<堀北優美>
午前0時過ぎ、堀北優美は雑木林の中を恐る恐る進んでいた。
つい先ほど、右腕につけられた腕時計のタイマー音に起こされ、覚醒した。
時計は、優美の私物でなく、見覚えの無いものだった。
どうやら、睡眠ガスで眠っているうちに着けられたらしく、これも支給物資のようだった。
優美は、雑木林の中、巨木の根に身体を預けて寝かされていた。
傍らには、大振りのバックパックが置かれており、中に、地図や簡易医療キッド、食料が入っていた。
……そして、ウージー9ミリ・サブマシンガン。オートマチック拳銃を大きくして後部をぐっと引き伸ばしたような短身銃で、これが優美の支給武器だった。
サブマシンガンは一応肩から吊っているが、とても使う気にはなれなかった。
腕時計にはGPS機能も付加されており、これで、スタート地点が分かった。会場北部、双葉山中腹に位置する雑木林で、エリアとしては、Dの1になる。
川の流れる音と水の匂いがする。
双葉川の上流が近くを蛇行しており、ひやりとした冷気があたりを濡らしていた。
雑木林を抜けると双葉町を一望できる自然のテラスに出る。ここ一、二年はほとんど足を向けていなかったが、優美のお気に入りだった場所だ。
広がる田畑、萱葺きと瓦屋根が混在する家並み。昼間訪れば、キラキラと太陽光を反射する双葉川が見え、夕方ならば暮れなずむ町が見える。雨天時には、霧煙り、ぼんやりと幻想的に。
どの風景も美しく、この町に生まれて良かったと思えた。
優美に辛く当たっていた須黒ユイなど、派手好み都会好みな子どもたちには退屈極まりない田舎町のようだが、優美には大切な故郷だった。できればずっとこの町で過ごしたいとも思っていた。
友人の雨宮律も同じ考えのようで、たまに「ずっとここにいれたらなぁ」なんて話すこともあった。
「なんで、この町で……」
呟く。
15歳。プログラムの恐怖はいつも肌で感じていた。早く高校に進学し、対象外……まれに中学三年生以外のプログラムもあるようだが……の学年になりたいと考えていた。
実際に巻き込まれたらどうしようとも考えていたが、まさか生まれ育ったこの町でプログラムをする羽目になろうとは予想もしていなかった。
通常は小さな島などで行われるはずだ。
生まれ故郷でのプログラム。政府もずいぶんと酷なことをする。
憂鬱に浸りながら、前へ進む。
向かうは、お気に入りの町をゆったりと眺めることが出来る件
の場所だ。
しかし、この一、二年は訪れていない。
むしろ、忌むべき場所となっていた。
その原因を作ったのは、藤鬼静馬だった。
二年前、静馬が転校してきた当初は、彼に淡い恋心を抱いていたように思う。さらりとした黒髪に、切れ上がった瞳、白い肌、細く長い指先。田舎育ちの少年たちにはない都会的な容貌や、落ち着いた佇まいに憧れを持っていた。
それが変わったのは、藤鬼母子
が双葉町に越してから数ヶ月経ち、静馬も周りに溶け込みだした頃だった。
八月の初頭、いつものように、テラスに行った帰りのこと。
その日は、雨だった。雨の山道は辛かったが、『雨の双葉町』は優美の最も好む景色だったので、無理をしたのだ。
町へ向かう山道を下っていると、木々の間に赤と黄の何かが見え、すぐに、それが傘の色であることに気がついた。
横顔が見え、藤鬼静馬と、その頃藤鬼家の家政婦をしてた年配女性だと分かった。女性は町の人間ではなかったが、よく繁忙期の農作業などを手伝いに来ていたので優美も顔見知りだった。
彼らは川原にいた。
山が吸った水を排出し、双葉川は増量し、ごうごうと渦巻いていたので、「危ないなぁ」と思ったのを今でも覚えている。
静馬が水面を指差し何事かを言い、それにあわせて、家政婦が川に身を乗り出した。
そして、静馬が家政婦の背中を押した。優美が息を呑んだ瞬間、家政婦が川に落ちた。
彼女はすぐには流されず、川原に生えた葦
に捕まって耐えていた。
見える静馬の横顔には笑みが浮かんでおり、文字通り、ぞっとした。
残忍な笑み。学校で物静かに笑う静馬のものとはまるで違っており、間違いなくこれが彼の本性だと知れた。
もう一度、静馬が家政婦に何事か囁き、彼女が絶望的な表情を浮かべた。そして、葦が折れた。
