OBR3 −一欠けらの狂気−  


005   1980 年10月01日00時00分


<堀北優美>

 
 藤鬼静馬はジーンズにスニーカー、黒地のジップアップシャツというラフな姿だった。
 プログラム説明時にはみなと同じ学生服姿だったはずだ。おそらく自宅に戻り着替えたのだろう。
 彼の家はここからそれほど離れていない。
 そして静馬の右手には、凝ったデザインのナイフがあった。
 刃の背にあたる部分がギザギザになっており、一部に穴があいている。また、刃に黒い塗料が塗られていた。
 左脇には、クロッキー帳を抱えている。あまりに場違いで、目がひきつけられた。
「藤鬼くん……」
 身体が強張り、血の気が引いた。背中の産毛がざわざわと逆立つ。
「堀北さん!」
 静馬が驚いたような声を出し、「堀北さんでよかった……」と安堵を見せた。
「恐ろしいことになったねぇ」
 緊張の面持ちで静馬が近づいてきた。彼が踏んだ落ち葉ががさりと音を立てる。

 まるで、ごく普通の生徒がプログラムに巻き込まれたかのようだった。
 本性知っている優美でさえ、騙されそうになる。彼も恐怖に震えているのでは? 一緒ならば安心なのではないか? と思えそうになる。
 強張る身体を叱咤し、「来ないで!」優美はサブマシンガンの銃口を彼に向けた。
「ぼ、僕は、戦う気はないよっ」
 戸惑いや焦り、恐怖がない交ぜになった表情で静馬が言う。
 ……これも、嘘だ。
「ねぇ、一緒に、公民館へ行こうよ、勇気や律、新谷さんがきっと待ってるよ」
 静馬の粘ついた声。
 ……これも、嘘。
「来ないで!」

 繰り返すと、静馬がもう一度驚いたような顔をした。
 ここで、静馬の表情に変化が現れた。
 物静かな文学少年から、残忍な殺人者へ。
「そうか……君は、そうなんだね?」
 僕のことを知っているんだね?
 言外に問われる。そして、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
 蛇にらまれた蛙。古い言葉が頭をよぎる。
 体が強張り、向けたマシンガンの引き金にも力を入れることができない。
「ああ……」
 優美は絶望的な声を押し出した。



 数分後、優美は血にまみれて仰向けに倒れていた。わき腹、腕、太もも、身体のあちこちを刺され、身動きが取れない。流れた血は腐葉土の地面に吸い込まれていく。
 痛みに呻いていると、「ここは、どう?」静馬が優美の右ほほに黒刃のナイフの切っ先をあてた。
「やめ……て……」
 必死の懇願に、静馬が笑顔を返す。
 そして、「ごめんね」静馬が言うと同時、ナイフの刃が優美のほほを滑った。
 熱い感触とともに、優美の口に鉄くさい血が入ってくる。頬を切られたのだと悟った。
「ごめんね。痛いよね、怖いよね」
 困ったような表情で、静馬が繰り返す。
 そうしている間も、静馬の手は動く。
 左わき腹を切られた。激痛に悲鳴をあげ、体をよじる。意識が飛んでしまいそうだ。いっそそうしてしまいたかったが、叶わない。残酷な現実。

 痛みが分かると言う。死ぬことを恐れる感情が分かると言う。
 その言葉に嘘はないように見えた。
 ……なら。
「どう……して?」
 なら、どうして、人を傷つけるのだろう?
 疑問を口に出すと、静馬はふっとため息をついてから、「ああ、人を殺すのって、こんな感じなんだ」呟いた。
「なんか、快楽だね」芝居がかった台詞を投げ、「ごめんね。可哀想だとは思うんだけどね、なんか、手が止まらないよ」続けた。
 恐怖と苦痛の中、その言いまわしが気になった。
 まるで殺人が初めてのように言っているが、知っている限り、彼は家政婦の女性を殺している。

