OBR3 −一欠けらの狂気−  


011   1980 年10月01日02時00分


<雨宮律>


 静馬の部屋は、8畳ほどの洋間だ。
 木肌とモスグリーンを基調にした落ち着いた配色。正面は、腰位置から天井にかけて出窓になっている。薄いカーテンを通して月光が漏れ入っていた。出窓の下方に、一辺が50センチほどの箱を一列に並べたようなデザインの物入れが置かれており、小物類やゲーム機が収納されていた。物入れの上には、テレビとコンポがある。
 右手には重厚な木材を用いた本棚と学習机。
 左手はベッドのほか、クローゼットに続く開き戸が見えた。
 几帳面な静馬らしく、部屋は片付いており清潔だった。
 
 教科書や参考書は机上きじょうに接続された棚に入れられており、本棚の中身はすべて静馬の趣味のものになっていた。その大部分が推理小説だ。
 国内作家のほか、現在の大東亜共和国では手に入りにくい外国のミステリーも何冊か見える。
 静馬の殺人嗜好が知れたとき、人々はこの推理小説の山と凶行とを結びつけるだろうか。
 ……くだらない。
 律は鼻で笑った。
 
 常々律が思っていることだが、世間は異常者のすべてを異常行動に直結させすぎる。他愛もない行為や他愛もない趣味は、あくまでもそれでしかない、というのが律の考えだった。
 現に、凶事に多大な関心を示す律は、推理小説のミステリードラマの類を全く見ない。
 作られた凶事には嘘臭さしか感じられず、萎えてしまうのだ。
 だいたい推理小説や暴力を描いた小説の嗜好者がみな異常者であったら、世の中異常者だらけだ。


 そう、こんなものよりももっと重要な証拠がこの部屋には隠されているはずだった。
 律はベッドに腰掛けた。
 周りをぐるりと見渡したあと、まずはクローゼットの中を調べ始める。
 ふと、この部屋に寝泊りしたこともあったな、と考えた。静馬とは親しくしていた。家が近いのだから、別に帰ってもよかったのだが、ゲームに興じた後そのまま泊めてもらうこともあった。
 風呂にも一緒に入った。そのときに見た静馬のペニスを思い出す。
 ……あれを起立させ、女の身体に挿入させることもあったのだろうか。

 思索は二通りだった。ひとつは異常行動としての性交。もうひとつは、ごく普通の性交だ。

 律の中では、強姦は異常行動には入らない。
 犯罪ではあるが、ただの乱暴者の行為でしかないと律は捉える。
 たとえば最近、20人近い女性を暴行していた高校生が捕まったが、さほど興味は抱かなかった。彼が誰も殺していなかったのも、惹かれなかった一因だろう。やはり、死があってこそ、だ。
 屍姦。十分に異常行為なのだろうが、あまり律の好むところではなかった。
 殺人までの残虐行為の一環として暴行を加える異常者もいるが、その時点で興味を失ってしまう。それは、たいていが精液を被害者の体内に残してしまうからだろう。言い逃れの出来ない証拠をわざわざ作るような愚か者には用はない。
 凶行に性的な匂いを滲ませる者。
 これは、律の琴線に触れる。例えば、数十年前に起きた、愛する男の性器を切り取った女の事件。例えば、同じ頃に起きた、愛する女の乳房を両のポケットに入れ、首を吊った男の事件。律は、これら事件の関係書物をむさぼり読んでいる。
 

 と、律の手が止まった。
 クローゼットの奥にダンボール箱が仕舞われており、その中からヌード雑誌やアダルトビデオが出てきたのだ。
 しばらく考えた後、このヌード雑誌やアダルトビデオはフェイクではないと、律は結論付けた。
 あくまでも律が把握している範囲での話だが、静馬が被害者を暴行した形跡はない。それに、静馬が小学校時代に通り魔に見せかけて殺したクラスメイトは男子生徒だ。
 今までの凶行は、割合シンプルなものばかりだった。
 クラスメイトの刺殺以外は事故として処理されているぐらいだ。おそらく、証拠を残さないように、欲望よりも安全を重視したのだろう。
 しかし、プログラムでは殺人が公的に許される。
 静馬は思う存分に欲望を解き放つはずだった。
 結果、堀北優美は数十箇所を切り刻まれ、髪をひと房持ち去られている。もし、彼に暴行や屍姦の欲求があるのなら、優美がその手の被害を受けているはずだった。

 静馬の性欲求のベクトルは一般的な方向に向いていることになるのだろう。
 むしろ、健全なほどだ。
 理知的で大人びた静馬。日ごろ澄ました顔をしている彼が自慰行為にふける様を、想像する。滑稽ですらあるが、同時に、律の暗い関心を惹くものだった。
 勃起したペニスを握る静馬の手。その手はクラスメイトを刺した手であり、親戚の子どもを階段下に、家政婦を川に突き落とした手でもあるのだ。

