OBR3 −一欠けらの狂気−  


019   1980 年10月01日05時30分


<堤香里奈>


 唖然として、律の顔を見つめる。
 いつもは穏やかな笑みを浮かべていた幼い顔に、暗い光が見える。眼鏡の奥の丸い瞳が、黒く濡れている。
 圧倒的な違和感。
 自殺し損ねたクラスメイトを楽にしてやろうという風には、見えなかった。
 ……何が目的なんだろう?
 もともと特異な申し出とはいえ、好意とは取らず、裏を探るあたりが、香里奈らしい。
 
 ふと、「ずっと見られていたのかな」と考える。
 たまたま自殺が失敗し、視角が変わったので、律を目に留めることができた。成功していたら、最後の瞬間を律に見届けられた。
 浴衣の帯を軒に巻きつけたり、踏み台になる椅子を用意したりしている間、物音は一切しなかった。
 どの段階からかは分からないが、少なくとも軒から落ちた瞬間に律が行き着いたということはない。それよりもずっと前から、覗かれていたのだ。
 先ほどの「手伝うけど?」という発言から見ても、止めるつもりなどなかったのだろう。

 ……自殺してくれればライバルが一人減るとでも考えたのだろうか?
 少しの間をあけて、軽く首を振った。長い髪がさらりと揺れる。つけていた髪留めは、軒から落ちたときに外れてしまっていた。
 縁側に座り、前に立つ律を見上げる。
 小柄な彼は、朝もやに煙る双葉山の緑を背にしていた。空が青い。
 律の黒い瞳を見ていると、それだけではないように感じた。同時に、不思議な既視感を得る。
「ああ……」
 息をつく。
 既視の正体が分かった。

 庭先に転がっている虫かご。弟のうち一人が、夏休みの自由研究で使っていた。
 律の目は、弟が虫を見ていたものと同じだった。
 観察の目。
 そんな言葉が頭をよぎる。

 クラスメイトの死を見届けること。それそのものが、雨宮の目的なんだ。
 もともと物事に動じないクールな質だったせいか、動揺はほとんどなかった。
 異質者への恐怖もさほどではない。
 ……ああ、コイツにはこんな顔もあったのか。
 半ば呆れながら、「悪趣味だね」苦笑する。
 口に出して言ったため、律が虚を突かれた顔をした。落ち着いていた彼に、戸惑いが滲む。
 少し、爽快だった。
 ……さっき、驚かされる立場、戸惑わされる立場になってしまったことが気に食わない。堤香里奈は、逆の立場であるべきだ。
 そんな風に考え、「よし、いつもの自分を取り戻してきた」とひそかに頷く。

 律が何か言いかけたのを制し、「じゃあさ、背中を押してよ」意思を提示する。  
「え?」
「そこ」
 気の強い香里奈。他人のペースに巻き込まれるのはご免だった。
 ……死ぬのなら、理性を保ちつつ、自分のペースでやりたい。
 香里奈はゆっくりと左腕を持ち上げ、フェンスを指差した。
 フェンスは、会場エリアを取り囲んでいるものだ。彼女の家はエリア際で、庭の一面が禁止エリアに接していた。
 フェンス自体は金網性の丈夫なものだが、急ごしらえだったためか、一部に隙間ができていた。
 香里奈が指差したのはその隙間だった。
 細身の彼女ならば、なんとか出ることはできる。
 ただ、フェンスの外は禁止エリアに設定されている。フェンスから出たとしても、首輪が爆破してしまうため、隙間にさほどの意味はなかった。
 外部からの進入も、選手防衛軍の兵士が巡回しているため、難しい。今も、フェンスの向こう側に、銃器を構えた兵士の姿が見えた。

 フェンスの外に出て、首輪を爆破させたい。そうやって死にたいから、背中を押して欲しい。
 香里奈の要望を、律はすぐに把握したようだった。
「なるほど」眉を上げる。
 しかし、「でも……」何かを言いかけ、止めた。
 律が何を言いたかったのか、なんとなくだが、分かった。
 ……でも、爆破されて顔とか滅茶苦茶になるけどいいの? そんな言葉を後に続けたかったのではないだろうか。
「私は」
 ここで区切る。
「私は、理性さえ保てていれば、それでいい」さらに区切り、「私は、私のまま、幕を引きたいんだ」芝居がかった台詞を続け、「あんたが本当はどんな奴だとか、そんなのはどうでもいい。あんたは、私が尻込みしそうになったら、背中を押してくれればいいんだ」閉じた。
 意は決していたが、最後の最後で足がすくむ可能性はあった。
 香里奈をしても、「死」はそれだけの重みを持つ。
 
 ゲームに乗り、クラスメイトを踏み台にし、生き延びる。そんな選択肢もあるはずだった。家族の死に責を感じるからこそ、自ら命を閉ざしてはいけない。そんな考え方もあるはずだった。
 香里奈とて考えなかったわけではない。
 だけど……。
「理性」
 呟く。
 そう、『理性』だ。
 ゲームに乗り、クラスメイトを殺して回る恐怖。誰かに襲われるのではないかという恐怖。その連続に、自分の精神が耐え切れるか、香里奈は自信がなかった。
 だからこその自決なのだ。
 理性のあるうちに。幕を引きたい。
 これが、香里奈の願いだ。



 落ちてしまった髪留めを拾い上げる。空いた手で髪をまとめ、髪留めをあてた。慣れた手で、毛先を左肩に散らす。
 いつもと同じ髪型。いつもと同じ理性。
 口角をあげ、笑顔を作った。
「行くよ」
 律を率い、フェンスの隙間へ向かう。
「堤……」
「ん?」
「君、面白いね。すっごく、変わってて、すっごく、面白い」
 制服姿の小柄な少年が、目を輝かせる。
「あんたもね」
 香里奈としては最大限の賛辞だった。

 フェンスのすぐ傍に来た。
 足が震える。つっと、冷や汗がほほを伝い、香里奈のとがった顎先を濡らした。
 フェンスに手をかける。
 金属の冷たい肌触りがした。手の震えがフェンスに伝わり、がちがちと音が立った。 


 暗い井戸の底を見るような、恐怖を感じる。
「ちょっと、怖い」
 正直なところを話した。ちょっと、と言ったのは、香里奈のプライドだ。
 だけど、足は進めることは出来た。
 ……一人ならきっと、尻込みを繰り返した。理性を手放した。
 最後に会えたのが雨宮律でよかった、そう思った。相手が彼でなければ、この幕引きはなかっただろう。
 特異な状況下の、特異な二人。神の引き合わせに感謝すら感じる。
 肩の力を抜き、すっと大きく息を呑んだ。背中に感覚を集中させる。後背に、変わり者の少年の気配を得た。 
 無理に口角をあげ、笑みを作る。これもプライド。
 律には背を向けているので、彼には見えない。誰に見せるでもない笑顔。
 ひきつってはいるだろうけど、これが、私の、理性の証。
「堤……すごいね」
 ……あら、伝わっちゃった。
 今度は無理なく笑顔が出た。
 まだ私には笑顔がある、理性がある。

 それは、喜びだった。


 
−堤香里奈死亡 08/10−


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バトル×2
堤香里奈
素行があまり良くなく、都会にあこがれていた。