OBR3 −一欠けらの狂気−  


003   1980 年9月30日17時00分


<新谷華>


 阿久津マヤ教官が黒板に広げた会場地図は、双葉町の一部を切り取ったものだった。
 位置的には北部になり、学校も会場に含まれている。このあたりには民家があまりなく、会場のほとんどが野山になっていた。
 町の住人はすべて退去させられたため、今双葉町にいるのは、華たち10人と、政府関係者のみということだ。 
 学校は、会場の南東端になる。教室の窓から、会場際に張り巡られた銀色のフェンスが見えた。フェンスの高さは5メートルほどになるだろうか。
 フェンス自体は、それほど頑丈には見えなかった。
 エリアの外を巡回している専守防衛軍兵士の目を盗めば、乗り越えることも、隙間から抜け出すことも、可能だろう。しかし、会場がぐるりと禁止エリアで囲まれているため、仮にフェンスを乗り越えられたとしても、首輪爆破が待っているとのことだった。
 ……生き残りたければ、戦うしかないのだ。
 新谷華は、震える自分の身体を両手でぎゅっと抱きしめた。
 
 小さな田舎町とはいえ、相当数の住民が住んでいる。町民の強制退去にかかる労力、各種保障、フェンス設営の費用。
 ……いったいどれだけのコストがかかっているのだろう、膨大なコストに見合う価値なんてプログラムにあるわけもないのに。

 掘北優美が華の制服の裾をそっと引っ張った。
 ぎょっとして優美のほうを見ると、「公民館」と彼女が小声で囁いた。
 優美の意図が分かったので、「わかった」と返す。公民館で待ち合わせしよう、という意味だろう。
 彼女の性格はよく知っている。とてもじゃないが、殺す側に回れる人間ではない。優美となら、安心して一緒にいれた。
「じゃぁ、勇気たちにもなんとかして声をかけるね」
 同じく小声で伝えると、優美は一度頷いた後、はっとした顔を見せた。そして、「律はいいけど、藤鬼くんは……」不安げな顔で続ける。
 ああ、と華は息をついた。

 勇気に声をかければ、その友達の雨宮律や藤鬼静馬がついてくる。
 優美はおっとりとした気質の雨宮律には気を許しているが、藤鬼静馬とは距離を置いていた。恐れに近い感情を抱いているようでもある。
 これは、十年来の付き合いである華にとっては、不思議に思うところであった。
 たしかに優美はおとなしい女の子だが、男性そのものに恐怖を覚えるタイプではない。
 勇気や律、そのほかの男子生徒とも気軽に話しはできている。
 しかし、静馬だけは別だった。
 なるべく関わらないようにすらしている。
 重ねて不思議なのは、二年前の静馬の転校当時には、むしろ彼のことを好いていたはずだということだ。
 都会的な静馬に、優美は幼い恋心を抱いていた。
 だが、いつの頃からか、静馬を恐れるようになっている。
 理由を訊いたこともあったが、優美は青ざめた顔で首を振るばかりだ。
 
 その当の藤鬼静馬が、口を動かすのが見えた。何かしら呟いたらしい。華たちとは距離があったので声は聞こえなかったが、マヤ教官には聞きとめられてしまった。
「疑問を持つ、それはいいことですよ、藤鬼くん。唯々諾々と人に言われたことに従っているだけでは、数%の人間にはなれません。常に疑問を持ちなさい」
 ひとしきり語った後に、「あなたたちの家族や、その周囲の人間には秘密にしてましたが、およそ関わりのない住人には、誰かに漏らしたら厳罰に処すことも加えて、事前に開催の旨を伝えてあります。当日知らせたのは、あなたたちの家族とその親類、近隣住民だけです」続けた。
 どうやら、静馬の呟きは、「よく、半日で全住人を退去できたな」のようなものだったらしい。
 なるほど、華たち参加選手の周囲の人間以外に事前に伝えておけば、退去はスムーズに進む。
「しかし」
 何か話そうとしたマヤが、ここで言葉を止める。

 これがマヤの狙いだったのだろう、教室に、ぴんと張り詰めた静寂が満ちた。
「しかし、事前にプログラム開催を知り、逃げ出そうとした者がこの中にいます」
 ざわめきが起こる。
「堤さん、あなたとあなたの家族です」
 指名された堤香里奈つつみ・かりなに教室の視線が集まった。
 香里奈は大人びた少女だ。
 彼女も双葉の生まれなので子どもの頃から知っていると言えば知っている仲だが、優美に辛く当たっていたユイと彼女が仲良くしていたこともあって、華はあまり親しくしていない。
「情報を得る。それ自体はいいことです。しかし、その情報を有効に使わなくては意味はありません。逃げ出すなど、愚か者のすることです。プログラム開催の情報を得たのなら、いかに優勝するか、考えるべきです。準備をすべきです。分かりましたか? 堤さん」
 堤家はどこからかプログラムの話を聞き、今朝方、家族で町外に逃げようとしたとのことだった。
 しかし、政府の監視の目をくぐることはできず、捕縛された。
「罰として、堤さんの家族は銃刑になりました」
 マヤが淡々と重大な事実を話す。
 華たちには背を向けているので、香里奈の顔は見えず、親兄弟を失った彼女がどんな表情をしているのかはわからなかった。
 香里奈の父親は町議だ。父親がつてで情報を得たのだろう。

「堤さん、あなたにも、罰を与えます。あなたには地図以外の支給物資はありません。もちろん、支給武器も。ハンデを負って戦いなさい」
 多大なハンデだったが、家族のようにその場で殺されないだけ、香里奈には幸いだったのだろうか。

「ほかに、質問は?」
 実は、ずっと気になっていたことがあった。
 意を決して、立ち上がる。
「あの……」
「どうしました? 新谷さん」
 やはり、マヤ教官はさらりと華の名を呼んだ。どうやら、クラス全員の名前と顔は頭に入っているらしい。
「川島先生はどうされているんでしょうか」
 川島加奈子。40からみの中年女性で、華らの担任だ。
 教育熱心なベテラン教師で、生徒たちの人気も高い。華も彼女のことを好いていた。
 プログラム開催に反対した担任教師が射殺されるケースもあると聞く。果たして大丈夫なのだろうか?
 マヤ教官は、華の心を読んだらしい。
「銃刑にはなっていません」と答えてきた。
「体調を崩されたので、今は隣町の病院に入院されていますよ。じき退院できるでしょう」
 では無事なのだ。
 華は、ほっと胸をなでおろした。

「……ほかに質問はないようですね。……それでは、プログラムを始めます」
 冷淡にマヤが言い切り、教壇を両手でぱんと叩いた。
 そして、この音がゼロサムゲームの始まりとなった。



−10/10−

雨宮律  主人公。小柄で華奢な体躯。
三原勇気 律の幼馴染。クラス委員長。恵まれた資質からかやや無神経なところがある。
新谷華  勇気と交際している。気が強い。
堀北優美 おとなしい性格。華と親しい。
須黒ユイ 和久井信一郎と優美をいじめている。


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