OBR3 −一欠けらの狂気−  


031   1980 年10月01日17時00分


<藤鬼静馬>


 三原勇気の身体から血がほとばしり続ける。体育館の板床にその領域を広げる赤い色。同時に、慣れ親しんだ血と死の匂いがあたりに充満する。
「三原が……プログラムに、乗るとは……」
 静馬は驚きを口に出す。
 裏切られた、という思いもあった。殺戮者たる彼が抱くにはそぐわない思いなのかもしれないが、感じるのだから仕方がない。
 勇気は親しい友人だった。彼のことは、よくわかっていたつもりだ。一本気で、いっそ融通が利かないくらいの生真面目な性格。正義の人、正論の人。
 静馬の知っている勇気は、クラスメイトに銃を向けるような男ではなかった。
 
 ……これが、プログラムか。

 そっと首を振ると、勇気が見ていた先を目で追った。先ほど、勇気は何かに気を取られた。あの一瞬の隙がなければ、床に倒れていたのは自分のほうだったろう。
「律……」
 観客席の隅、柱の陰に見知った顔があった。その距離は10メートルほどだろうか。
 制服姿の小柄な体躯、眼鏡をかけた丸顔。……雨宮律だ。一番の親友。
 律は怯えた顔をしていた。
「た……す、けて」
 震える小声が、体育館に不思議によく響いた。

 律はディバッグを肩掛けにせず手に持っていた。少しの間のあと、手からディバッグが落ちる。その音が契機となったのか、小柄な身体を返し駆け出す。
 ほとんど無意識に引き金に力をこめていた。マシンガンから吐き出された連弾が、その後を追う。
 律の左腕が跳ね上がった。左脚にも着弾したようだ。一度仰け反った後、足を引き摺り、懸命に逃げていく。
 ……あの出血なら、血のあとを追える。
 
 視線を三原勇気の亡骸に戻した。
 かつての友人は、仰向けの体勢で四肢を投げ出していた。苦痛の表情を浮かべ、事切れている。
 ……命の抜けた肉に興味はない。
 冷徹な思考。
 静馬の関心はすでに雨宮律に向かっている。勇気の身体から流れ出る血を踏みしめ、ゆっくりと歩き出した。


 
 藤鬼静馬がはじめて人を殺したのは、6歳の夏だった。その頃は、東京の本宅に住んでいた。
 従姉妹を自宅の階段から突き落とした。そして、彼女の背を押したその瞬間に、心の奥でそれまでに持ったことのなかった不思議な感覚があふれ出た。
 それが何であったか、6歳児の語彙では表現できなかったが、長じた今は、それが快感、満足感といった種類のものであったと分かっている。
 歓喜、愉悦、達成。
 人が何かを成し遂げたときに持つべき感情を、静馬は従姉妹の背を押し、殺したことで得た。
 従姉妹はあやまって階段から転落したものとされ、事故として処理された。

 次に殺したのは、小学5年生のときだった。クラスメイトを、当時一番親しくしていた少年を、刺し殺した。
 突発的だった従姉妹の殺害とは違い、計画を練って行った。
 様々にシミュレートした結果、雨脚の強い夜が適していると判断した。
 果たして、足跡などの証拠や、ナイフで刺したときに浴びた血のりは、雨が洗い流してくれた。警察の捜索の手は静馬までには至らず、捕縛されなかった。

 世間的には静馬の異常性は露見していなかったが、やはり両親には悟られていた。
 静馬が13歳の春、藤鬼家は長野県の片田舎、双葉町に別荘を構えた。
 表向きは身体の弱い母親のためとされているが、その実は静馬の精神療養であった。自然豊かな地で過ごすことによる好影響を期待されたのだ。
 もちろん、両親から面と向かって問いただされたことはない。
 しかし、常に心配げに静馬の様子を伺う四つの瞳が、すべてを物語っていた。

 結論としては、転地に効果はなかった。

 静馬は、双葉に越して早々に、再び他人の命を奪った。
 やはり雨の強い日を狙い、家政婦を増水した川に突き落とし殺した。このとき初めて、ターゲットに囁いた。
 川べりの草を必死の形相で掴み、流されまいと耐えている家政婦の絶望を煽った。
 ……充足感の積み木がさらに高くなった。
 
 欲求はしだいに強くなっていく。しかし、身近で人死が続くのは得策ではない。考えた末、他の地方へ『出張』することにした。
 連休や夏休みなどを使い、大阪、横浜といった都会に出、通り魔的に殺人を行った。
 それまでの経験を活かし、やはり雨の夜を狙った。
 大東亜共和国気象庁の全国天気予報精度は、あまり高くない。無駄足となることもあったが、そのときは無理をせず、観光だけして帰った。
 静馬は欲求に正直だったが、身を守るためにその欲求を抑える自制心を持っていた。

 聡い彼は知っていた。
 慎重を期したこと、優れた自制心で最良のタイミングだけを狙ったこと。さらに幸運にも恵まれ、世間的には露見せずに済んできている。
 しかし幸運は長くは続かない。いつかは捕縛される日がくるのだろう。いつかは断罪される日がくるのだろう。
 ……それなら。
 それなら、捕まるその日を出来るだけ長く延ばせるよう、努力するだけだ。


 静馬は、人を殺すことで満たされる。その感覚は、喉の渇きを潤したときに得るものと似ていた。

 己に問う。
 ……どうして、僕はこんな風に生まれたのだろう?
 裕福な家庭に生まれた。一人息子として両親の愛情を一身に受けて育った。両親は揃って教育熱心だった。そして、学業のための教育ではなく、情操教育に力を入れるタイプの親だった。
 静馬は事の善悪を説く童話を枕寝に育ち、美しい風景、高質な音楽や美術に触れて育った。
 また、両親は豊かな財力で、世間の悪意から静馬の心を守ってくれた。
 少なくとも静馬は6歳のその時点で、「人を殺すなかれ」という言葉の意味を知っていたはずだった。殺人に快楽を覚える種類の人間がいることなど、知らなかったはずだった。
 だけど、殺した。だけど、人を殺めることに愉楽を感じた。人を殺すことで満たされた。
 ならばそれは、生まれ持った性質なのだろう。

 疑問は繰り返される。
 ……どうして、僕はこんな風に生まれたのだろう?
 分からなかった。分からないまま、人を殺め、生きてきた。

 

−02/10−


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バトル×2
藤鬼静馬
二年前東京から引っ越してきた。殺人嗜好をもつ。