OBR3 −一欠けらの狂気−  


026   1980 年10月01日13時00分


<須黒ユイ>


 
ユイの狙いは、華ではなく静馬だった。
 素人の射撃が命中したことに、安堵する。
 静馬は、被弾した右腕を左手でおさえていた。鮮血が、果樹園の下生えに降り注ぐ。肩掛けしたサブマシンガンがゆらりと揺れ、蜜柑の木の幹を叩き、乾いた音を立てた。木々の間を、真新しい血の匂いが埋めていく。
 「静馬!」
 新谷華が声をあげた。
 そこに、友人との再会を喜ぶ音と怪我を気遣う音を聞き取り、ユイは顔をしかめた。
 ……これだから、状況の見えてない、いい子ちゃんは!
 華が静馬に駆け寄ろうとする。とっさに華の腕をつかみ、「馬鹿っ、そいつから離れろ!」唾を飛ばした。

「え、え?」
 惑いをにじませる華に、「こいつ、プログラムに乗ってんだよ!」事実を投げる。
 大声を出したら、静馬に傷つけられた身体が痛み、うめいた。

 唐突に思った。
 ……助けることなかったんじゃ?
 もともと仲はよくなかった。華を助ける義理などなかった。
 肉体的にも、脚を撃たれてはいるが、麻痺しているわけではない。力を振り絞れば、立ち上がり歩を進めることぐらいならできそうだった。放っておけば、華が襲われる。その間に、静馬のマシンガンから距離を取ることはできただろう。
 数時間前に一度、静馬に襲われた。そのときは、幼馴染の和久井信一郎の居場所を、信一郎の安全を売り、生き延びようとした。
 その様子を見ていた雨宮律は、「友達を盾にしてでも生きたいって思い、嫌いじゃないよ」「だって、人間って感じがするもの」と言っていた。彼の思惑は掴めないが、プログラムという状況下、他人を盾にする行為は認められるはずだ。
 それが、プログラムだ。

 崖下の双葉川から這い上がってくる冷気を感じながら、立ちすくむ華を見上げる。 
 華はきょときょとと目を動かしていた。ユイの言葉を信じきれない様子だ。
 崖の入り端に立っている木の幹を借り、苦労して立ち上がる。静馬に撃たれた脚が悲鳴を上げ、顔をしかめた。
「こいつは、プログラムに、乗ってる」
 一言一言区切るように言う。
 緊張と恐怖に、肌がぴりぴりと痺れた。
 しかし、「な、何言ってんだよ! 僕がそんなことするわけないじゃないかっ」嫌になるほど善良な声で、静馬に返された。焦燥……しているように、見える。
 ……たいした演技力だ。
 静馬は本当に焦っているように見えた。
「だよ、ね」
 騙された華が、ユイの手を振りほどき、一歩足を進める。果樹園の下生えが、くしゃと音を立てた。その音を合図にしたかのように、静馬は肩にかけていたマシンガンを手に持ち替えた。顔には焦りの表情が乗ったままだ。

 くる!

 喧嘩慣れしているからだろうか。それとも、静馬に一度襲われた経験があるからだろうか。
 静馬の殺気を、ユイは鋭く感じ取った。
 今度は華の腰をつかみ、ぐいと引き寄せる。
 そして、そのまま、崖に向けて地面を蹴った。
 身体が宙に舞う感覚。その後をマシンガンの連射が追い、ユイの身体のあちこちの肉を掠め取っていった。

 胸のあたりを強く押され、ユイは目を覚ました。
 同時に、水を吐き出す。
 ぜいぜいと息を乱していると「ああ、神様っ」誰かの声が降ってきた。
 見ると、しゃがみこんだ体勢の新谷華がユイの胸を押さえている。どうやら、彼女が水を吐き出させてくれたらしい。
 身体を動かそうとすると、左体側に激痛が走った。あちこち折れているようだ。水面に身体を打ちつけたせいに違いない。 
 川原に仰向けに倒れていた。半身は双葉川に浸かり、流れ出た血が川の水を赤く染めている。砂利にも血が飛沫していた。水が流れる音がする。
 ユイも華も川の水に浸かり、ずぶぬれだ。
「生きてた……」
 大粒の涙でさらに身体を濡らし、華がへたりと座り込む。全身が震え、痙攣を起こしたかのようになっていた。
 
「あんたが……引き上げてくれたのか」
 華を見上げたまま訊くと、頷きを返してくる。
「なんで、だ?」
 さらに尋ねた。
「……須黒だって、助けてくれたじゃない」色を失った顔で華が答える。どうやら、静馬がプログラムに乗っていることを理解したらしい。
 見れば、彼女はほとんど傷を負っていなかった。華が無事だったから、水に呑まれずに済んだ。自分だけだったら、華が大怪我をしていたら、死んでいた。
 ……今の命は、彼女を助けたらからこその命だ。情けは人のためならず。回り巡る運命を感じた。

