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OBR2 −蘇生−  


008  横浜  2004年9月30日22時00分


<陣内亜希子>

 
 運転手に乗り賃を支払い、陣内亜希子はタクシーを降りた。
 車が走り去るのを見やり、マンションの手前で降りればよかったと後悔した。
 そもそもタクシーなど使わなければよかったのだが、朝から調子が悪く、一日仕事をしているうちにさらに悪化したので、一刻も早く帰りたかったのだ。金を受け取ったときの運転手の目。好色な光の混じった好奇の目だった。マンションに囲われている商売女とでも思われたのだろうか。
 ライトアップされた前庭、豪奢なエントランス、れんがを積み上げたような外壁。
 実際には見た目ほど高級なマンションではないのだが、それでも母と亜希子の収入で手の届くものではない。
 プログラム優勝者に支給される生涯保証金。
 その恩恵があってこその住まいだ。

 エントランスの自動ドアを抜ける。入って右手のカウンターに座る警備員が軽く会釈をしてきた。
 会釈を返しながら、進む。
 奥にはエントランスのそれよりもふた周りほど小振りな自動ドアがあり、これはオートロックシステムで守られている。
 エレベーターに乗り込んだ亜希子はふっと息をつき、腕時計を見た。
 夜の十時。
 週末であり、若い亜希子が帰宅するような時間帯ではない。体調不良がなくても、特に予定はなかった。呑み歩く友人もいないことに肩を落とす。
 ほんの一年前までは、仕事からそのまま家に帰ることなんてなかった。婚約していた修二と待ち合わせをし、レイトショーや芝居を観に行く。女友達と食事に行く。ごくごく普通のOL生活をしていた。
 福岡に帰りたい。
 月に取り残された探査機が地球を思うように、亜希子は故郷を想う。

 だけど、分かっている。
 福岡に帰っても亜希子には居場所はない。
 修二はもう会ってくれないだろう。上司の娘と婚約したという話を聞いた。
 友人たちは? ……会ってくれるだろうが、以前のように屈託なく話すことはできないだろう。彼らは目で語るに違いない。「弟さんは、どうしてるの?」恐れに満ちた好奇の目で語るに違いない。
 亜希子は、思う。
 その目に私は耐えることはできない。
 それなら、先ほどの運転手のようなただの好奇の目の方がいい。

 エレベーターの壁につけられた鏡を見つめた。
 20代半ばの若い女が映っている。肩を越える黒髪、華奢で小柄な身体。白い肌には疲れが滲んでいた。一年前はこんな疲れた顔はしてなかった。
 婚約者の修二との未来を思い描き、ささやかな幸せに浸っていた。
 この疲れは、誰のせい?
 ……弟の真斗のせい。

 修二は言った。
「うちの親は古風だから」
「人殺しの血が混じることを許してくれないんだ」
「それに、僕の子どもに余計な苦労をかけたしたくないんだ」
 親云々はただの言い訳だと分かっていたが、最後の台詞だけは亜希子の胸をえぐった。
 なぜなら、その頃はちょうど、プログラム優勝者の家族に向けられる視線の冷たさを感じ始めた時期だったから。
 プログラム優勝は名誉なこととされる。しかし、表向きのことで、実情は犯罪者の家族に向けられる視線と変わりはなかった。
 また、生涯保証金、金銭が絡む分、それはさらに陰湿なものになってくる。人の命を踏み台にして懐を膨らますなんて。そんな風に感じる人間は、案外多いものだ。
 亜希子も母親の牧子も、職場や友人の輪から少しずつ除外され居場所を失った。
 自分の子どもに、そんな思いをさせることができるだろうか。そんなことに耐えられるだろうか。
 自問するまでもなく、答えは見えていた。

 父親の宏和は、真斗がプログラムに参加すると知らされたときに激しく反発し、銃刑となっていた。当時の亜希子はこれを「実直で熱血漢だった父らしい」と思ったが、最近では「父は逃げたのではないか?」と思い始めいてた。
 父は中学校で教師をしていた。
 それまでの教師生活の中で赴任先がプログラム対象になったことはなかったが、教師仲間から優勝者の家族が味わう現実の厳しさを聞いていないはずはない。
 ずるいわよ、父さん。
 亜希子は思う。
 ずるい、よ。ほんとに。自分だけ先に楽になっちゃうなんて。

 ちんっと音がなり、エレベーターが停まった。
 エレベーターを降りてすぐの701号室が、亜希子と母の牧子の住まいだ。
 横浜の中心街に出るにはやや不便な位置にあるが、その分閑静な土地。ゆったりとしたつくりの3LDK。万全のセキュリティシステム。
 ドアを開ければ、明るい色のレンガを敷き詰めた玄関ポーチ。
 と、ここで亜希子の眉がふっと寄った。
 玄関の明かりが落ちていた。
 牧子は、中規模の総合病院で薬剤師をしている。夜勤や遅番でこの時間になっても家にいないことはしばしばだが、今日は休みのはずだった。

 どこか、出かけたのかな?
 まぁ、母さんだって家と病院の往復だけな毎日なわけじゃないし。
 まさしく「家と仕事場の往復な毎日」な亜希子は少しすねた表情をし、ちょっと笑った。
 実の母と寂しさを競うなんて馬鹿馬鹿しい。
 ひょいと肩をすくめ、リビング に入る。明かりをつけた亜希子はぎょっと目を見張った。
 母の牧子 がいた。
 朝からずっと家にいたのだろう。
 家着で、化粧も薄かった。牧子は椅子に呆然と座っている。
「どうしたの? 明かりもつけないで」と戸惑い声をかけると、たっぷり3秒ほどの間があって、牧子が顔を上げた。

 どきどきと胸が鳴った。
 牧子が掠れた声を押し出す。
「また……」
「え?」
 亜希子の反問も掠れていた。
「また、真斗が……。プログラムに……」
 一瞬、亜希子は笑った。ほほが緩み、口元に微笑が浮かんだ。
「母さん、何言ってるの。そんなわけ」
 ないじゃない。そう言おうとしたら、母の視線に邪魔をされた。浮かんだ笑みが凍りつく。
 切実な、それでいてどこか甘ったるい口調で、牧子が言葉を落とす。
「ねえ、あの子、今度こそ、死んでくれるか……しら?」



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