OBR3 −一欠けらの狂気−  


018   1980 年10月01日05時30分


<堤香里奈>


 午前6時30分、堤香里奈は自宅の縁側に腰掛け、ぼんやりと宙を見つめていた。 
 一重の細い瞳、つるりとした頬。顎先は鋭角に尖っている。長い髪を髪留めでまとめ、毛先を左肩に散らした髪形。どこか冷めた空気を漂わせた容貌だ。
 視線の先にあるのは、会場をぐるりと囲んでいるフェンス。
 フェンスを越えた先は禁止エリアに設定されており、乗り越えると首輪の起爆装置が作動する。
 身震いをした拍子、涙がこぼれた。
 そして、香里奈は驚いた顔をした。彼女は今、父親の死を、母親の死を、弟たちの死を、家族の死を悲しんでいた。そんな自分に驚いたのだ。
 香里奈の家族は、昨夜銃刑となっていた。
 父親は町議だった。参加選手の関係者にプログラム開催の旨は隠されていたが、立場上事前に情報を得、逃げようとした。しかし、結局捕縛されてしまった。
 見せしめだろう、そのときに母親も二人の弟も殺された。
 プログラムは国民行事だ。あらがう者は、国家反逆罪に準じた扱いを受ける。

 ……ずっと、疎ましく思っていたのに。ずっと、家族なんていらないと思っていたのに。なのに、悲しんでいる。
 それは、心地よい意外さだった。

 軒先に、虫かごが転がっているのが見えた。死んだ弟たちのものだ。
 姉弟仲は決してよくはなかった。姉として愛情をかけた記憶など一度もない。だけど、その死は悲しい。死に責も感じる。

 香里奈は、浴衣の帯を握り締めていた。数時間前、従兄弟の堺篤史から彼の支給武器だった浴衣をもらった。この帯は浴衣の付属品だ。
 一度、ぴんと伸ばしてみる。確かな手ごたえが返ってくる。
 ……これだけ丈夫なら、切れることもないだろう。
 ふっと息をつき、軒を見上げた。

 彼女は、自ら命を絶とうと決意していた。
 家に帰るまではそんなことは考えてなかった。篤史に話した通り、必要なものを取ったら、双葉中学の校舎に戻るつもりだった。
 しかし、帰宅し、家の中を歩いている間に、むなしさを感じてしまったのだ。
 仮に優勝したとして、一人で生きていくことに何の意味があるのだろう。親も弟たちも亡くし、生きていく意味は?
 ずっと一人になりたいと思ってきた。
 親とは折り合いが悪く、双葉の町も嫌いだった。
 行動に移さなかったのは、経済力を考えてのことだ。この歳で家を飛び出して、満足いく生活を手に入れることができるとは思えなかったからだ。
 どんな状況でも成功している者はいる。
 だけど、自分にそんな才覚はない。それは、現実。ならば、きちんと学業を修め、就職先を都会で見つけたほうがいい。
 そうして、こんな田舎町とは縁を切り、都会で生きていく。
 それが、香里奈の思い描く理想の未来だった。
 悪友の須黒ユイは、都会で男を捕まえ、その居に転がり込めばいいと単純に考えていたが、同じことをしたいとは思えなかった。倫理的にどうこうと言うつもりはない。ただ、誰かに頼る生活が肌に合わないだけだ。
  
 全身が痙攣がおきそうなほどに強張っていた。
 心臓の音を数えながら、遠くを見た。
 双葉の山の緑。土肌にぽつぽつと浮かぶ家々。稲刈りの終わった田。のどかで美しい、田園風景だ。
 プログラムに巻き込まれるまではこんなことは考えなかった。ただ退屈な田舎町だとしか思っていなかった。
 香里奈を逃がそうとし銃刑となった家族たちのことを思う。
 家族なんていらないと思っていた。早く、一人になりたいと思っていた。
 だけど今は、家族が愛おしい。
 ……私は、大切な何かを見つけることが出来たのだろうか。
 
「……死のう」
 決意を口に出すと、四肢が震え始めた。意思に身体が反している。
 萎える足を叱咤し立ち上がった。椅子を踏み台にし、手を伸ばす。軒に浴衣の帯を括りつける。がくがくと身体が震えた。はぁはぁと荒い息を漏らす。心臓の早鐘が耳に煩わしい。
 帯を首にまくと生地がチクチクと肌を刺した。
 一瞬帯を取ろうかと思い、苦笑する。
 今から死ぬのに、肌への刺激から逃げてどうしようというのだ。
 遅れて、「私、案外落ち着いてる」自己分析をする。
 今度は満足げに笑う。
 これでこそ、堤香里奈だ。
 続く、満足感。
 ドライでクール。現実的で皮肉屋。
 これが、周囲の思う香里奈のキャラクターだったし、彼女自身もそう思っていた。

