OBR3 −一欠けらの狂気−  


006   1980 年10月01日00時00分


<雨宮律>


 堀北優美は、雑木林の中、腐葉土に地面に横たわっていた。
 雨宮律は、この近くに彼女のお気に入りの場所、双葉町を一望できる自然のテラスががあることを知っていた。
 テラスに行く途中だったのか、行った帰りだったのか。優美の行動を考える。さほど興味はなかったので、すぐに違う思考が律を覆った。
 ……そう、重要なのは、彼女が藤鬼静馬に殺されたということだ。

 高鳴る胸に手を当て、動悸を抑える。
 動悸の元は、幼馴染の亡骸だ。「……あなたも、藤鬼……くんと、同じ……なの?」死ぬ直前の優美の言葉を思い出す。
 おそらく、藤鬼と同じように人をあやめることに悦びを見出すのか? 藤鬼と同じように偽って生きてきたのか? と訊きたかったのだろう。
「……違うよ」
 すでにこの世にはいない彼女に答えた。
 問われたときは、答える必要などないと思ったが、今は答えたかった。その変化は、いまの彼女が異常者に殺された亡骸だからだろう。
 異常者に殺された死体。……律が求めて止まなかったものだ。
 それは、崇拝の対象でさえあった。だから、問いに答えたかった。答えなければならなかった。

「違うよ」
 もう一度繰り返す。
 律には、藤鬼静馬のように人を傷つけたい、殺したいという衝動はない。いま興奮はしているが、それは、律にとっての宝物を目の前にしたからで、死体を辱めるような趣味もない。
「違う、よ」
 三度みたび繰り返す。
 律は、藤鬼静馬のように偽って生きてなどはこなかった。
 藤鬼静馬はクラスではごく普通の生徒を装っていた。話しかければ答えるし、誰かが冗談を言えば笑う。が、それは、抱えた闇に気づかれないための演技だったはずだ。クラスメイトに向ける笑顔はほとんど嘘だったはずだ。
 そう、律は確信していた。
 律ももちろん、学園生活を円満に過ごすために周りに合わせている部分もあるが、それはみな当たり前にしていることだ。
 律が勇気の冗談に笑うのは、本当におかしいからだし、テレビのバラエティ番組やドラマを見るのは、話題にあわせるためではなく、見たいからだ。
 須黒ユイに辛く当たられる彼女にさりげなく助け舟を出していたのは、律の本心からの行動だった。
 募金活動を見かければポケットから財布を取り出すし、事故や天災で人が亡くなったとニュースで聞けば心を痛める。生まれ故郷も愛している。
 
 律が掲げている、穏やかで心優しい中学生という看板は偽りではなかった。教室での律は偽りではない。しかし、隠している部分はあった。律にも人と違う部分がひとつだけあった。
 律はそれを『一欠けらの狂気』と呼んでいた。
 ごくごく普通の中学生の自分の中に一欠けらだけある異常性、狂気。
 しかし、その一欠けらが律のすべてでもある。



 律には、傷害嗜好、殺人嗜好はない。しかし、その一方で、陰惨な事件や犯人に酷く惹きつけられる。
 天災や事故で無くなった人は気の毒だと思う。しかし、殺人事件の被害者、特に異常者に殺された者には同じ感情が沸かなかった。
 勇気や華が芸術品を見る目で、律は犠牲者たちを見る。
 不謹慎であることは重々承知していた。だけど、心の奥底に潜む一欠けらの狂気から逃れることは出来なかった。

 また、憧憬だけには留まらず、同時に知的好奇心の対象でもあった。
 外国の偉人でファーブルという昆虫学者がいる。彼は昆虫の観察と研究に一生を捧げた。
 彼が昆虫に向けた視線は、自分が猟奇事件に向けるものと同じだったのではないか、律はそう思う。
 
 律の部屋の箪笥の奥には、猟奇殺人を取り扱った本や苦労して手に入れたスナッフビデオが、ヌード雑誌やアダルトビデオと一緒くたにされてしまわれている。
 異常事件に性的興奮を持つわけではない。律も年頃の男だ。残念ながら性交渉の相手はいないので、性欲を吐き出すために数日置きに自慰行為にふける。そのときに用いるのは、当たり前の男子中学生が使うものと同じだった。
 が、欲求の充足と言う意味では近いものなので、一緒にしていた。
 テレビや雑誌、本で見る異常事件は、律の欲求を満たす。
 しかし、何かしら物足り無さも感じていた。自慰行為の後と同じような虚しさを律は持ち続けてきた。
 理由は分かっている。それが代替でしかないからだ。
 いくら猟奇事件を扱ったビデオや本を見ても、それが代替でしかないからだ。
 もちろん、人を殺したいわけではない。
 見たい。目の前で、人が残虐に殺されるところを見てみたい。死体を見てみたい。ずっとそう思ってきた。
 
