<雨宮律>
凶宴は一時間を越えた。
喫茶店から出て行く藤鬼静馬の背が見えなくなったところで、律はふっと息を吐いた。同時に、身体の硬直が解ける。
いつの間にかびっしょりと汗をかいていた。
上がった心拍が少しずつトーンダウンしていく。
カウンターの影から身を出し、強張った身体をほぐした。
眼鏡を一度取り、目頭を右手でぎゅっとつまむ。
物音を立てないように息を殺すことでこんなにも疲労するとは、思ってもみなかった。
もっとも、「わざと音を立てて静馬に見つけてもらおう」という一欠けらの狂気の囁きと、当たり前の危険認識との葛藤による疲弊も、相当な割合で占めているのだが。
眼鏡をかけなおし、店内をぐるりと見渡す。
木目を生かしたカントリー調の造り。
6人ほどが座れるカウンター席と、テーブル席が5つあるだけの小規模店だ。窓は出窓になっており、レースのカーテンがかけられている。
出窓の台部分には、ポプリが入れられたガラス瓶が並んでいた。
この小瓶は、藤鬼静馬の母親からのプレゼント品だ。彼女の知り合いがガラス工房を営んでおり、藤鬼家には、そのルートで手に入れたガラス飾りや実用品が多数ある。そのうちのいくつかを分けてくれたのだ。
ガラス工房には、静馬と二人で遊びに行ったこともある。
そのときに律が作った歪な形をした花瓶も、飾り棚に置かれていた。
「これはこれで味があるわよ」
恥ずかしがる律に、母親は笑って返したものだ。
勇気の母親と律の母親とで経営している店なので、店内には両家の家庭から持ち寄った品が点在している。
もしかしたら、自宅の次に思い出の詰まった場所なのかもしれない。
それは、勇気にとっても同じことだった。
その思い出の地が血に濡れていた。
勇気はどう感じたのだろう?
暗い好奇心がくすぐられる。
ふと「自分はどうなのだろう?
どう感じているのだろう?」と思い立ち、苦笑いを続けた。
切ないような悲しいような感情はある。また、凶宴の舞台となったことに喜びも感じる。しかしどちらにしろ、朧だ。それは、考察の対象となった時点で、感情がリアルではなくなっているからだろう。
自己心理とて、第三者視点で見てしまえば、ただの分析物でしかない。
喫茶店経営と主婦業を両立させている、エネルギッシュな母親。仕事で忙しく、家庭では存在感の薄い、今時の父親。口うるさい、歳の離れた姉。生意気盛りの弟。
ごく普通の家庭だ。
その中で、律だけが異質な性質を持って生まれた。
……なんで、自分だけが?
常々律が感じている疑問。
今日もまた答えは見えないが、特に悲観はない。それもいつも通りだ。
……これが、僕なんだ。だから、仕方ない。
そう思いながら、ゆっくりと歩を進め、西村千鶴に近づく。
一時間前、絶え絶えの息をしていた千鶴。一時間後の彼女は、物言わぬ骸と化していた。
身体のあちこちに刺し傷が増えていた。
静馬は様々に話しかけながら、彼女の身体にナイフを沈めていた。
静馬は凶行に及ぶときは、多弁になるようだ。普段は無口でクールな彼が見せる、高揚した表情。親しく付き合ってきたこの数年間、律が一度も見たこともない顔を、静馬はしていた。
彼は、このプログラムで初めて人を殺めたように言っていた。
それは、優勝後を見据えてのことだろう。
プログラム中に残虐行為に及ぶ者は少なくない。また、暴行、殺人、器物損害は一切罪に問われないが、以前となると話が別だ。
せっかく優勝したのに捕縛されては元も子もないということか。
千鶴の、血だらけの身体。苦悶の表情。見開かれた両の眼から涙が零れていた。
そして、右手の五指が切り取られていた。
律はその様子を物陰から見ていた。
ゴリゴリと骨が断ち切られる音。千鶴の絶叫。濃い血の匂い。
静馬は切り取った千鶴の指を大切そうにガラス瓶に入れていた。ガラス瓶はこの喫茶店に元からあったものではなく、静馬の荷物から出てきたものだ。
静馬の話では、自宅にあったものだそうだ。彼はプログラム中に二度家に戻っている。おそらく二度目の帰宅は、ガラス瓶を取りに行くためのものだったのだろう。
律が書物などから得た知識によると、一口に殺人嗜好者といっても様々なタイプがある。静馬はその中のひとつ、『コレクター』に間違いなく属する。
掘北優美は髪をひと房奪われていた。そして、西村千鶴は右手の五指。
静馬は、殺人の記念を集めている。
収集物の基準も分かってきた。
優美は地味で大人しい女の子だったが、綺麗な黒髪をしており、それを自慢に思っていたようだ。千鶴も総じて十人並みの容姿ではあったが、すっと伸びた綺麗な手をしていた。
静馬は、ターゲットの優れている部分や特徴に関心を示すようだ。
また、静馬は愛おしむように千鶴を刺していた。
おかしな表現なのかもしれないが、大切に傷つけ、殺しているように感じる。
千鶴やユイに謝罪の言葉を向けていたのも、このあたりの心理からなのだろうか。「苦しいだろうけど、痛いだろうけど、ごめんね」静馬はそんな風に語っていた。
絶望感を煽るためではない。本心からそう思っているように見えた。
連続殺人犯に多く見られるのは、二種だ。
ただ欲望をぶつけ、被害者を虫けらのように扱うタイプ。
殺戮を崇高なものと捉え、被害者に享楽を強要するタイプ。
静馬はその二種のどちらにも当てはまらないようだった。記録を残すのは、一人一人のターゲットに敬意や関心を持ち続けているからこそだろう。
静馬は、被害者に同情の念すら抱いているようだった。
しかし、殺戮をやめることはできない。相手の苦痛が分かるのに、やめることができない。
この、静馬が抱える裏腹な性質に、律はどうしようもない魅力を感じるのだ。
裏腹と言えば、殺人の記録もそうだ。
本来の静馬は、理知的で合理的な性質だ。プログラム以前の殺人は、捕縛されないよう細心の注意が払われていた。
しかしそれでいて、バインダーブックに記録を取っている。
現場に証拠を残さないよう執心しながら、見つかれば言い逃れのできない最大の証拠を自室に残す。
静馬の華奢な身体の中でせめぎ合う理性と欲望。矛盾。
その矛盾が、律の心に歓喜を与える。
「ああ……」
思わず、律の口から感嘆が漏れた。
探知機によると、静馬は今、双葉山に向かっている。
逃げ出した三原勇気と新谷華を追っているに違いない。銃で傷つけたから流血を追跡できると、西村千鶴に語っていた。
「よしっ」
すっと息を呑むと、律は喫茶店を後にした。
行き先は、双葉山。
探知機で静馬をサーチし続けていたので、彼の進路は概ね把握していた。
いつ誰に襲われるか分からないプログラム。本来ならば、無闇に移動しないほうがいい。また何よりも、プログラムに乗っていることが確定している静馬に近づかないほうがいい。
そんなことは分かっていた。
だけど、やめることはできない。
ここで、律は軽く笑った。
自分の中でも、理性と欲望がせめぎあっている。矛盾が生じている。
そう考え、笑った。
−西村千鶴死亡 06/10−
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