OBR3 −一欠けらの狂気−  


014   1980 年10月01日02時00分


<雨宮律>


「雨宮、律」
 青のバインダーブックの一ページ目に書かれた題字を、もう一度読む。
 ……これは、なんだろう?
 薄く眉を上げ、思索する。
 ページをめくったところで、眼鏡の奥の丸い瞳が見開かれた。
 律のパーソナリティや、日々の行動が記されていた。
 律も受験生だ。週に二度、塾通いをしているのだが、そのときに通る道や時間が事細かに書かれている。また、地図の所々に手書きの丸印があった。
 ドキドキと胸が鳴った。喉の乾きを再び覚え、ペットボトルの水を飲む。
 手も震えはじめていたので、少しこぼしてしまった。
 丸がついているのは、どこも人気の無い場所だった。

 丸印の意味を考えたところで、このファイルの正体が分かった。 
 黒いバインダーブックは既に殺した者の記録だった。差し詰め、青いバインダーブックはこれから殺したいと思っている者の記録ということだろう。
 相手の情報や、どこで殺せば安全かを記録しているのだ。

 震えが律の身体を支配し、がくがくと顎先が揺れた。
 バインダーブックを持っていない手で、自分の身体を抱く。
 ……僕も、狙われていた。
 震えがさらに増した。
 ただし、恐怖からではなかった。
 誰かが今の律の表情を誰かが見たならば、歓喜、この言葉を思い浮かべるだろう。
 静馬に、殺人嗜好者に、注目されていた。
 それは、喜びだった。
 殺人嗜好者に狙われていたと知り、喜びを感じる。
 自分でもおかしな質だとは思うのだが、感じるのだから仕方が無い。

 そして、先ほどからずっと静馬が律の家のあたりから動かない理由が分かった。
 律は探索機に目を落とした。参加選手から一人だけを選んで探索できる支給武器だ。
 その液晶画面に映る地図には律と静馬の家のあたりが表示されており、現在追跡している相手を示す、小さな赤い光が点滅していた。
 どうして動かないのか不思議だったのだが、どうやら自分のことを待ち伏せしているようだった。
 これも、殺意の証拠だ。


 次のページからは、鈴木延彦らと同じように、律の写真がいくつも貼られていた。運動会、音楽祭、遠足……。ほとんどが静馬と一緒に写っているものだが、律一人の写真もある。
 もう一枚ページをめくったところで、律は軽く顎先をあげて仰け反った。
「な……」
 いつも落ち着いた律が驚きをあらわにする。
 同じように写真が貼られていたのだが、律の裸を写したものだった。
 場所は、この家の風呂場だった。脱衣場で服を脱いでいる場面だ。静馬も写真の端に裸で写っているところを見ると、一緒に風呂に入ったときか。
 どうやらセルフタイマーで撮った写真を自分で現像したらしい。
 この写真も数点あり、それぞれ身体の発達具合や髪形が違った。どうやら知り合ってすぐから今までのものらしい。
 ある意味、律と静馬の成長の記録とも言えた。

 これで一つ腑に落ちたことがあった。
 静馬の家に泊まるとき、たいてい静馬が誘ってきて一緒に風呂に入っていた。 
 人懐っこい質の三原勇気ならともかくとして、およそ静馬のキャラクターではないので違和感を持っていたのだが、おそらくこの写真を撮るためだったのだろう。
 ……でも、何のために?

 考えるまでもなく、答えは見えていた。
 ……より深く相手を知るために。
 静馬は、ターゲットのすべてを知りたいのだ。
 およそアブノーマルな域にまで達していたが、嫌悪感は欠片も抱かなかった。
 おそらく、同じ性質が律にもあるからだろう。
 風呂で静馬の裸を見たとき、「ああ、これが殺人者の身体か」と思ったものだ。静馬に気取られないよう、しげしげと観察したものだ。
 まさか、静馬は静馬で律の身体に注目していたとは考えもしなかったが。

