<新谷華>
正午の定時放送を聞き終え、新谷華は息をついた。
……生きていた。
三原勇気の名が死亡者リストに挙がらなかったことに、胸をなでおろす。
双葉山の中腹を蛇行する山道。周囲の果樹園から柑橘系の甘酸っぱい香りが漂っていた。
日は高く、蒸し暑さすら感じる。
6時から12時までの死亡者は、西村千鶴一人(藤鬼静馬が殺害)だった。
数時間前、立て篭もっていた喫茶店で、マシンガンを持った誰かに襲われた。和久井信一郎は死に、西村千鶴は重傷を負った。
華と勇気が喫茶店から飛び出したとき、千鶴はすでに重傷だった。予想通り長くはもたなかったのだろう。もしくは、あの後誰かにさらに傷つけられたのか……。
雑木林まで逃げたところで、再び撃たれ、二人して腐葉土の地面に倒れこんだ。
勇気は脚に、華は右肩に銃弾を受けた。そして華は、立ち上がることのできない勇気を見捨て、逃げた。
右肩の出血は大分収まっていたが、痛みは消えない。胸も、締め付けられるような痛みに襲われ続けていた。
締め付けるのは、後悔の念。
「ああ……」
もう一度息をつく。
……私は、勇気を捨てたんだ。
紛れもない事実だった。
あの時、華は単純に恐怖していた。勇気は動けない。自分は脚がまだ生きている。なら、独りで逃げるしかない。そう考え、そのままに行動した。
……なんで、あんなことを……。
後悔を心に抱くが、空々しかった。形だけの後悔であることを、自身がよく知っているからだろう。
と、強い血の匂いがした。
立ち止まり、匂いの元を探る。果樹園の向こうから漂ってきているように感じる。この果樹園は華の遠縁が経営している。
優美と一緒に、小遣い稼ぎがてら何度か採り入れを手伝ったことがあった。
日に焼けながら、笑いあい、身体を動かす。
漂うかんきつ類の香りに、今となっては懐かしさすら感じる。
その香りを覆うような血の匂い。
それは、争いの証だ。
恐ろしさを感じ、踵を変えそうとする。だが、ややあって、立ち止まった。
「優美……」
恐怖は感じ続けていた。だけど、「もしかしたら、優美の亡骸があるのでは……?」と考えてしまったのだ。
親友に会いたい。
ここは彼女との思いでの場所だ。再会にふさわしいのではないだろうか。
抱いた願いは広がり、恐怖心を覆う。華は一度大きく首を振り、迷いを切ると、果樹園へと足を向けた。
*
「ざまぁ、ないね」
これが、須黒ユイの一声だった。
背を樹木に預け、両足を投げ出して座っていた。彼女の周囲だけ地面が黒く見えるのは、流れ出た血液のせいだろう。制服が朱に染まっていた。
ロケーションとしては果樹園の端になる。ユイの後ろは崖っぷちで、下方を流れる双葉川の水音が聞こえた。
「だ、大丈夫?」
華の問いに、ユイは口角をあげて返した。
狐の面を思い出させる細面に、細く釣りあがった瞳。カラーリングを繰り返し艶を失った肩までの髪を、外跳ねにさせている。制服の上にエナメル地の黒いジャンパーを羽織っており、付着した血で汚れていた。
「アタシが、あんたに、心配されて、感謝する、とでも?」ユイが、青白い顔で一言一言区切るように続ける。出血により貧血をおかしかけているようだが、声に力はあった。
たいした嫌われようだ。
華は薄く笑った。
子どもの頃はここまで仲悪くなかったように思う。同年代の女の子同士で集まり遊ぶときには、一緒にいた。だがいつの頃からか互いに嫌いあうようになった。
タバコに酒、不純異性交遊。ユイの自滅的な行動は華には受け入れがたかったし、ユイはユイで、優等生の華を嫌っていたはずだ。
結局のところ、単純に合わないのだろう。
華が一番会いたくない相手だった。
優美と会いたかったのに、神様も酷なことをする。そう思い、顔をしかめた。
「いい気味だと思ってんだろ」
投げるように言われた。
