OBR3 −一欠けらの狂気−  


008   1980 年10月01日01時00分


<新谷華>


 1時の定時放送が終わった。
 メモを取り終わった新谷華しんたに・はなは、ふっと息をついた。
 阿久津教官は相変わらずの事務的で冷淡な口調だった。追加された禁止エリアは3時からB1、5時からC1。次の放送は6時で、それ以降は6時間おきとなるらしい。
 初回放送が開始の0時ではないのは、目覚ましのタイマーがあるとはいえ、睡眠ガスからの覚醒に個人差があるためだろう。
 そして、一人目の脱落者の名前も読み上げられていた。
 1時放送までの一時間で死亡したのは、堀北優美ただ一人だった。死んだ理由までは流れなかったので、どうして優美が死んだのかは分からない。
 優美は、華の親友だった。およそ人に危害を加えることなどできない性質だった優美。そんな彼女がなぜ死ななければならないのか、と華は憤る。
 これが華らしいところなのかもしれないが、悲しみよりも先に怒りが立ち、身体が震えた。

「華……」
 傍にいる三原勇気が優しく肩を抱いてくれた。 
 開始から一時間と少し、新谷華は三原勇気らと一緒に公民館の前にいた。
 公民館は、古びた木造の一階建てだが、それなりの敷地面積がある。夏祭りや寄り合い、選挙。さまざまな場面で使われており、華ら子どもたちにも馴染みの深い建物だった。
 15畳ほどの和室が二つあり、選挙など大規模に使うときは間を区切っているふすまが取り除かれる。ほかに、板の間が一室と、調理室があり、トイレも併設されていた。
 通電していないため、外灯はすべて消えていたが、空に昇った月と満天の星明かりのおかげで、辺りはほのかに明るさを保っていた。

 今、この場にいるのは、華と勇気のほか、和久井信一郎、西村千鶴にしむら・ちづる(新出)の二人をあわせた四人だった。
 プログラム説明時に堀北優美と公民館で待ち合わせをし、その後、勇気にも声をかけた。勇気は勇気で彼の友人の雨宮律や藤鬼静馬に声をかけるものと思っていたし、事実そうしたとのことだった。
 しかし、声をかけたメンバーのうち、今の時点で公民館に来ているのは、華と勇気だけだった。
 優美は死んだので来れない。
 律と静馬は、今向かっている途中なのかもしれない。
 あるいは、恐ろしくて動けないのか……。落ち着いている静馬はともかくとして、律は大人しい性格だった。足がすくんで動けないでいるのかもしれない。
 律のもうひとつの顔を知らない華はそんな風に考え、ため息をついた。

 残りの二人のうち、西村千鶴は勇気と一緒に現れていた。
 偶然であったということだ。千鶴は、優美とは親しかったようだが、勇気も華も、彼女とはさほど交流していなかった。それでも放っておけないのが、勇気の勇気たる所以だろう。 
 和久井信一郎は、先に公民館に来ていた。日ごろ、素行の悪い須黒ユイについて回ってはいたが、彼自身が悪さをしているわけではなかった。
 まぁ、一緒にいても大丈夫だろう。
「優美、自殺したのかな……。誰も殺し合いなんてするわけないのに」
 額に汗を滲ませながら、勇気らしい台詞を吐く。
 背が高く、がっしりとした体格。短髪で、眉は太い。全体に男っぽい整った顔立ちだ。
 華は、本当にそうあって欲しいと願いながら、勇気の言葉を心の中で復唱した。
 殺し合いなんて何かの冗談であって欲しい。何事もなく家に帰りたい。殺したくなんてない。殺されたくなんてない……。
 

 と、「ちょっと!」背後から女の声がした。
 驚いて振り返ると、木陰から、制服の上に黒いエナメル地のジャンパーを羽織った須黒ユイが姿を現すところだった。
 狐の面を思い出させる、細面に細く釣りあがった瞳。カラーリングを繰り返し、艶を失った肩までの髪を、外跳ねにさせている。
 右手に銃らしきものを持っていたので、ドキリと脈が上がる。
「……私も一緒に中に入れて」
 ユイの声音は、緊張感に震えていた。
 華は答えに詰まった。
 正直なところ、彼女の申し出は受けたくなかった。
 もともと華はユイとは仲がよくなかった。彼女が優美に辛く当たっていたのも理由だが、もっと根本的、決定的にうまがあわないのだ。
 昔から喧嘩ばかりしていた。
 そんな相手とプログラム中に同じ建物に立てこもるだなんて、考えるだけでもぞっとした。