 相手のすべてを知りたくなる。これが二人のさがだ。静馬は殺したい相手のすべてを。律は殺人嗜好者のすべてを知りたいと願う。
 
 
 次からは別の人間のファイルになっていた。
「鈴野さんもか……」
 鈴野巴。静馬が一時期付き合っていた女の子だ。隣町の中学生で、ピアノ教室で知り合ったらしい。一度紹介されたことがあるが、小柄で、ショートカットの髪型に眼鏡が良く似合っていた。
 同じように、個人データや塾など習い事からの帰り道が記されている。
 写真も何点かあった。
 二人で写っているものが多かった。二人とも笑顔だ。
 静馬の笑顔は偽物には見えなかった。
 部屋を探る前なら偽りだったと思うところだったが、今は、静馬にも普通の中学生の面があることを律は知っている。
 静馬の中では、恋愛と殺意が両立できるに違いない。
 一般的な視点からすれば相反するものなのだろうが、奇異は特に感じなかった。それは、律にも似たような性質があるからに他ならなかった。
 彼のことは友人として好ましく思っている。しかし、その一方で観察の目は向け続ける。
 ……たぶん、静馬が僕に向けている視線も同じようなものなのだろうな。
 律はそう思い、天井を仰いだ。
 クリーム色の壁紙が貼られている。この天井の下、静馬は暗い殺意を記録し続けていた……。

 鈴野巴に関しては、裸の写真はなかった。
 おそらく、深い関係になる前に別れたからだろう。
 
 
 次に現れた名前を見、律は再び驚かされた。
「明……」
 書かれていたのは、律のふたつ下の弟の名前だった。
 何かに急かされるようにページを繰る。量は少ないが、今年中学一年になる雨宮明のデータや写真が載っていた。そして、最後に書かれた静馬の手書き文字。
 ……弟が死んだら、律はどんな顔をするだろう。
 心の中で読み上げる。
 数拍を置いて、律の表情が変わった。
 驚愕から、満足げな笑みへ。
 ……やっぱり、僕と静馬は似ている。
 律の暗い好奇心は残虐事件の被害者の家族にまで及ぶが、静馬にも同じ嗜好があるということだろう。
 そして、明に関する情報量が少ないことから見て、静馬は明を殺したいのではなく、弟が殺されて悲しむ友人を見たいのだと思った。

 他に、クラスメイトの西村千鶴や三原勇気、新谷華、堀北優美(静馬が殺害)に関する資料が若干あった。
 西村千鶴とは同じピアノ教室に通っているはずだった。
 静馬や律も交えて、勇気や華、優美とはグループ付き合いをしていた。やはり、静馬は、何かしら接点があり親しくしていた者に殺意を抱くようだった。
 これらの者の資料が少ないのは、自分や鈴野巴と比べると、それほどの関心はないということだろう。
 
 少しだけ残念なことがあった。
 静馬の母親、藤鬼伊織のファイルがない。
 もし本当に、静馬が、親しい者が彼に殺される瞬間に発する恐怖や驚愕を口にしたいと思っているのなら、一番おののき、驚いてくれるのは、実の母親である伊織であるはずだった。
 なのに、彼女の資料がないのは、静馬にも親殺しの禁忌があるからか、関心はあっても資料を作っていないだけなのか、単に食指が動かないだけなのか……。
 本人に会って、訊いてみたいと思った。
 さらに言えば、まだ未成年で酒など呑めないが、酌み交わし、互いの暗い好奇心について語り合いたい、見せ合いたいと思った。誰かに聞かれれば、眉を寄せ、嫌悪されるような内容になるだろうが、二人にとっては、楽しい酒宴になるに違いない。
 

 と、夜の闇を連撃音が切り裂いた。銃声だ。
 自分が狙われたのかと思い、身を硬くするが、どうやらそれほど近い距離からの銃声ではないようだ。かといって遠くもない。
 今までに銃声など聞いたことがないので、正確な距離など分からないが、数百メートルは離れているのではないだろうか。
 トレーサーに目を落とす。
 静馬を示す赤い光が少しだけ移動していた。
 ちょうど果樹園のあたりだ。
 ……静馬が誰かと戦っている。
 即座に思う。おそらくこの推察であっているだろう。

 少しの間を空けて、律はもう一度天井を仰ぎ見た。
「……どうか」
 どうか、静馬が勝ちますように。
 神に、殺戮者の生を祈る。自分らしい行為だと律は考え、皮肉に笑った。


 
−09/10−


□□  バトル×2 3TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
雨宮律
ごく普通の少年だが、その実、連続殺人犯などへの関心を強く持っていた。