「え?」
問いを返すと、ユイは口角を憎憎しげにあげた。
「あんたの言ったとおり、だ」
華の沈黙を意に介さず、ユイが続ける。
「そんなことしてたら、ロクなことにならない、よ」
ますます分からない。
「信一郎にも逃げられた。私は、一人だ。……あんたの言ったとおり、悪さばかりしてたせいだね。ロクなことに……ならなかった」
当惑から引き戻される。
『そんなことしていたら、ロクなことにならないよ』発せられた当時ユイの胸をえぐり、プログラムで孤立した彼女を今現在追い詰めているに違いない言葉。華の言葉。
横っ面をはたかれたような衝撃を受ける。ユイが罵りを続けるが、華の頭には入ってこなかった。呆然と立ちつすくす。
……記憶に無かった。
深くユイを傷つけているに違いないのに、言った記憶が無かった。
自分としては何気ない一言だったのだろう。優等生が劣等性に、先生が生徒に言うように、上からの目線で発した言葉。
真にユイのことを思っての言葉ではなかったから、ただ自分を上位に立たせるための言葉だったから。だから、覚えていなかった。
そもそも彼女とは極力話さないようにしていた。
彼女との数少ない会話が傲慢極まりなかったことに、唖然とした。
なんて!
心の中で叫んだ。
私は、なんて、傲慢だったんだろう!
「ごめ……んな……さい」
自然、謝罪がもれていた。言葉は途切れる。
「え?」
ユイが怪訝な顔をする。
「ごめんなさい」
もう一度、今度は、はっきりと謝った。
「何を?」
ユイの問いには答えず、「私に……私に、そんなことを言う資格なんてなかった……」続ける。
酒やタバコになんて目も向けない、成績優秀、品行方正な優等生。気弱い友人を助ける心優しい優等生。そんな自分が好きだった。自分の立場に、満足していた。
そして、知らず知らずのうちに、周りを見下してた。だから、『そんなことしていたら、ロクなことにならないよ』なんて言葉を、意識せず使えた。
だけど、そんな資格なんてなかった。
傷ついた勇気をおいて逃げ出した自分に、そんな資格はなかったのだ。
そして、思い出した。
「須黒……」彼女の名を呼ぶ。
「何?」
「一人じゃなかった」
目を見開くユイに、事実を話す。「須黒、あんた、一人じゃないよ。和久井は、あの後、あんたのとこに向かった。あんたのところに、向かったんだ」
ユイは虚を突かれた顔をした。
ややあって、「……じゃぁ、あれはやっぱり」ぽつりと漏らす。
「首輪から、あいつの声がして、その後銃声が続いたんだ……。耳がおかしくなったのかと思ったけど……」
和久井信一郎の支給武器は、任意の相手と会話を得られる通信機だった。
信一郎は、喫茶店を出て行った後、ユイに連絡を取ったのだろう。しかしその直後、誰かの襲撃を受けた。
……何か、きっと。
思う。
……何かきっと、須黒たちは、大切な話ができたはずだ。
通信機を通し、あるいは直接会って、彼女たちにとって大切な話ができたはずだ。そう、思った。
だけど、その機会を、襲撃者が、プログラムが奪った。
プログラムの罪の深さを感じ、ため息をつく。
気がつくと、どこに隠し持っていたのか、ユイが銃を構えていた。
恐怖を感じたが、不思議に、身体は震えなかった。逃げようとも戦おうとも思えなかった。 ……これは、報いだ。
傲慢だった私への、報いだ。
劈く銃声に、身を硬くする。思わず息を呑み、目を瞑っていた。
しかし、身体のどこにも痛みは走らなかった。どうやら、被弾は免れたらしい。
恐る恐る目を開けると同時、後方からうめき声がした。
「えっ」
驚き、振り返る。
振り返った先には……右肩から血を流している藤鬼静馬がいた。
−06/10−
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