<三原勇気>
午前9時、雑木林の藪の中で三原勇気は息を殺していた。
撃たれた脚がじくじくと痛むが、どうやら弾に肉を掠め取られるに終わったようだった。素人の止血では流血が続いてしまっているが、失血死を懸念するほどではない。じきに止まるだろう。
低木に囲まれたスペース。勇気は身体を丸め、できる限り小さくなっていた。大柄な体躯は、身を潜めるに適していない。
「畜生……」
イライラと舌を打つ。
……もっと身体が小さかったらよかったのに。
そう考え、一拍を置いて驚いた。
自身の容姿に不満を抱いたのは、これが初めてだったからだ。
すらりとした長身。整った顔。女の子にはもてたし、勇気自身、容貌に満足していた。
だけど今は、その身体が憎らしい。
「ああ……」
そんな風に考える自分が嫌で嫌で堪らなかった。
……オレはどこまで。どこまで、堕ちるのだろう……。
勇気は、日ごろ正論ばかり吐いていた須黒ユイを拒絶し、和久井信一郎を見捨てた。好きになりかけていた西村千鶴を助けなかった。付き合っていた新谷華が襲撃者……勇気は、襲撃者が誰なのか気がついていなかった……に追われればいいと考えた。
プログラムまでの自身とは全く違う、小心で無様な思考、言動。保身。
……須黒たちの前では、以前のオレには、もう戻れない。
絶望と共に、思う。
地面が沼のように感じた。暗い淵に、ずぶずぶと身体が沈んでいく。
ここで、勇気は強く首を振り、心を鼓舞した。
「律……」
雨宮律の、親友の名を口に出す。プログラムまでの勇気を一番見知っている存在の名を、口に出す。
母親同士が親しく、家も近かったため、物心ついた頃には傍にいた。
律はその本の虫が災いし、小学校中学年には眼鏡をかけていた。小柄な体躯。大人しい性質で、運動もあまり好まない。
大柄で活発な勇気とは、身体も嗜好もまるで違ったが、どういうわけか気が合った。
この双葉町でずっと一緒に過ごしてきた仲間だ。
会いたかった。
律に会いたくてたまらなかった。
「律に会ったら、きっと、元に戻れる」
プログラム以来、律とは一度も会っていない。「アイツの中のオレは、以前のままだ」勇気はそう考え、また、そこに望みをかけていた。
律は、勇気が変わってしまったことを知らない。なら、彼の前ならば、プログラム以前の自分に戻れるのでは?
これが、勇気の思考であり、切なる願いだ。
どれくらい経っただろうか、突然、藪ががさりと掻き分けられ、勇気の心臓が逆バンジーを決行した。
思わず目を瞑ったが、「勇気……」かけられた声に驚き、慌てて開眼する。
「り、律!」
制服を着た、小柄な眼鏡少年。いつも穏やかな笑みを浮かべている童顔に、うっすらと緊張感が乗っていた。
そう、目の前に現れたのは、勇気が会いたいと願っていた雨宮律だった。
歓喜や驚愕、様々な感情がない交ぜになる。
ぼろぼろと涙が毀れた。
「血が……」
勇気の有様を見た律が「……大丈夫?」膝を折る。
見慣れた顔が近づいてきた。
……ああ、神様!
ほとんど生まれて初めて神に感謝をし、そして「今起きていることは本当なんだろうか?」現実を疑った。
律の暖かい手が勇気の頬に触れる。
「冷えてる」
眼鏡の奥の丸い瞳が曇り、「ここ、寒いよ。移動したほうがいいよ」至近距離から声が落ちてくる。
肩に、律の腕が回った。抱き起こされる。
すっと、不安や恐怖が消失した。他人の体温でこんなにも癒されるとは思ってもみなかった。思わず、律を抱き返す。
制服と、汗と、律の匂いがした。
「怖かった」
正直な気持ちを正直に話す。
弱さを顕わにする。誰の前でもしたことがない行為だった。
他人に頼りたい、寄りかかりたいと考えたのも初めてだ。
「初めて尽くしだな……」
思ったことを口に出すと、「え? 何?」律が怪訝な顔をした。
その顔がなんだか間抜けでおかしかったので、自然に笑顔が出た。
同じ『初めて』でも、ユイや華に見せたものとはまるで違う。この変化は心地よかった。
今まで強がって生きてきた。自分の中にある弱さや穢れに気がつかない振りをし、正論だけを周りに強制してきた。肩肘を張って生きてきた。その結果が、プログラム以来の無様な姿だ。
だけど、今律に見せている姿は違う。情けなくはあるけど、無様ではない。勇気は、弱さを認めた先にある大切な何かを掴みかけていた。
律の補助を借り、立ち上がる。
撃たれた脚に痛みはあるが、歩けないほどではない。
ほっと息をつく。
律の、他人の力は必要だが、自身の力で進むことができる。
……これが、生きるってことなんだ。
大げさに、思う。
しばらく進んだところで、視界の端に何かが映った。
ドキリと脈が上がる。
……血、だ。
二人が進んできた踏み分け道に、血が点在していた。律は負傷していない。間違いなく、勇気の血だった。
喉がからからに渇いた。
……どう、しよう。
小刻みに身体が震え、心臓がドラムを叩いた。
……血の跡を辿られる。
可能性に、心の芯から恐怖する。華を追った襲撃者、あるいはプログラムに乗った他の誰かに、血の跡を辿られる。その可能性に、勇気の身体は弛緩し、震えた。
「どうかした?」
気取られないよう抑えては見たが、叶わなかったようだ。
心配げに律が聞いてくる。
「いや、なんでもない」
さらりと嘘をつく。額に汗がにじんだ。
自分と一緒にいたら危険に巻き込まれるとは、告げられなかった。
そればかりか、「いざとなったら、律を盾にして逃げよう」とまで考えていた。プログラムまでならば唾棄していたはずの思考。その思考が鎖となり、勇気を縛る。
ああ……。
掴みかけた大切な何かが両手からぼろぼろと毀れる様を、勇気は虚ろに見つめた。
−06/10−
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