 南美の冷静な部分は、今のこの状況は自滅であり、紅実に積極的な非はないことをよく認識していた。さらに、殺さず、物資を残してくれたことを有り難いと感じなければいけないと告げていた。
 だけど、忠告してくれればよかったのに、という思いをかき消すことができない。
 そして、その思いを持ち続けることで、紅実への不満、害意に身をたぎらせることで、生き残るための意欲が沸くことに、南美のさらに深い部分は気づいていた。

 ……だから、今は。
 そう、今は、この思いに身を浸す。
 今は、まず生き残ることを優先する。
 そうしないと、私の命が逃げてしまう。

 ペットボトルの水を飲み、積極的な嘔吐を繰り返す。
「あああああああっ」
 可愛らしい容貌に不釣合いな、雄雄しい叫び。
 月明かりの下、唾液と吐物が飛沫する。
 白い肌は汚物で穢され、髪は乱れ、涙と鼻汁で顔はぐずぐずだ。
 ……酷い有様。本当に、酷い。だけど。……だけどっ。
「あああっ」
 悲鳴にも似た咆哮。
 毒に身を切り裂かれ、錯綜する感情に身を焦がされ、南美は吼えた。



−麻山ひじり・荒木文菜死亡 25/28−


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凪下南美 
女子クラス委員長。 鈴木弦と一時期付き合っていた。