OBR3 −一欠けらの狂気−  


028   1980 年10月01日13時30分


<雨宮律>


 トランシーバーから、須黒ユイの潰れた悲鳴が聞こえた。
「……死んだ、か」
 雨宮律 はふっと息を吐いた。
 正直なところ、ユイの迫力に圧倒されていた。ユイの最期の声に、恐怖が混じっていなかったといえば嘘になる。彼女は間違いなく死に怯えていた。
 ……だけど。
 だけど、ユイは強くあった。強くあり続け、最期の最期まで静馬を、プログラムを、この馬鹿げた国を口汚く罵倒し続けた。正義感からではなく、ただ単純に罵り続けた。その強さ彼女らしさに、静馬だけでなく、律も惹かれていた。

 律が今いるのは、双葉中学の校舎裏だ。鶏小屋と小さな池が見える。水面に日の光が反射し、きらきらと輝いていた。
 鶏小屋に主はおらず、池には鯉が優雅に泳いでいた。
 プログラムの開催時間は最大三日。鯉は水苔などで自活可能だと判断されたというわけか。
 三原勇気は体育館で休んでいる。トイレに行くと言って出てきたので、あまり長い時間は離れられない。

 トランシーバーは、もとは和久井信一郎(静馬が殺害)の支給武器だったものだ。首輪を通し、任意の相手と合計5回通話ができる。
 機体の端にカウンターがついており、数字の「2」が表示されていた。
 二回使われたという意味だ。
 律が信一郎の亡骸のそばで拾った時点で、一度使われていた。
 信一郎が須黒ユイと通話したらしく、通話設定がユイを示す「女子二番」になっていた。試しに設定そのままで通電したところ、この殺人劇を視聴することができた。

 ユイの罵声を心の中で反芻する。それはまさしく、彼女の魂の輝きだった。
 同時に、堤香里奈のことを思い出す。理性を保ったまま死にたいと自決した香里奈。彼女もまた、死するその瞬間を輝きで閉じた。
 彼女たちは素行が悪く、町で浮いた存在だった。
 優等生グループに属していた律のこと、彼女たちとはほとんど接点がなかった。
 ただのクラスメイトという記号でしかなかった香里奈とユイ。その彼女たちが最期に放った輝きに、律は魅せられていた。
 輝きを引き出したのは、プログラムだ。
 そして、ユイに関しては、静馬が多くの部分を担った。
「プログラムのおかげで、静馬がシリアルキラーだったおかげで、僕は楽しめている」不謹慎極まりない思考。
 ……だけど、これが僕なんだ。誰もきっと理解してくれないんだろうけど、これが、僕なんだ。

 と、トランシーバーの向こうで、静馬が口を切った。
『担当教官さん……阿久津さんでしたっけ? 聞こえていますか?』
 つい先ほどクラスメイトを屠ったとは思えない、落ち着いた声色。
『一方通行ってことはないでしょう? 答えてくれませんか?』
 律は、自身につけられている首輪に目を落とした。
 この首輪には、爆弾が仕掛けられており、禁止エリアに入るなどすると起爆するという。また、心臓の電流パルスをモニターしており、参加選手の生死を本部に流している。
 ここまでが一般的に知られている首輪の機能だが、ほかに集音マイクとしての機能もあるらしい。参加選手の音声記録を取り、軍事活用されるのだ。
 昨日まで机を並べていたクラスメイトらと殺し合いを演じる。その悲哀は、実に律好みで、律はプログラムに関心を持っていた。
 他のクラスメイトよりもプログラムに関する知識は多い。静馬もまた、プログラムに関心を持っていたということだろう。

