<雨宮律>
三人目は、川に落ちて死んだ家政婦だった。鈴木延彦のときと同様に、藤鬼ミキの物と比べて情報量が多いが、事件扱いとならなかったため、新聞記事は貼付されていなかった。やはり、葬儀に出席した記述があり、『満たされた』とある。
書かれた字が少し変わってきていた。まだ少し幼稚であるが、今の静馬の字に近づいてきている。
律は、この記録が始まった時期を考えていた。
鈴木延彦のファイルに貼ってあった新聞記事は、縮小版だ。始めたのは、彼を殺害した後からと見ていい。延彦と藤鬼ミキについて書かれた文字は同時期のもののようだ。
ミキの情報量が少ないのは、事件にならなかったのと、幼い頃の記憶に頼るしかなかったからだろう。
「12,3歳。……小学校、6年というところかな」
分析から導いた解答を口に出す。
同時に、悦びを感じた。
異常者を直に考察する。律がずっと求めてきた行為だった。
静馬流の言い方をすれば……。
「満たされる」
また口に出してみると、さらに悦楽が増した。
次のページからは、クリアファイルが差し込まれていた。
ファイルの中身は二つ折りにされた画用紙のようだ。3ページ、ある。
何が描かれているか、想像はついていた。ドキドキと胸を高鳴らせながら、画用紙をすべて取り出す。
「ああ……」
息をつく。
やはり、描かれていたのは、被害者たちの亡骸だった。
実際に死体を目の前に書いたものではなく、記憶を辿ったものだろうが、写生画のような緻密さだった。
律は、静馬の絵の才を神に感謝していた。
彼に絵の才がなければ、この興奮は味合うことができなかった。
そして、早く堀北優美の亡骸を描いた絵を見てみたいと思った。
彼女の絵は、文字通りの写生絵だ。きっと、他の絵以上の臨場感を舌にすることが出来る。
家政婦の次のファイルには表題がついていなかった。
新聞記事の切り抜きが数点、貼られている。縮小版ではないところを見ると、リアルタイムに切り抜いていったものだろうか。
「大阪……浮浪者、刺殺される……。……横浜、27歳会社員、刺殺体で発見……。名古屋、風俗店勤務20代女性……」
どうやら、三つの事件について書かれた新聞記事を何誌分か揃えたようだった。
三人とも雨の夜に刺し殺されていた。浮浪者は寝床にしていた公園で、会社員と風俗店勤務の女性は、仕事帰りの夜道で殺されている。
時期的には、この1,2年。静馬が双葉町に来てからだった。
それぞれに横書きはなかったが、静馬が殺したと見て間違いない。
これは、どういうことだろう……?
しばらく考えてみて、律なりの推察を得た。
間食。そう、これは間食のようなものではないだろうか。
捕縛から逃れることを最重要視するのならば、浮浪者や会社員を殺したときのように、遠い土地で通り魔的に行えばいい。
その場で捕まらない限り、誰かに見られない限り、長野の片田舎にすむ中学生にまで捜査の手が伸びることはあるまい。
しかしおそらく、静馬が乾いたとき、本当に『飲み』たいのは、近親者の死なのだろう。
親しい者が自分に殺されるときの驚きや恐怖、被害者の遺族の悲痛を口にしたいのだろう。
だが、狭い範囲、短期間に凶行を繰り返すのは、危険極まりない。
だから仕方なく、浮浪者や会社員を殺し、とりあえず乾きを潤した。
6人。
たった15歳の少年が幼児期から殺してきた人の数だ。
戦慄に似た感覚が、律の背中を舐めあがっていった。
稀代の殺人鬼。凡庸な言葉が頭をよぎる。
だけど。
「だけど」
だけど、怪物ではない。
律は、ベッドに腰をかけたままの体勢で、静馬の部屋をぐるりと見渡した。
眼鏡のレンズに、様々な物が映っては消える。
この部屋には、静馬が血の一滴も通っていない怪物では決してないことを示す品がいくつもある。
大人びた静馬らしく、落ち着いた雰囲気だが、本棚には、漫画本も見えた。クローゼットの中にはアダルトビデオや雑誌が仕舞われていた。
勉強机。教科書、参考書。ハンガーにかけられた予備の学生服。
フォトアルバムには、律たちや、前に付き合っていた鈴野巴と一緒に映った写真が入れられていた。
とても、6人もの人を殺した少年の部屋には見えない。しかしこれも、藤鬼静馬なのだ。
部屋全体を占める雰囲気と、その雰囲気とかけ離れた存在であるバインダーブック。
……まるで、静馬という人間をあらわしているようだ。そんな風にも思った。ごく普通の中学生の中にある、一欠けらの狂気。その狭間に、律はどうしようもない魅力を感じる。
*
黒のファイルバインダーブックは、ここまでだった。
次いで、青のバインダーブックを手に取る。
興奮からだろうか、緊張からだろうか、指先は小刻みに震え続けていた。
喉が渇いたので、ペットボトルの水に口をつける。
片手でペットボトルを持ったまま、バインダーブックを開く。と、その手が止まった。
震えも同時に止まる。
ゴクリ、含んだ水を喉に落とした。
一ページ目は、個人名を挙げた表題ページになっていた。
懐中電灯の光に丸く切り取られた、静馬の手書き文字。
その文字を、三拍ほどの間、律は凝視する。
そして、
「……雨宮、律」
静かに読み上げた。
−09/10−
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