OBR3 −一欠けらの狂気−  


022   1980 年10月01日06時30分


<雨宮律>


 果たして、期待通りの展開になったようだ。
 血溜まりの中に倒れている西村千鶴を見下ろし、雨宮律は眉を上げた。
 エントランスでは、和久井信一郎が倒れていた。二人ともマシンガンの類で撃たれたのだろう、全身から血を流していた。
 千鶴は虫の息だった。蒼白な顔をし、身体を痙攣させている。長くは持たないだろう。
 状況から見るに、先に表で和久井信一郎が殺され、次に、裏口から逃げようとした千鶴が撃たれたというところか。
 先ほど、裏口の鍵を開けておいた。
 この惨状を……たとえ、その何割分かだったとしても……僕が作った。
 蒔いた種の発芽をゆるりと観察し、律は満足げに微笑んだ。

 藤鬼静馬の姿はなかった。
 探知機の画面に目を落とすと、探知機のマップ上、喫茶店から100メートルほど離れた場所に、静馬を示す点滅があった。
 ちょうど、雑木林のあたりだ。
 どうやら、ここから逃げ出すことに成功した勇気らの後を追ったようだった。

 30分前に、定時放送は終わっていた。追加される禁止エリアは、7時からIの4、9時からBの3、11時からCの2。新たな死亡者は、堤香里奈だけだった。


  既に掠れているであろう視界に映ったのか、千鶴が「……た、す、けて……」紫に変色した唇を力なく動かした。
 血にまみれた制服。身体をくの字に曲げている。
 その様子を冷ややかに見つめ、状況を分析する。

 静馬の家で見つけた、殺戮候補の情報を綴じたバインダーブック。
 千鶴もその候補にあがっていた。彼女と静馬は学校ではさほど親しくしていなかったが、同じピアノ教室に通っていた。そこで、接点を持っていたのだろう。
 そして、彼女にとって不幸なことに、静馬の関心を得た。
 千鶴は静馬の獲物だった。
 だが、信一郎は違う。バインダーブックに、彼の情報は無かった。
 これまでの静馬の傾向として、殺害候補にあがっていた者は容赦なく攻められ、あがっていなかった者は適当に扱われている。

 獲物候補だった千鶴。候補ではなかった信一郎。
 しかし、二人の被害は似たようなものだった。
 側頭部が割れ、体中に弾痕を刻まれた信一郎の亡骸も酷い状態だったが、これは単に被弾具合の妙だろう。
 静馬は、信一郎を撃った後、彼の亡骸に近づいていない。
 接近していれば、信一郎の支給武器を奪い取っていたはずだからだ。
 信一郎の支給武器は、トランシーバーのような端末機だった。亡骸の傍に落ちていた。
 彼のディバックに入っていた説明書によると、任意の相手を選び通話ができるらしい。会話は、首輪を介して行われる。
 律の探知機は一度ターゲットを決めると変更することはできないが、このトランシーバーは可変とのことだ。その代わり、回数に制限があった。合計五回まで。
 画面には4/5と表示されていた。残り四回使えるということだろう。
 直接的な破壊力はないが、使いようによっては有用な支給武器だ。

 ターゲットは須黒ユイに設定してあった。
 信一郎は、ユイの子分だった。プログラムという状況下、いったい何を話したのか……。



 ふと、先ほど自殺を介助した堤香里奈のことを思い出した。
 彼女と、ユイや信一郎は親しくしていた。彼女の死を、信一郎たちはどう受け取ったのだろう。悲しんだのだろうか。それとも、ライバルが一人減ったと喜んだのだろうか。そんな風に感じてしまう自分に驚き、苦しんだのだろうか。
 思索は続く。
 満たされる感覚。
 プログラムは、律の暗い好奇心を過剰に充足させる。
 だけど、香里奈のことを思うと、チクリと胸が痛む。そして、未だ胸が痛むことに律は驚いた。
 理性を保ったまま、自分らしさを保ったまま、幕を引きたいと、自ら禁止エリア向かった彼女。最後の最後、「ちょっと、怖い」と素直な気持ちを吐露し、それでも禁止エリアに向かった彼女。
 あのとき、律は、彼女に惹かれていた。
 あのとき、律は、彼女を分析していなかった。香里奈の潔さに、ただ目を奪われていただけだった。

