OBR2 −蘇生−  


073    2004年10月01日20時00分


<陣内真斗>


 ずぶ濡れの衣服が華奢な身体に重い。また、肉体的にも精神的にも疲労しきっていた。鈍る足を叱咤し、真斗は暗闇の廊下を注意深く進む。
 懐中電灯のライトで照らす天井は低く感じ、圧迫感に喘いだ。
 ところどころに蛍光灯が設置されていた跡があった。下に落ちて割れている電灯もあり、踏みつけたガラス片が音を立てる。
 かつて大地震にでも見舞われたことがあるのだろうか、それとも、放置された建物はかくも脆いものなのだろうか、柱や天井が一部崩れ、中の鉄骨が見えていた。
 廊下には、様々な大きさのコンクリの塊が転がっており、それぞれが埃と泥を被っていた。一部、真新しい血糊もついている。鮎川霧子らのものだろう。

 それぞれの教室の戸は、開け放たれていた。
 廃校の際に椅子や机は運び出したらしく、教室はがらんとしていた。
 窓には木板が打ち付けられていた。がんがんと外板を打ち付ける嵐。板の隙間から漏れ入る雨、風。窓際の床には水が溜まり、教室の中では風がびゅうびゅうと渦巻いていた。
 廊下には窓がなく、エントランス同様に、壁にカラースプレーで描かれた落書きが残っていた。
 芸術家気取りで壁に似非えせアートを施す者たちなど、日ごろなら御免被りたい人種だ。しかし、今はそんな連中でもいいからいて欲しかった。
 いい加減、暗闇や、襲われる緊張感に慣れてもいいだろうに、変わらない恐怖心が真斗を覆い、鼓動が早まり、喉が渇いた。手足が震える。

 歩きながら、受けた傷をいくらか散らす。
 傷は若干小さくなったが、代わりに疲労感が増した。
 『アドレナリンドライブ』 はデリケートな作業ゆえ、使うエネルギーが『ブレイド』の比ではないようだ。
 出血も続いていたが、これ以上散らすと動けなくなりそうだったので、ポケットから『ブレイド』の指輪を取り出し、付け替えた。

 血の跡は、ふた筋が並んでまっすぐに廊下を進んでいた。
 二手に分かれられることを恐れ、『ブレイド』で操作した血液を彼らに被せたのだが、判断は間違っていなかったようだ。
 また、ひと筋は血の量が少なく、もうひと筋は目だって多かった。
 おそらく、濃い血の道のほうが木ノ島俊介のものだ。それなりのダメージを与えたと見ていいだろう。
 ふっと、木ノ島俊介のことを思った。
 プログラム中、彼を殺すことをずっと考えてきた。
 彩華に聞いたところによると、『フォーンブース』は単純に頭の中で会話する能力ではなく、一番強い思いが伝わる能力ということだ。
 だとすれば、殺意は俊介に漏れていたに違いない。
 しかし、彼は顔色一つ変えず、応対していた。
 恐怖や驚きを漏らさなかった彼の自制心に、真斗は感服する。
 
 俊介は智樹と同じサッカー部だったので、智樹を間に介してそれなりに親しくしていた。 
 実直さとともに、意志の強さはその頃から感じていたが、まさかここまでとは思っても見なかった。


 廊下の突き当りには二階へと上る階段があった。
 階段の上り口に向かって右手には鉄の扉があり、錆びた匂いを漂わせている。その扉の、埃のこびりついた中窓から外の様子が見通せた。外廊下で別の校舎と連結しているらしい。
 扉につけられた南京錠は壊されておらず、血の跡は階段を上っていた。
 黒縁眼鏡をいったん外し、上着の袖でレンズを拭った。視界をクリアにし、上方を見やる。耳を澄まし、気配を探るが、階段の上から狙っているようには感じられなかった。

 敵の懐にわざわざ飛び込む必要などない。
 真斗の冷静な判断が告げる。
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。危険を冒さなければ勝利はない。
 だが、虎穴の奥深くまで進めば、それだけ相手方有利となるのだ。
 虎穴の入り口付近、つまり、エントランスのあたりで罠を張り、傷を散らすことの出来る『アドレナリンドライブ』などを餌に、呼び込むことは可能だ。
 トラップの設営、退路の確保……。
 いや、と真斗は頭を振る。木ノ島俊介が傷ついてる。焦りも出ているだろう。叩くのなら、今なのだ。時間を空ければ落ち着きを取り戻されてしまう。
 また、真斗は先ほどの襲撃の様子から、一つの可能性を得ていた。
 まだ核心には至っていない、ただの推察なのだが……。