 月明かりの下、ユイがゆっくりと両手をあげた。
 敵意がないことを彼女なりに示しているのだろう。
 おそらく、彼女は現時点ではゲームには乗っていない。ユイには銃がある。襲いたければいきなり撃ってくればいいのだ。まずは懐に入ってから、という戦略もあるが、それを実行するには、華の存在が邪魔だ。
 華に嫌われていることなど、ユイも重々承知なはずだ。その上で声をかけてくるあたりに、彼女の困窮が見て取れた。
 だがやはり、彼女と一緒にはいたくなかった。
 日ごろのユイの素行を思えば、いつ豹変してもおかしくなかった。
 
 問題は華の交際相手である三原勇気だ。ヒーロー漫画の主人公のような彼が、困っている彼女を助けないはずがない。
 敵対する相手に救いの手を差し伸べる。
 いかにも勇気が好みそうな展開だった。

 しかし、そっと勇気を見やった華は、目を疑うこととなる。
 勇気がゆっくりと首を振り、支給武器であるグロック17の銃口をユイに向けたのだ。
「駄目だ」
 粘ついた声を、勇気が押し出す。
「なんでだよっ」
 おそらくユイも勇気が助けてくれるものと考えていたのだろう、戸惑いを返してきた。
「駄目だ。お前は信用できない」
 勇気がもう一度首を振る。

「いつもは、建前ばっかの癖に!」
 ユイの非難は、的を射ていた。確かに、勇気は建前のひと、正論のひとだった。その勇気が「お前は、駄目だ」三度繰り返す。
 日ごろ、場の空気を読まず、正論ばかり説いていた勇気。
 しかし、今の彼は、きちんと場の空気を読んでいた。彼が好んでいたはずの建前から目をそむけ、現実の安全を優先している。
 ユイを拒絶する。おそらく、命を守るためには、正しい判断のはずだ。華もそう望んでいた。しかし、何か見てはならないものを見てしまったような感覚に、華は襲われていた。
  

 あたりの空気がピンと張り詰めた。
 プライドを維持したいのだろう。ユイは腰に手をあて、あご先を上げ、何事もなかったかのような表情を作った。
「信一郎、こっちへ来な」
 冷たい声だった。
 信一郎は、ユイの子分だ。彼は幼い頃から彼女の後を着いて回っていた。当然自分の命に従うものとして、ユイは言ったのだろう。
 しかし、信一郎はのっぽの身体をぎくりと強張らせた。一拍置いて、首を大きく振る。
「嫌、だ。俺はこっちがいい」
 ユイの細面に、驚愕の二文字が乗る。
 華も驚いた。
 まさか、信一郎までもがユイを拒絶するとは思っていなかったのだ。

「ああ……」
 華は大きく息を吐いた。
 足元の地面が砂になったような気がした。
 これが、プログラムか……。
 圧倒的な現実に、押しつぶされそうだった。そして、なんだか、ユイが哀れだった。
 顔に出ていたのだろうか、ユイが華をきっと睨み付けてくる。拒絶した勇気ではなく、信一郎ではなく、華を睨んでくるあたりに、彼女と華の関係が現れていた。

 怒りからだろうか、ユイは数秒間身体をぶるぶると震わせていたが、やがて、ふっと肩を落とした。
 続けて、寂しそうな、悲しそうな、顔をする。ユイとも10年来の付き合いだが、こんな表情を彼女が人目に見せるのは……少なくとも華が知る限り……初めてだった。
 
 ユイが立ち去るのを見届け、華は恐る恐る勇気の方に向き直った。
 上目遣いに彼を見る。
 華の気持ちに気がついているのかいないのか、勇気が「ここはもう駄目だな。須黒が襲ってくるかもしれないから、ほかへ行こう」言い切る。
 そして、「……俺、間違ってるかな?」弱い声で問いを続けてくる。
 その様子に、本来の彼らしさを見たような気がした華はほっと安堵した。
 勇気は変わってしまったのではない。
 華を守るために、自分自身を守るために、努めて冷徹に判断し、行動しているだけなのだ。無理をして、彼らしからぬ行為をしてくれているだけなのだ。
 華は、出しかけた台詞を喉元で留めた。無理しなくていいよ、その言葉を彼に投げるのは、あまりにも残酷がすぎる気がしたから。
 
「……雨宮くんとか藤鬼くんはいいの?」
 これまで黙っていた千鶴がぼそぼそと発言した。彼らと待ち合わせしていたことは、千鶴と信一郎には話してあった。
 雨宮律も藤鬼静馬も、華と勇気の大切な友達だ。
 千鶴と信一郎は行きがかり上一緒になっているだけだが、二人なら信頼できる。そう、考える。……華は律と静馬の本質を知らなかった。
 しかし、勇気は千鶴の言葉にゆっくりと背を向けた。
 数歩進み、ふっと立ち止まる。そして、勇気は、背を向けたまま、「仕方、ないだろう」一言一言区切るようにして、答えた。声と背中が、小刻みに震えていた。



−09/10−


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バトル×2
新谷華
律と親しくしていた。勇気とは交際中。気が強く、須黒ユイに苛められていた堀北優美を守っていた。