 そして、いま。律の前には、藤鬼静馬という殺人嗜好者から与えられた亡骸がある。

 胸を躍らせながら、優美の亡骸についた傷の一つ一つに触れる。
 彼女が可哀想だとか、気の毒だといった感情は全く沸かなかった。
 やはり自分も、どこか大切なところが壊れているんだと深く自覚する。「これが、僕なんだ」と心に刻む。
 衣服の上から刺されていた箇所も多かったので、苦労して彼女を裸にした。もちろん首輪は取れなかったので、それだけを残す。月明かりに、白い肌に赤い傷の衣装をまとった少女が浮かんだ。
 ドキドキと胸が鳴った。
「1、2……」
 切り傷刺し傷合わせて30を数える。
 それぞれが浅く、致命傷には見えなかった。おそらく、彼女の死因は、出血によるショックだろう。
 
 これは、静馬が殺人行為よりも傷害行為を重視しているからだろうか。それとも、単に気絶と絶命を取り間違えただけなのだろうか……。
 思索は巡る。
 メディアを通した借り物の分析ではない。自分自身の目で猟奇を分析できる。それは、悦びだった。



 二年前、母親の転地療養のために藤鬼静馬は越してきた。
 閉鎖的な田舎町のこと、余所者が入り辛い素地はあったし、家政婦を雇い優雅に暮らす藤鬼家へのやっかみもあった。
 そんな大人の事情は、双葉の子どもたちにも影響を及ぼし、当初の静馬はなかなか周りに馴染めなかった。
 しかし、家の近い律が静馬と親しく接したこともあって、次第に溶け込むことができた。
 もちろん、善意から親しくしたわけではない。
 静馬の瞳の奥にある暗い光に、自分と同じものを見出したからだ。そして、もしやと思っているうちに、藤鬼家の家政婦が雨で増水した川に落ちて死んだ。これで、律の疑念……というよりも期待に近い感情だったが……は決定的なものになった。
 静馬が家政婦を川に落として殺したのではないかと考えたのだ。

 ためしに静馬の過去を調べてみたところ、やはり静馬には死の影がついてまわっていた。
 静馬が6歳の頃、彼の家で親戚の子どもが階段から落ちて死んでいる。次は10歳。静馬のクラスメイトが通り魔に襲われて命を落としている。
 親戚の子どもの一件は事故死として扱われており、クラスメイトの死は未可決事件になっていた。
 おそらくそのどちらもが静馬の仕業だろう。
 静馬は人を殺し、平然と暮らしている。そこが、律には暗い魅力として映った。
 だから、積極的に静馬と親しくなろうとした。

 藤鬼家にも何度も遊びに行った。
 まずは、静馬が殺人者である証拠を掴むため。
 家人や静馬本人がいるので、難しい作業だったが、果たして、静馬がトイレに立った隙に、机の引き出しの奥に隠されたナイフを見つけることができた。凝ったデザインのナイフで、果物や紙を切る以外の目的で使われているとしか思えなかった。
 通り魔に襲われたことになっている静馬のかつてのクラスメイトは、刺し殺されていた。
 ……このナイフで? そう思うと、身体が身震いするほど興奮した。
 持って帰り、コレクションにしたかったが、そんなことをしたらすぐにばれてしまう。
 ただでさえ、静馬の近くにいる自分は命の危険に晒されているのだ。これ以上危険性を上げたくはなかった。

 静馬は殺人嗜好で、律は殺人者への興味。種類こそ違うものの、同じように暗い精神を持った者として、律は静馬が容赦なく自分を殺すであろうことを知っていた。
 村八分になりかけていた静馬を救ったのは自分だ。律がいたから、静馬は周りに溶け込むことができた。言わば、律は静馬の恩人だ。しかし、彼の標的から外れることはない。
 その証拠に、静馬が10歳のときに殺したであろうクラスメイトは、彼の友人だった。
 異常者には、恩義も友情も関係ない。だからこそ、律は魅力を感じるのだ。

 

−09/10−


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バトル×2
雨宮律
主人公。小柄で童顔。黒ふち眼鏡をかけている。