 トランシーバーを通しての会話は、相手方は首輪を通してなされる。マイクとしての機能がついているのなら、静馬の言うとおり、一方通行ということはあるまい。
 問題は、阿久津教官が答えてくれるかどうかだが……。
 ややあって、『どう……かしま……か?』理知的な声が流れてきた。
 少し聞き取り辛い。
 静馬の首輪から流れる阿久津教官の音声を須黒ユイの指輪で拾い、それをさらにトランシーバーで受信する形になるためだろう。
『ありがとういます。最初の説明のときに、勝者は特典を受けるべきだとおっしゃっていましたね』
『そう……ね』
『僕が優勝したら、あなたからもひとつ、いただけませんか』
 答えに詰まったのだろうか、阿久津から返事は無かった。
 静馬はこれに構わず、『僕が優勝したら、須黒ユイの音声記録をください』『あなたの権限なら、可能でしょう?』続けた。
 担当教官の役位はそれなりに高いはずだが、音声データの譲渡など可能なのだろうか? そう思っていると、『阿久津、大臣』静馬がぽつりと言った。
『珍しい姓だ。あなたは阿久津大臣の関係者ですね?』
『……たしかに』
 ああ、と呟く。
 どこかで聞いたことのある名前だとは思っていたが、現職大臣だったとは。
 阿久津大臣は教育関連の省庁の長だ。阿久津教官はその血族なのだろう。
『……分かりました。あなた……優勝し……ら、渡し……しょう』
 一拍おいて、やはり聞き取りにくい阿久津教官の音声が続く。『ただし、私の権限でなされます。祖父は関係ない』これだけはやけにはっきりと聞こえた。

 ……うまいな。
 静馬の交渉術に、律は舌を巻いた。
 阿久津教官のプライドをくすぐり、彼の望む方向に話を持っていった。それは、静馬の高い知能の証明でもあった。
 知能的、理知的なジェノサイダー。もっとも律が好む殺人者だ。

「須黒ユイの音声記録、か」
 空を見つめ、つぶやいた。
 静馬はいわゆる『秩序型』『コレクショニア』の殺戮者だ。彼は殺人の記念を集めている。
 バインダーブックには、自らが犯した殺人の記録やターゲットの情報を綴じていた。クロッキー帳には、殺人現場の絵を画いていた。
 そして、プログラムでは、殺した相手の一部分を切り取り、持ち去っている。
 静馬が形無いものをコレクションしようとしたのは、律が知る限り、初めてのことだった。
 それだけ、ユイの声……もっと言えば、『罵声』に……魅力を感じたということだろう。
 もちろん、罵倒されることに快感を覚えるような癖を持っているわけではあるまい。
 ユイの罵声を、彼女の魅力として捕らえた。ただ、それだけだ。それが彼の価値観だというだけだ。彼は素直に彼らしく行動しているだけだ。
 理性を保ったまま死ぬために自決した堤香里奈も、最期の最期まで罵倒し続けた須黒ユイも。自分らしさを守りきった。

 ……そして、僕も。

 律は息をすっと呑み、そして、トランシーバーの通話設定ボタンに右手の指先を置いた。操作し、ターゲットを藤鬼静馬に設定しなおす。
 もう一度息を大きく吸い込んだ。
「静馬……?」
 声は震えなかった。
「静馬、聞こえる?」
『……律っ。律だね?』
 静馬の惑い声が聞こえた。声色に嘘はなかった。本当に驚いているに違いない。 
「今、勇気と学校にいるんだ」
 生き残ることを優先するならば、この行動は間違っている。
 プログラムに乗っている者を呼び寄せる必要性などない。
 だけど……。
 死ぬつもりはなかった。だけど、静馬と直接対峙してみたいという感情を抑えることができなかった。矛盾する心。迷う心。
 だけど。だけど……。
 ここまでの躊躇は初めてだった。
 それだけ、生命の危険があるということだろう。それだけ、死にたくないと感じているということだろう。 
 だけど……。
 律は目を閉じると、三度、息を吸った。
 そして、「静馬、合流しようよ。怖くてたまらないんだ」声を押し出した。

 ……いささか、思索に囚われすぎたのかもしれない。律は背後の気配に気がついていなかった。



−04/10−


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バトル×2
雨宮律
周囲には普通の少年と思われていたが、連続殺人犯に惹かれる性質をもっていた。藤鬼静馬の危険性にもプログラム前から気付いていた。