OBR3 −一欠けらの狂気−  


033   1980 年10月01日17時00分


<藤鬼静馬>


 理科室
のドアを開ける。滑りが悪く、がたがたと耳障りな音が鳴った。
 長辺2メートル、短辺1メートルほどのテーブルが二列にあわせて6脚並んでいる。机上実験に使うため、短一辺にシンクと蛇口がついている作りだ。
 そして、廊下同様、床やテーブル、窓枠に、刷毛で乱暴に塗ったような血糊が続いていた。
 見やると、雨宮律は薬品棚に背もたれて座っていた。
 尻を床につけ、脚を前方に投げ出した体勢。血の気を失った顔に、窓から差し込む夕陽が色を添えている。
 まずは、視線を窓の外に向ける。
 暮れなずむ町の風景が見通せた。
 連なる山々。刈り入れの終わった田園。申し訳なさそうに身を寄せ合う家々。
 寂れた田舎町だ。
 観光名所などなく、二年前越してくるまではその存在すら知らなかった。
 静馬の父親は事業家だ。
 山向こうで開発が進んでいる神崎高原リゾートにも一枚噛んでおり、その縁もあって双葉山に別荘を建てたのだ。
 律たちには話していなかったが、神崎高原リゾートが完成すれば、その別荘地にも一つ家を持つ予定になっていた。
 その際には双葉の家は引き払うことになる。

 双葉町とはいわば期間限定の付き合いだ。
 仮住まいのつもりでしかった町。しかし、その町で雨宮律とであった。
 かけがいのない友人であり、静馬の黒い関心を惹く存在でもある。
 律はこの町が好きだと言っていた。何もないけど、それがいいとも。分からない心理ではない。
 また、静馬が殺した須黒ユイから浴びた罵声の中に、「町を汚しやがって」というものがあった。彼女は律とは違い、ひなびた双葉町を嫌っていたはずだ。どこで心境に変化が生じたのだろうか……。

 思索の後、律と視線が合う。
「ひっ」
 少年は華奢な肩をびくりとあげた。眼鏡の奥、双眸が涙で濡れている。
 左半身は血に染まっている。満足に動かすこともできなくなっているようで、左脚を擦るようにして後ずさる。その振動で、棚に並べられた薬瓶がガチャリと音を立てた。
 その音に驚いた律がひゅっと息を飲み、斜め後方を見やった。
 視線を戻すときに隣の棚に並ぶ検体が目に映ったのか、またびくりと肩をあげた。検体は、カエルやラットなどのホルマリン漬だ。殺戮者の静馬をしても、さすがに気味が悪かった。

 ……ちょうどいい塩梅だ。
 先ほどマシンガンで彼を撃った。負わせた傷の具合に満悦し、制服のポケットに入っている黒刃のナイフに手を滑らせる。
 和久井信一郎や三原勇気のように即死に至る深手を与えてしまっては、楽しめない。かといって浅い傷では反撃の危険性がある。
 取りだされた黒刃のナイフに、律の目が吸い寄せられた。
 ナイフの動きに合わせて律の視線が流れる。
「ぐっ」
 右脚に刃をつきたてられ、幼顔の親友は悲鳴をあげた。
「た、すけて……」
 懇願を無視し、次は胸元を掠めさせた。真一文字の切り傷から新たな血がにじみ出る。

 致命傷を避けられていることに、気がついたらしい。
 激痛に歪む律の表情に、困惑が足されたように見える。
「ごめんね」
「え?」
「ごめんね。痛いよね、怖いよね。……それは、凄く分かる。だって、僕も普通の人間だから」
「なら、どうして……」 
 律が唖然とした顔で、疑問を投げてきた。
 その右手が制服のポケットを撫でた。
「気の毒なんだけどね。可哀想なんだけどね。でも、 くて悦くて、堪らないんだ。我慢できないんだよ」
 だから、致命傷を避け、少しでも長く愉しめるようにしているんだよ。君は、楽になんて死ねないんだよ。
 口には出さなかったが伝わったらしく、律に浮かぶ惑いと怯えの色が増した。
 まるで、化け物を見るような眼だ。
 

 傷つけられることに、命を奪われることに、気の毒だと思う。可哀想だと思う。それは、本当だった。だけど、やめることはできない。欲求を抑えることができない。
 明らかな矛盾を感じるものの、そこに苦悩はなかった。
 ただ、残念に思うことが一つ、あった。
「僕がこんなことをしたって、知られたら、みんな僕を怪物扱いするだろう……な。……僕は、それが、悔しい……んだ」
 諦め混じりのため息を落とす。
 プログラム中の殺人や暴行は一切罪に問われない。
 実際、残虐行為に及ぶ生徒は多いと聞く。だけど、プログラム後に彼らが捕縛されることはない。優勝者が裁かれてはこの制度の意味がない。
 優勝者の安全は保障されているのだ。
 静馬もその一人となるように、プログラムで初めて人を殺したように振舞ってきた。