 遅れて、理解した。
 プログラムは戦闘実験だ。期間中の音声データをとられていると聞く。システムは分からないが、おそらくこの首輪にマイクか何かが仕込まれているのだろう。
 そのマイクを警戒しているに違いない。
 また、秘めていた残虐性をプログラム中に開花させ、大量虐殺に走る生徒が一定の割合で存在する話も聞いたことがある。
 彼は、そのタイプの殺し手を演じようとしているのだ。
 このプログラムを終えた後も捕縛されないように。殺人を続けることができるように。
 背筋が凍る。
 

 そして、彼は吹っ切るように頭を振り、藪に立てかけていたクロッキー帳を手に取った。シャツのポケットから鉛筆を取り出す。
 表紙に『藤鬼』と書かれている。家からとってきたのか。
「な……にを?」
 口をあけると口の中に入る血の量が増え、優美はむせ込んだ。
 しばらくして、鉛筆が紙の上を滑る音がしだした。時折、静馬の視線が優美とクロッキー帳を交互する。
 ……死にかけている私を、描いてるんだ!
 優美は呆然とする。
 信じられなかった。人を傷つけることを快楽と言い切る静馬が、死に向かうクラスメイトを絵に画き止める静馬が、信じられなかった。 
「もっと、もっと、続けたいな。次は誰がいいかな」
 恍惚の表情で、静馬は目を細める。
「あ、そうか。公民館に行けば、律や勇気、新谷さんがいるのか」
 華ちゃんが危ない!
「やめ……て」
 先ほどは、自分を傷つけないでと願ったが、今度は、幼馴染を傷つけないでと願う。
 ここで、静馬がまた困ったような表情をした。
 そして、先ほどと「……ごめんね」同じやり取りをしてきた。

 口元から悲鳴ともため息ともとれる声がこぼれ、優美はそのまま気を失った。



 どれだけの時間が経ったのだろうか、優美の瞼に何かが触れた。その感触で目を覚ます。
 掠れた視線の先には、雨宮律の姿があった。
 背が伸びることを期待したが思惑がはずれ、三年の今でさえ丈が合わないままになっている小柄な学生服姿。小学校高学年と言っても通るような童顔。右の目元に小さなほくろが見える。
 おっとりとした、一緒にいると気の休まる幼馴染。
「静馬にやられたの?」
 その幼馴染が口を開き、八重歯が覗いた。
 頷き、肯定する。
 もう痛みは感じなかった。自身が死に向かっていることを肌で感じる。
「気をつけて……。藤鬼くん、どこか、おかしい……。人を傷つけるのが……楽しい……って」
「あいつ、ほかに何か言ってた?」
「気の毒だけ……ど、可哀想だけど……って」
 答えると、律が、ふんと鼻を鳴らした。そして、「へぇ、無機質タイプじゃないんだ」誰に言うとでもなく話す。
「ほかには?」
「……絵を。傷ついた私を……絵に」
 問いに答えながら、優美は違和感を持った。

 ……おかしい。律も何か、おかしい。
「絵を!」
 穏やかな律にしては珍しく高揚した声。言葉にはしなかったが、静馬が画いた絵を見たがっているようだった。
「……律?」
 呼んだ名に、律は優美の傷に指を這わせて答えてきた。指先は暖かかった。
 優美の安否を気遣うそぶりは、まるでなかった。
 その目は、いつしか暗い井戸の底のようになっていた。

 訳が分からなかった。
 優しい律。弱い自分にも気を使ってくれる律。いつもの彼はどこに行ってしまったのだろう?
 やはり、傷は深かったようだ。急速に意識が閉じ始めていた。
「……あなたも、藤鬼……くんと、同じ……なの?」
 律は静馬のように問いに答えてはくれなかった。自分語りもしてくれなかった。ただ、検体を見る科学者のように、死に行く優美を観察の目で見るだけだった。



−堀北優美死亡 09/10−


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バトル×2
堀北優美
律たちと親しい。おとなしい性格で、須黒ユイに辛く当られていた。