 香里奈が禁止エリアにさしかかったとき、約束どおり彼女の背を押した。だが本当は、腕を掴みたかった。自らの意思で死へ向かう香里奈を止めたかった。
 彼女なら、自分を分かってくれるのではないだろうか。『一欠けらの狂気』を理解してくれるのではないだろうか……。
 そう、あのとき律は、香里奈に暗い秘密を話したかったのだ。
 そして、そんな風に思う自分に戸惑いもした。
 戸惑いは続いていた。

 ……どうして、僕はあんなことを。
 自問する。
 今まで秘密を明かしたいと思った相手は、藤鬼静馬だけだ。それは、彼が異常者だったからだ。違った場所からではあるけど、同じ暗い淵を覗いていたからだ。
 だけど、香里奈は違う。香里奈は、淵の存在にさえ気がついていない、ノーマルな精神の持ち主だった。
「それなのに……」
 戸惑いを口に出す。
 眼鏡の奥の瞳を閉じ、最後に見た香里奈の背中を思い浮かべる。最後まですっと伸びていた彼女の背。
 
「……さが
 そうかと、一人頷いた。「サガ、だ」
 香里奈は、自身の性を守りきった。彼女は、死の恐怖よりも理性を優先した。恐怖に理性が侵食される前に、自らの幕を引いた。
 そして律もまた、自身の性を優先している。
 友情よりも性を優先し、喫茶店の裏口に鍵を開けた。優美を助けず、彼女の死をただ観察した。
 香里奈は、律と同じ根を持っていた。だから、彼女に惹かれたのだ。
「よかった」
 ふと、思う。
 禁止エリアへ向かった彼女を止めなくて、よかった。
 心の底から思った。
 
 僕は、堤の彼女らしさを阻害しなかった。
 満足げにもう一度頷いた。

 と、かちり、ドアノブが回される音がし、律はびくりと肩を上げた。
 あわてて、探知機の画面に目を落とす。静馬を表す光が、すぐ傍まで来ていた。
 しまった!
 息を呑む。
 思索や自己分析に気を取られ、危険に対する注意を怠っていた。
 西村千鶴は、静馬のターゲットの一人だった。執拗に傷つけられていた堀北優美とは違い、千鶴はただ撃たれただけだ。千鶴をさらに痛めつけるために、静馬が戻ってきても不思議ではなかったのだ。
 簡単な可能性を、見落としていた。
 思い至らなかったことに悔しさすら感じながら、慌てて、カウンターの影に身を潜める。

 心拍が上がっているのを感じる。突如襲ってきた熱い緊張が、律の身体を焦がしていた。
 しかし、その中でも、律は淡い高揚感を持っていた。これから千鶴に起こるであろう惨劇に対する期待、高揚。そして……。
 そして、同時に、また別の期待感を得ていた。
 今、『一欠けらの狂気』は、千鶴だけでなく律自身にも火がつくことを期待し、望んでいた。
 ……僕を殺すとき、静馬はどんな顔をするのだろう。何を思うのだろう。あいつの手は震えるのだろうか。目は逸らされるのだろうか。それとも……。
「ああ、僕はどこまでも……」
 黒い好奇心は、この危険な状況でさえ尽きることがない。
 そんな自分に可笑しさを感じ、律は幼顔に苦笑を浮かべた。
 愚かであるとさえ、感じる。だけど、望みは消えない。

 戦火が自分に飛び火することに恐怖や緊迫を感じる。
 それは確かだ。律の中の、人として当たり前の感覚は健在だった。しかし、同時に、それを願ってしまう。
 これは、危険な感覚だった。十分に認識できていたので、この期待感を抑える。
 もう一度、息を呑んだ。今度は驚きではなく、自身の安全のために。
 


−07/10−


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バトル×2
雨宮律
周囲には普通の少年と思われていたが、連続殺人犯に惹かれる性質をもっていた。藤鬼静馬の危険性にもプログラム前から気付いていた。