OBR3 −一欠けらの狂気−  


007   1980 年10月01日01時00分


<雨宮律>


  冷たい風があたりを揺らす。
 それまではひとつの塊でしかなかった森の木々が、一本一本それぞれに存在を主張しはじめた。
 刺されてさほど時間が経っていないからだろう。堀北優美の亡骸からはまだ血が流れていた。流れ出た血は、腐葉土の地面に吸い込まれていく。
 飛沫した彼女の血が、地面のほか、傍の樹木の幹に赤いペイントを施していた。
 むっとした血の匂いがあたりに漂っている。
 この分だと、静馬もさぞかし返り血を浴びたことだろう。
 優美は数十箇所を刺されて死んでいた。使われたのは、おそらく例のナイフだ。 
 静馬家はプログラム会場の中に含まれている。彼は開始早々、自宅に寄っていた。そのときにナイフを取ったとしても不思議はない。

 ……エスカレートしてきているな。
 幼馴染の遺体を冷静に見つめながら思うのは、彼女のことではなく、静馬のことだった。
 静馬の凶行は明らかにエスカレートしている。
 親戚の子どもや家政婦は突き落とされただけだし、クラスメイトは胸元を一突きされた状態で発見されている。
 しかし、優美の身体は執拗なほどに傷つけられていた。
 プログラムに巻き込まれ、思う存分心の闇を吐き出せるようになったのか、彼の中で何かしらの変化、進化があったのか……。
 残虐な行為に『進化』は似つかわしくないのだろうが、律が思うのはその言葉だった。


 律は、残虐の爪あとやそれを行った者に暗い興味を持つ。それは崇拝と言ってもいいくらいだったが、個々の行為者を信仰しているわけではなかった。個々に向けるのは、あくまでも観察者としての目だ。
 静馬も例外ではなかった。
 観察者の目から見た静馬はまだまだ荒があるし、物足りない部分もある。しかし、彼の残虐性は進化し続けている。また、静馬と近い位置にいた律は、彼が聡明であることもよく知っていた。
「あと5年、10年すれば、美味しく育っていただろうになぁ……」
 他人が聞けば目を剥くような台詞を、一人、吐く。

 思う。
 ……僕のような人間が、静馬のような人間に出会える確率はどれほどのものなのだろう。
 律は、自分と同じ、あるいは似通った嗜好を持つ者が、程度の差こそあれ多数存在することを知っていた。律のように深いところまで落ちている者は珍しいのだろうが、決して特別ではないのだ。
 そのような者たちが実際に殺戮者と出会える確率は、極小に違いない。
 だけど、律は静馬と出会えた。
 それは、律にとっては、思いがけない幸い、僥倖だった。
 つくづくプログラムが残念でならなかった。
 生き残れるのは優勝者だけ。
 仮に、自分が優勝したとする。それは、静馬が死んでしまい、もう凶行を続けられないことを意味する。
 仮に、静馬が優勝したとする。それは、律自身が死んでしまい、もう彼の凶行を見続けられないことを意味する。
 
 もっと彼と、家族と、一緒にいたかった。もっとバスケットボールをやりたかった。もっと音楽を続けていたかった。もっと笑いあっていたかった、もっと生きていたかった。
 プログラムに巻き込まれた多くの少年少女が持つ感情だ。
 律は律の価値観で、死にたくない、もっと残虐な行為を見たかった、観察したかった、分析したかったと思う。
 


 と、ここで、優美の髪に違和感を持った。
 彼女を右側臥位にし、髪を調べる。
 髪がひと房切られているようだった。切ったのは静馬に違いない。あたりに散らばっていないところを見ると、持ち去ったらしい。
「……コレクターのへきもあるんだ」
 眼鏡の奥の丸い瞳を薄く細め、ほうっと息をつく。
 連続殺人鬼は、しばしば殺人の記念を収集する。静馬に同じ質があったとしてもおかしくはない。
 優美の話では、静馬は、傷つけた彼女を絵に描いたという。
 画かれた絵もコレクションの一環になのだろう。

 律にもコレクターの気はある。その癖がいま、高ぶり始めていた。
 ……見るだけでは収まらない。
 ナイフも手に入れたかったが、静馬が画いた絵を是非ともに見てみたかった。彼の画才は、美術教師の折り紙付きだ。律の黒い欲求を満たしてくれるに違いない。