「あいつの狂気も、一欠けらなのかもな」考えを口に出してみた。
 静馬の認識を改める必要があった。
 今までは、彼をモンスターのように捉えていた。中に詰まっているのは殺人嗜好だけで、日ごろ見せていた姿は偽りだとばかり思っていた。
 ……違ったのかもしれない。
 彼の普段の姿も本当だったのかもしれない。ただ一欠けら、殺人嗜好という狂気を持っているだけなのかもしれない。

 世間的な尺度で言えば、狂気だけのほうがより異常に違いない。
 カリスマには非日常性が求められる。
 同じような嗜好を持った者からすれば、このヌード雑誌は幻滅の理由になりえるものなのだろう。
 律としても、狂気だけの存在は存在で、惹かれるものはある。
 しかし、面白みは感じなかった。
 ごく普通の人間に一欠けらある狂気。律は今、正常と異常のギャップ、狭間、皮肉に、どうしようもなく魅せられていた。

 この分だと、誰かに恋心を抱くこともありそうだった。
 静馬は、一時期、鈴野巴すずの・ともえという別の中学に通う女の子と付き合っていた。週二回、隣町のピアノ教室に通っているのだが、そこで知り合ったとのことだった。
 一度紹介されたことがあるのだが、ショートカットと眼鏡がよく似合う、可愛らしい小柄な女の子だった。
 今までは、それが一般生活を保つための偽装恋愛なのか、本当の恋愛関係だったのか、判断つかなかったが、どうやらまがい物ではなさそうだ。
 静馬にも恋愛感情があるのだ。

 律は、静馬の薄い唇を思い浮かべた。
 静馬が相手の気を惹くために、甘い言葉をかける。キスをする。もし肉体関係があったのならば、唇で彼女の身体を愛撫することもあったのだろう。
 堀北優美の話では、静馬は彼女を殺す前に様々に話しかけたようだ。
 静馬は同じ唇で、愛を語り、被害者の絶望を煽る。

 羨ましかった。律は、鈴野巴や堀北優美のことを羨ましく感じていた。彼女たちは、殺戮嗜好者の特別な言葉を実際に受けている。唇が特別な言葉を紡ぐ、その様を間近に見ている。それは妬ましいことだった。

 試しに、鈴野巴になったつもりで、静馬と口付けを交わす場面を想像してみた。静馬の厚みのない、情の薄そうな唇。色白の肌の中、そこだけが朱をさしたように赤い。
 その唇がゆっくりと自分に近づいてくる。触れる唇と唇……。
 ここで、律は苦笑した。
「……これじゃ、ヘンタイじゃん」
 律には同性愛の気はないはずだった。
 まぁ、見たところ静馬にもその気はないようだから、これは叶わぬ夢というところだろう。そう考え、「叶わぬ夢はないなぁ」もう一度幼い顔に苦笑を滲ませた。

 次に、堀北優美になってみようとし、律は慌てて大きく首を振り、思考を止めた。
 この思考がいかに危険であるか、よく自覚していたからだ。
 自身も被害者になれば、リアルに殺人嗜好者らを感じることが出来る。彼ら彼女らに関心を抱き始めた当初から、気がついてはいたが、努めて考えないようにしてきた。
 単純に死ぬことが怖かったし、身体を痛めつけられるのも嫌だった。
「死んだら、それまでだからなぁ」
 呟く。
 死んだら、もう異常者の軌跡を追うことができなくなる。暗い欲求を満たすことができなくなる。それだけは御免だった。
 普通の人間とはずれた位置からではあるが、律もまた死に対する拒否感を持っていた。


 いささか、思索に囚われすぎたようだ。
 律は、いま何の場にいるかを自分に言い聞かし、意識的に緊張感を高めた。
 静馬の行動は探索機で把握できるが、ほかの選手のことは分からない。いつ襲われてもおかしくないのだ。探索機の液晶画面に目を落とす。静馬はちょうど律の家あたりにいるようだった。
 律の家からさらに山を下れば、三原勇気や新谷華らと待ち合わせをしている公民館に出る。公民館へ向かっている途中なのだろう。
 もう少し静馬の部屋を探った後、律も公民館へ向かうつもりだった。
 うまくすれば、静馬が勇気らを殺す場面を見ることが出来るかもしれない。
 これが、事故死であればまた違うのだろうが、親友である勇気を失う悲しみはあまり感じなかった。むしろ、殺人嗜好者に襲われる友人の様、亡骸を見てみたかった。
 おそらく、親しい者であればあるほど、より高い満足感を得ることが出来るだろう。……不謹慎極まりない話ではあるが。


 
−09/10−


□□  バトル×2 3TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
雨宮律
ごく普通の少年だが、その実、連続殺人犯などへの関心を強く持っていた。