 プログラムに巻き込まれた生徒たちの中から、決して少なくない割合で精神に異常を来たす者が現れるという。
 ……良かった。私は私のままで死ねて、良かった。
 心の底から思う。
 彼女がもっとも恐れていたのは、自己を崩壊させて死ぬことだった。
 自殺はいい。それは、己の意思によるものだから。
 戦って死ぬのもいい。それも、自分の意思だから。
 どんなときも理性を保つ。小学校三年生のときに部屋の壁に貼った、彼女の命題だ。小児にはあまりに似つかわしくなかったため、父親が苦い顔をしていたのを覚えている(思えば、あの日を堺に親子仲がギクシャクしはじめた)。
 『理性』は、香里奈にとっての唯一の神であり、信仰の対象だ。理性を逸し、混乱のうちに死ぬのはごめんだった。
 
 ふと、自宅に戻ろうとしたときに、堺篤史から「着いていこうか?」と言われたことを思い出した。
 ……ああ、畜生。
 舌を打つ。
 篤史はあのとき、家に帰った香里奈が死を決意してしまうと予測していたのではないだろうか。
 彼は、ふだんはぼんやりとしている癖に、時折妙な鋭さを見せる。
 見透かされていたようで、なんだか腹が立った。
 
 目を瞑り、一度すっと息を呑む。そして、「ふっ」と息を吐いたあと、思い切って右足で椅子を蹴った。
 がくんと身体が落ち、のど元に強烈な痛みと閉塞感が襲ってくる。
 しかしそれも長くは続かなかった。
 軒が、香里奈の体重に耐え切れずに、折れてしまったのだ。
 バキッ、軒木が折れる音とともに、香里奈の身体が地面に落ちた。落ちた衝撃よりも、縁側に腰をすった痛みに目を白黒させる。
 ごほごほと咳をする。肩で息をしていた。
 そして、「ふはっ」噴出す。続けて、笑った。
 ……なんて、無様なのだろう。

 と、気がついた。
 誰かに見られている!
 垣根の隙間に人影が見えた。その人物は先ほどまでは木に隠れていた。香里奈が地面に落ちたことで視角が変わり、目に入ってきたのだ。
「誰っ?」
 鋭い声を飛ばすと、「僕だよ」ふらりと一人の少年が顔を出した。
 一瞬、従兄弟の堺篤史が追って来たのかと思ったが、顔が違った。
 小柄な学生服姿。小学校高学年と言っても通るような童顔。眼鏡をかけている。右の目元に小さなほくろが見えた。
「雨宮……」
 それは、雨宮律だった。
 体格や雰囲気が篤史と似ているので見間違えたのだ。

 相手が律とわかり、ほっと息をつく。
 律の友人の新谷華や三原勇気は優等生過ぎて苦手だったが、彼自身にはおおむね好印象を持っていた。大人しく、温和な律がプログラムに積極的に乗るとは考えにくい。
 ……まぁ、襲われたら戦うくらいの気持ちはあるだろうが。誰だって死にたくない。
 それでも、こんなことを考えるのが香里奈の香里奈たる所以だ。

 しばらくの間のあと、「死ぬの?」律が幼い声で言った。
「え?」
 香里奈の反問に、律が浴衣の帯を指差して返す。
「ああ……。そのつもりだったんだけどな。私が重いってことか。失礼な」帯を蹴飛ばすと、律が大きく口をあけて笑った。
「僕、堤はプログラムに乗るものだと思ってた」
「あー、そうしても別にいいんだけどね」
「やっぱり、家族のことが?」
「そうだね。……私のせいで死んだようなものだからね」
「ふうん。堤でもそんなこと考えるんだね」
 律の素直な弁に、苦笑する。
 やけにドライな会話が続いているな、そんなことも思い、また笑った。

 ためしに、思ったことを言ってみると、「そうだね」と律も笑った。
「それで?」
「ん?」
「それで、どうするの?」
「ああ……」
 中断した自殺を続行するのか訊かれている、と理解する。

 律が何かを言おうとした瞬間、連撃音があたりに響いた。思わず身を硬くするが、すぐに自分が狙われたわけではないと気がついた。
 銃声は数十メートルは離れた位置から聞こえてきた。
 律は特に驚いた様子もなく、制服のポケットから何やら端末機を取り出した。液晶画面がちらりと見える。その画面を律はじっと見つめ、「始まった」と呟いた。
「何が?」
 香里奈の問いに「……凶宴、かな」彼はにこりと笑う。
「いったい……」
 律に対する違和感に胸がざわめく。
「話戻そうか」
「ん?」
「さっきの話」
 自殺のことだろう。
「もし気が萎えそうになってるんなら……」
 律の乾いた声。
 そして続いた彼の言葉に、香里奈は目を見張った。
「手伝うけど?」


 
−09/10−


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バトル×2
堤香里奈
素行があまり良くなく、都会にあこがれていた。