「どうして?」
 今度は、華が訊いてきた。「どうして、私を助けたの?」
 信一郎が自分に連絡を取ろうとしていたことを教えてくれたからだろうか。これまでのことを謝ってくれたからだろうか。
 自分でも理由が分からなかった。
「難しいことは、わかんね」
 思うままに答えると、「なに、それ」華がくすりと笑った。しかしすぐに表情を曇らせる。「静馬が乗ってただなんて……」
「誰だって死にたかないだろ」
 わざと一般論にした。数時間前、静馬は人を傷つけると癒されると言った。彼は単純に生存を目的にしていない。人を傷つけること自体をも目的にしている。その事実は、静馬を友人だと思っている華にはあまりに酷だった。

 遅れて、気がついた。
 ……あたし、人を気遣っている。

 善行だとか善心とは無縁に生きてきた。それなのに、この土壇場で……。
 プログラムという状況下、人はもっとエゴをむき出しにするはずだった。ユイ自身、ほんの少し前には和久井信一郎の安全を売り、生き延びようとした。
 なのに、どうして……。
 これも、答えは見えなかった。
 だけど、なんだか心地よかった。心地よく、くすぐったかった。

 ……ついでに、もうひとつ。
「悪りい。よかったら、あたしの身体を川から引き上げてくれないか?」
「あ、ごめん。寒いよね」
 そんな理由ではなかったが、打ち明けるつもりはなかったので、誤解をそのままにしておく。
 華が苦労して引き上げてくれる。
 日差しで暖められた砂利が、気持ちよかった。
 見上げた空は青く、濃い緑があたりを覆っていた。清涼な空気。どこまでも澄んだ河川。色鮮やかな双葉の土地。
 ……汚したくなかった。
 流れる血はプログラムの象徴だ。その血で、双葉を汚したくなかった。
 赤い血が川を通し、双葉の地全体に滲んでいくような気がしたのだ。
 故郷を思う気持ちなど今まで持ったことは無かった。ずっと、このひなびた町から逃げ出したいと思っていた。不良仲間の堤香里奈(自殺)と、町から出る算段ばかりしていたものだ。
 その気持ちは今でも変わらない。
 叶うことなら、町から出たい。

 ……だけど。だけどっ。

 唐突に、香里奈の従姉のことを思い出した。彼女は若い頃に町を飛び出し、30を過ぎてから出戻ってきた。香里奈は彼女のことを町を出た悪い見本として扱い、「同じ出るなら、もっと堅実に行かなきゃ」と言っていたものだ。
 ユイは彼女と話したことがあった。都会での華やかな生活。水商売の苦労。男性遍歴。田舎に帰ってきたはいいが所在のなかったせいだろうか。嫌味なく近づいてきたユイに、彼女は、良いことも悪いことも包み隠さず話してくれた。
「どうして、戻ってきたの?」
 しがみ付けば、まだまだ都会で暮らせたはずだった。
「さあね」 
 生まれ故郷は、決して彼女に甘くなかった。
 親兄弟親戚からは爪弾きにされる。かろうじて居を許された実家では、兄弟嫁に疎まれる。隣近所からは冷たくされる。
 そんな生活だった。
 細身のタバコを揺らしながら彼女は一度空を見つめ、「この町、大っ嫌いなんだけどね。なんか戻ってきたくなったのよ」とだけ答えてくれた。

 あのときは理解できなかった彼女の気持ちが、今ならなんとなく分かる。
 人は、コインの裏表を同時に抱けるのだ。

 うらびれて行く一方の町は嫌いだ。だけど、汚されたくはない。
 郷愁のねじくれ加減が自分らしいと、ユイは笑った。

 と、さくり。やけに小気味いい音がした。華の目が見開かれる。
「え?」
 問いを投げると同時、華がゆっくりと前のめりに倒れてきた。
「ちょっ」右腕でガードし、華の身体を横に流す。極力衝撃を抑え、華の身体を川原に横たえた。
 ざっと砂利を蹴る音がし、影がユイの身体に被さってくる。
 影の正体は藤鬼静馬だった。さらりとした艶髪に、白い肌。唇だけが朱を指したように赤い。黒地のジーンズに、やはり黒地のジップアップシャツ。右肩の傷は深かったらしく、布で止血はしているが、血がだらだらと腕を伝い落ちていた。



−06/10−


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バトル×2
須黒ユイ
素行が悪く、おとなしい堀北優美には辛く当っていた。