 しかし、そのためには静馬に近づかなくてはいけない。彼の行動を追い続けなければいけない。
 幸いと言っていいのか、律にはその手段があった。
 探索機トレーサー。これが、律に与えられた支給武器だった。
 手帳ほどのサイズのスチール製、表面の大部分を液晶パネルが占めている。映っているのは、会場地図で、二箇所、点滅している。
 中央の赤い点滅がこのトレーサーの現在地で、つまりは律がいる場所だ。
 もう一点の青い点滅が、いまこの機械が追っている参加選手が着けている首輪から発信されているパルスだ。
 サーチできる選手は一人だけで、最初に登録する必要がある。途中変更は不可なので、正真正銘、追えるクラスメイトは一人だけだ。

 説明書を読んだあと、律は迷わず藤鬼静馬の首輪から発せられるパルスを入力した。入力後、驚いたのは、彼が思いがけず近くにいたことだ。
 律も静馬の同じエリアに配置されていた。
 だから、静馬が優美を傷つけたすぐ後に現場に着くことが出来たのだ。
 静馬が覚醒後すぐに自宅に向かったことも、トレーサーを使い、知っていた。
 本来は、彼が自宅から出た後に、彼の家に忍び込み、色々と調べようと思っていた。しかし、家から出てきた静馬が何かを追っている様子だったので、まず後を着けることにした。
 そして今、律は堀北優美の亡骸を目の前にしている。

 さて、と律は立ち上がった。膝についていた落ち葉と土埃を払う。
 そろそろ次の行動に移らなければいけない。
 地面を踏みしめ、歩きだす。懐中電灯は使わなかった。空気の綺麗な双葉町のこと、満天の星と月の光で明かりは取れた。
 静馬はもちろん危険だが、トレーサーを使えば、距離は保てる。
 問題はほかのクラスメイトだった。探索機がサーチできるのはただ一人なので、ほかのクラスメイトの動向は分からない。いつ何時物陰から飛び出してきてもおかしくないのだ。
 素行の悪かった須黒ユイはもちろん、親友の三原勇気でさえ信用ならなかった。誰だって死にたくはない。日ごろは正義の人だった勇気が豹変したとしても不思議はなかった。

 そして、律もまた死にたくなかった。死ぬのが怖かった。
 冷えた心を持つ律だが、死に対する恐怖心はあった。
 慎重に雑木林の中を進む。目的地は、静馬の家だ。先ほどしそびれた家捜しを行うつもりだった。日ごろ遊びに行く機会は多かったが、家人と静馬の目があって、大胆には行えなかった。今ならそれができる。
 少し進むと、あたりが開け、舗装された広い坂道に出た。このまま坂を上ると、静馬の家に着く。

 と、律は立ち止まった。
 坂の上ではなく、下を見る。
 はるか下方に、双葉の町を、生まれ育った町を一望できた。
 双葉町は山間の小さな町だ。中心を区切るようにして川が流れている。田園の中、家々が身を寄せ合っている。家屋は決して田舎づくりばかりではないが、近代的なビル、背の高い建物は見当たらない。
 一口に言ってしまえば、寂れた町だ。
 大人たちが神崎リゾート開発のおこぼれを期待する気持は分からなくもない。
 だけど、律にとっては思い出深い町だ。
 ゲームセンターはなかったけれど、鬼ごっこやかくれんぼなど昔ながらの遊びがあった。川に行けば釣りができるし、山に入れば野生の果物が採れる。
 何気ないことで、勇気たちと笑い合った。何気ないことで喧嘩したこともあった。
 いい思い出、悪い思い出。
 まさか、この町でプログラムが行われるとは思ってもみなかった。
 微かな怒りを感じる。
 故郷を汚された。そんな風にも感じた。
 ただ、プログラムだから、堀北優美の亡骸を見ることができたとも言える。殺戮者の作品に触れることができたとも。
 ……複雑な心境だった。

 やがて、家に帰りコレクションを始末しなければいけないなと、わずかに生じた焦りと共に思う。
 この坂を少し下ったところに律の家はある。
 もし、自分が死んだ場合、押入れの奥に隠してある、律の暗い闇に包まれた収集品が明るみに出る。さぞかし、親や姉弟を驚かせることだろう。
 仮に死ぬのであれば、善良な中学生の看板を掲げたまま死にたかった。
 いつ死ぬか分からない、何が起こるかわからないプログラム。
 静馬の家に向かえば、処分の機会を失うのかもしれない。しかし、逆に言えば、自分の家に向かえば、静馬の家、部屋を探る機会を失う可能性があるということだ。
 坂を上れば静馬の家に。下れば自分の家に。
 迷いはすぐに吹っ切れた。あるいは、形だけのものだったのかもしれない。

 律はすっと息をのみ、呼吸を整えると、坂を上り始めた。



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バトル×2
雨宮律
主人公。小柄で童顔。黒ふち眼鏡をかけている。