 足が震える。心拍が右肩上がりだ。喉がからからに渇き、耳の奥できーんと耳鳴りがした。
 しかし、進まなくてはいけない。進まなければ、生きて帰ることは出来ない。
 階段の踊り場には、天井から落ちてきた大きなコンクリ塊が横たわっていた。
 コンクリには血糊がついていた。よろけ、身体を保持するために手をついたらしい。俊介の容態は悪いと見ていいだろう。 
 階段を踏みしめ、上がるたびに、雨音が大きくなる。
 近い場所の窓が割れているのだろうか。

 二階もまた、廃墟然としていた。野鳥が巣にしているのだろうか、白い糞があちこちに落ちていた。
 血の跡は、上がって右手に続いていた。
 右手には広い引き戸があり、外廊下の向こうに、雨に霞む別の校舎が見える。
 階段下と同じ構造だった。二階の引き戸は、一階の扉とは違い、開かれていた。雨風が吹き込み、廊下を濡らしていた。
 消えかかってはいるが、赤い道筋は外廊下の向こうの校舎に続いている。
 先の校舎側の引き戸は、半分開いていた。

 ごくり、喉に唾液を落とす。
 銃を握る右手に汗が滲む。


 前のプログラムで、政府に反対した父は死んだ。薬剤師をしていた母は病院をやめざるを得なかったし、姉の亜希子は結婚が取りやめになった。
 地元から逃げるような転居。転校。転職。
 生き残ったことで、優勝したことで、自分だけではなく、家族の生活を滅茶苦茶にした。
 母と姉は、腫れ物を扱うように、忌む物を見るように、自分を扱った。
 東京の全寮制高校、ぶどうヶ丘高校に進学すると言ったときの彼女たちの顔を、真斗は数ヶ月たった今も忘れていない。
 彼女たちは、心底ほっとしたという顔をした。
 その後、10数秒たってから、「何も親元を離れなくても」「通学制のフリースクールもある」慌てて取り繕っていた。あのとき真斗は、「じゃ、ぶどうヶ丘はやめて、通学校にしようかな」と言いたくてたまらなかった。落胆する彼女たちの顔をみたくてたまらなかった。
 しかし、やめた。
 そんな関わりさえもすでに煩わしく感じていたのだ。

 彼女たちは自分を拒絶した。
 ……いや、違う。
 真斗は強く首を振った。

 違う。彼女たちだけではない。自分も拒絶した。関わりを絶った。プログラムから帰ってから後、平気な顔を作り、生活した。……そうしないと、心が引きちぎられそうだったから。
 だが、泣かなければいけなかったのだ。助けを請わなければならなかったのだ。
 そうすれば、隔たる壁は崩れ、腫れ物でも忌み物でもなく、ただの一人の息子として弟して、接してもらえたのかもしれない。
 遠藤沙弓ともそうだ。
 当時付き合っていた彼女。彼女は一度見舞いに来てくれている。だけど、俺は会わなかった。彼女だって勇気を振り絞って会いに来てくれたはずなのに。

 離れたことで、やっとで修復し、維持してきた平穏な日々。
 それは真斗だけではなく、彼女たちも同じだ。
 生き残れば、また壊すこととなる。彼女達の薄氷の上の平穏に、石を投げることとなる。
 母親たちはきっと、自分が生き残ることを望んでいない。冷たい推察が、真斗を襲う。
 真斗自身は、生き残り、母親や姉と向き合いたいと願っている。できれば、遠藤沙弓ともやり直したいとも思っている。しかし、同じことを彼女たちは望んでいないと、真斗の冷静な部分が告げる。
 裏腹な現実。


 だけど。だけど……。
 校舎は夜気と雨に冷やされていた。床や壁に、少しずつ胸の鼓動と身体の温もりが伝わっていく。
 目頭が熱くなった。
 ……だけど、俺は生きたいんだ。クラスメイトの命を踏みにじり、母さんたちの生活を再び壊すことになっても。俺は生き残りたいんだ。



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陣内真斗
プログラム優勝経験者。前回優勝後、家族と関係を保てなかった。このプログラムでも数人を殺害。
『ブレイド』
血液を操ることができる。