 だけど、静馬の嗜虐性はプログラム以前からだ。
 そして、優勝後も、その生活は続く。
 いずれは露見し、捕縛されるのだろう。
 静馬がこれまでにしてきた殺戮が露見したとき。有り体の言い方をすれば、『血も涙もない殺人鬼』あるいは『怪物』だと、報道され、人々の胸に刻まれるに違いない。
 静馬はそれが残念でたまらない。 
 気の毒だと、自分の手にかかる被害者の痛みや恐怖がわかると、いくら言い募っても、本心からの台詞だとは感じてもらえないだろう。狂気の一つの証拠として捉えられて、終わるだろう。

 そして、私生活は暴かれ、分析される。
 たとえば、静馬はミステリー小説や推理小説を好んで読む。発覚後に、この読書傾向がどんな風に分析されるのか、想像に難くはない。 
 読書傾向だけではない。
 静馬の生きてきた軌跡の一つ一つが、殺戮行為に関連付けられるはずだ。
 人見知りの性格。絵画の趣味。忙しい父親との関係。病弱な母親との関係。一時期交際していた鈴野巴との関係。巴との性経験……。

 ……違う!

 心の中で叫ぶ。
 違うんだ。……確かに、僕は異常だ。人を殺すことに悦びを感じてしまう自分が、正常の範疇にあるだなんて、とても言えないし、思うこともできない。
 だけど、違うんだ。
 僕はそれだけじゃないんだっ。
 僕の本棚が推理小説で埋められていること、絵のこと、お父さんやお母さんとの関係、巴ちゃんとの関係。それらと人を殺すこととは、全く別のことなんだ。
 ……でもきっと、別には考えてもらえない。僕の全ては、『殺人鬼』で判押しされてしまう。薄っぺらい、ただの一言で。
 その一言が、僕の全てを消し飛ばしてしまう。僕の日常を消して、『殺人鬼』に書き換えてしまう。
 僕が、巴ちゃんのことが好きだったことも。巴ちゃんの身体に触れたくてたまらなかったことも。巴ちゃんと上手くいかなくなって苦しんだことも。別れて、悲しんだことも。絵を画くことが好きなことも。お父さんお母さんと些細な喧嘩をしたことも。でも、結局二人のことが好きだってことも……。
 消されてしまうんだ。全部全部、消されてしまうんだ。

 ……誰が、僕が案外お笑い番組が好きだったなんてことを、信じてくれるだろう。

「……僕は、それが残念でたまらないんだよ」
 思いの後半は、紡ぎだされた言葉になっていた。
 肩を落とす静馬を律が唖然と見つめる。
 ただし、静馬の中に、殺戮者であることへ拒否感はない。自分の性質は、実直に受け入れていた。
「……だけど、それだけじゃない。それだけじゃ、ないんだっ」
 台詞は尻上がりになり、最後はほとんど叫ぶような声になっていた。両手をぎゅっと握り締める。悔しくて悲しくてたまらなかった。両のまなこに涙が浮かんだ。



 そして、気がつく。
 目の前で倒れている親友の、雨宮律の瞳が、ぎらぎらと光を放っていることに、気がつく。
 今度は、静馬が唖然とする番だった。
 ……これは、なんだ?
 今までに幾度となく人を傷つけ、殺してきた。
 殺されることへの恐怖、踏みにじられることへの憤怒、どうしてこんな目にあうんだという疑問、戸惑い。様々な反応を、静馬は彼らの双眸に見てきた。
 もちろん一人一人仔細は違う。それでも静馬は、被害者たちの反応が皆どこか似ているように感じていた。律もまた、彼らと大きな違いはないと感じていた。

 ……なのに。
「どう、いうことだ?」
 疑問が、薄い唇から滑り落ちる。
「律? 君は……?」
 依然、律は恐怖を浮かべている。
 小さな膝と肩がガクガクと震えていた。呼吸が詰まり、荒くなっている。左半身の銃創から流れた血がぬめった池となり、床に広がっていた。失血によるショックを起こしかけているのかもしれない。
 表情や身体の動きだけを見れば、律は今までに殺してきた被害者たちと変わりない。しかし、瞳の色は明らかに違った。

 覗き込んだ先に見えるのは、漆黒の闇。

 それは、見慣れた暗闇だった。
 誰かの命を飲みたいと感じたとき、誰かを殺したいと願ったときに、静馬が自身の心の奥に見る、塗り固めたような重々しい黒。
 その黒が、律の瞳の中にある。

 ごくり、唾液を飲み込む互いの音が重なった。



−02/10−


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バトル×2
藤鬼静馬
二年前東京から引っ越してきた。殺人嗜好をもつ。