その後のことは覚えていない。
硬直が解けるとともに、夢中で駆け、家に帰り、布団の中に飛び込んだ。
がくがくと身体を震わせているうちに夜が明け、家政婦が川に流されて死んだことを両親に聞かされた。家政婦は一人で帰宅する途中足を滑らせ、増水した川に落ちたのだろう、ということになっており、静馬の関与は闇に葬られていた。
現場から駆けた足音は雨に消されたのか、気がついても誰であるか判別できなかったのか、優美が見ていたことは静馬にばれていなかったようだった。
彼に口封じされることも、鎌をかけられることもなく、残りの夏休みを過ごすことが出来た。
そして、9月、二学期になり、登校日を迎えた。
静馬は平然と学校に来ており、やはり穏やかな笑みを見せていた。
これでもう一度ぞっとした。
この頃にはなんとか気持ちを落ち着かせることができていたので、不自然にならない程度に接することができたが、静馬に対する恋心は吹き飛び、替わりに恐怖心が優美に居座るようになっていた。
そして、二年が経ち、プログラムに巻き込まれ、再びこの場所来てしまった。
出来れば二度と訪れたくなかったのだが、睡眠ガス後に配置されてしまったのだから仕方がない。今は一刻も早くこの場を去るだけだ。
*
藪を掻き分け歩く。たいして進んでいないが、ぜいぜいと肩で息をしていた。10月。肌寒いくらいなのに、身体はびっしょりと汗で濡れている。
木々の向こう、月明かりに、緩やかな山の起伏が浮かんでいた。
人口の光が少ない環境で生まれ育ったせいだろうか、気弱なわりに、優美は、夜闇を苦手としてこなかった。
しかし今、確実な恐怖が優美を襲う。
単純に、無性に、暗闇が怖かった。
プログラム。生き残るためにはクラスメイトを殺さなくてはいけない。
……私に、そんなことは出来ない。
もちろん、死にたくない。だけど、自分が人を殺せるとは思えなかった。
倫理的にどうこうというわけではない。能力的にどうこうというわけではない。ただ、恐ろしいのだ。優美は、闇を恐れるのと同様に、人を殺すという行為自体を恐ろしく思う。
そんな恐ろしいことを、藤鬼静馬はした。
家政婦を川に突き落としたときの静馬の表情。あれは、愉悦だった。彼は人殺しに悦びを感じている。
ずっと自分に辛くあたってきた須黒ユイももちろん危険だが、彼女など問題にならないくらい静馬には警戒が必要だった。
しかし、その静馬が現れそうな場所に、優美はいた。
この近くに、藤鬼家があるのだ。
一刻も早く、このエリアから立ち去らなくてはいけない。
「華ちゃん……」
そして、今口に出した親友が待っているであろう、公民館に行かなくてはいけない。
新谷華。彼女ならば信頼できた。
華は、曲がったことは大嫌いな質だ。須黒ユイからも守ってくれていた。きっと、このプログラムでも自分を守ってくれるだろう。
彼女が待ち合わせをした三原勇気も信頼できた。勇気は、頭に余計な言葉がつくくらい正直で真っ直ぐな男だ。
勇気が声かけをしているはずの雨宮律もまた信用できた。律は、おっとりとした性格で大人しく、優しい少年だった。
弱者の思いも分かってくれる。
はっきりとした態度で守ってくれる華や勇気とは違い、彼の優しさはさり気なかった。昨日の朝、須黒ユイに絡まれたときも、優美が情けない思いをしないよう気を使ってくれた。
優美は、律たちがわざと物音を立てて、ユイを牽制してくれたことに気がついていた。
問題は、勇気が静馬にも声をかけてしまっているかもしれないことだった。
公民館に静馬も現れるかもしれない。そう思うと、足はすくむ。……だけど、現れないかもしれない。
それに、仮に現れたとしても、華や勇気、律がいる。彼らがいれば、大丈夫だ。
最も恐れるべきは、一人のときに静馬やユイと出くわすことだ。
……そう、今現在のように。
藪の間から現れた藤鬼静馬
から視線をはずすことが出来ない。そして、優美はもう一度「華ちゃん……」友の名を呼んだ。
−10/10−
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