<雨宮律>
「こんなものかな……」
掘った穴を眺め、律はふっと息をついた。
雑木林を見渡し、手に持っていたスコップを掘り返した土の山に刺す。
穴は直径、深さともに50センチほどのものになっていた。穴の横には、スナッフビデオのテープや、連続殺人鬼について書かれた本などが積み上げられている。
律の中に一欠けらある狂気が集めた品々だ。
家に戻り、自室から取ってきた。律は、これらを穴に埋めようとしていた。
いつ死ぬか分からないプログラム。
命を落とせば、暗い闇に包まれた収集品が明るみに出る。さぞかし、親や姉弟を驚かせることだろう。仮に死ぬのであれば、善良な中学生の看板を掲げたまま死にたかった。
仮に掘り出されることがあったとしても、表向きはごく普通の中学生だった雨宮律と繋げる者はいないだろう。
暗い収集品を入れ終えた後で、その上にアダルトビデオや雑誌を並べる。
これらはこれらで、肉親には見られたくない品々だ。
アダルトビデオとスナッフビデオが並列にあるあたりが自分らしいと、幼い顔に皮肉めいた笑みを浮かべた。穴に土を被せると、律の、黒い秘密と、15歳少年として当たり前の生活が土に埋もれた。
雑木林の隣は蜜柑畑になっていた。
甘い香りがあたりに漂っている。
先ほど嗅いだ須黒ユイの血の匂いは、ここまでは届いていなかった。
双葉山を突っ切る山道を町へと下りながら、冷めた目で蜜柑畑を見やる。
視線の先の先、蜜柑畑の奥の奥、切り立った崖に面した場所に、血まみれになったユイが倒れているはずだった。
藤鬼静馬の家で銃声を聞いてすぐに、律は彼の家を飛び出した。静馬を追うように設定した探索機を使い、果樹園の端にたどり着き、静馬に襲われているユイを見つけた。
静馬がユイをナイフで何度も刺し、刺されたユイが悲鳴を上げる。その様子を胸を高鳴らせながら見ていたのだが、静馬が途中でやめてしまった。
どうやら、ユイから興味を失ったようだった。
彼女は友を売り、わき目も振らず生き残ろうとしていた。その様は滑稽ですらあった。
そんなユイに、静馬は獲物としての魅力を感じなくなってしまったのだろうか。
彼女は、静馬が書いたノートのターゲットリストに載っていなかった。もともと大きな興味もなかったに違いない。機会があったから手を出してみたが、やはり途中で気を削がれてしまった、というところか。
律としては、ユイには興味を持っていた。「僕は、嫌いじゃないよ」彼女に向けた言葉は嘘ではなかった。
仲の良かった和久井信一郎の居場所を売ってでも生きようとしたユイの必死さ。生への執着心。プログラムに巻き込まれた少年少女の心情として、律にとってはなかなかに興味深い素材だった。
だけど、静馬の琴線には触れなかったらしい。
その静馬は、自宅のあたりにいる。探索機の液晶画面に表示される彼を示す点滅は、さきほどから動いていなかった。彼は一度、自宅に戻っているはずだった。何か忘れ物でもしたのだろうか。
*
周囲に気を配りながら慎重に歩く。40分ほどで、比較的開けたエリアに出た。そしてさらに10分後。律は、一軒の喫茶店の裏手にいた。
正面に回れば、黒塗りのコンクリボードをアクセントにした、カントリー調の平屋建てが目に映る。正面壁はガラス張りになっているが、裏面はトイレの格子窓と勝手口くらいしかない。
ここは、律の母親と三原勇気の母親が共同経営している喫茶店だった。
ユイが静馬にした話を信じるのならば、勇気や新谷華はここにいるはずだった。
もともとは、この近くにある公民館で落ち合う約束をしていた。
しかし、ユイに声をかけられ、危険を感じた勇気たちは移動したらしい。そして、移動先として、母親が経営する喫茶店を選んだ。
そこに、律は勇気の一つの思いを感じ取る。
……勇気は、僕との合流をまだ捨ててないんだ。
この喫茶店は、律が現れる可能性の高い場所だった。
視線を自分の掌に落とす。掌の中には、喫茶店の鍵があった。家に戻ったときに取ってきたものだ。
鍵を鍵穴に差込み、ゆっくりと回すと、がちゃりと音がした。
一度大きく息を吸い、吐き出す。
この開いた扉の向こうに、勇気がいる。
新谷華や、和久井信一郎、西村千鶴も同行しているという話だが、思うのは勇気のことだった。
同じ町に生まれ、同じ時を刻んできた。
大切な、友人だ。
しかし……。
律は踵を返した。
歩を喫茶店の中には向けることなく、外路へ進む。
開錠したのは、勇気との合流のためではなかった。静馬の侵入ルート。そう、静馬のアシストのためだった。
探索機をじっと見つめる。静馬は移動中だった。こちらに向かってきている。ユイから聞き出した情報を元に、次のターゲットを勇気らに定めているに違いない。
律らと親しい静馬は、何度もこの店に来たことがある。
当然、この店の構造や立地は把握している。正面はガラス張りなので視認されやすい。理知的な彼のこと、侵入するならば、裏口を選ぶはずだった。
ゆっくりと首を振り、踵を返す。目の前には、月明かりの下、双葉の町並みが広がっていた。住み慣れた世界。勇気と共に、ささやかな歴史を刻んできた世界。
視線を胸元に落とした。
罪悪感や良心の呵責といった、あるべきものを探す。しかし、あるのは、これから起こる悲劇への期待感だけだった。
これが、災害や事故なら違う。
例えば勇気が災害に巻き込まれ命の危険に晒されたのなら、律は悲痛に感じるだろう。
だけど今、勇気に危険を迫っているのは異常者だ。その事実が、律を暗闇に引きずり込む。勇気ではなく、静馬を助けようと考えさせる。
ふと、堀北優美の話を思い出した。静馬は「ごめんね」と謝ったらしい。謝りながらも、彼女を刺したらしい。
彼には、罪悪感や良心の呵責があるのだろうか。彼は、被害者の痛みに耳を傾けるのだろうか。
そうであって欲しいと、思った。
冷徹な殺人マシーンの機械的な感情よりも、痛みを感じつつ殺戮を犯すその心情のほうが、より複雑で、面白いから。
−09/10−
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