<陣内真斗>
空間をショートカットする黒い歪みを起こす際に異質な気配が漏れることには、霧子たちも気がついていたらしい。
何かの能力を用い、出現させた歪みを隠し、眩ましたのだ。
少し考えて、真斗は空に絵を描く能力だと推察した。
……仲谷優一郎の『贋作士(ギャラリーフェイク)』
を使った状況だった。
靴箱の絵がはらりと落ちたように見えたことから、平面状にしかできないようにも思えたが、あれだけのことなので、立体物までカバーできるかどうかまでは分からなかった。
直接的な攻撃力はないが、トリッキーで使用の幅が広く、注意の必要な能力だ。
その後床を爆ぜさせたものの正体はすぐに分かった。
小石が化粧タイルを割り、地面にめり込んでいた。おそらくは、『アストロボーイ』
の能力で腕力を強化し、石つぶてを投げつけてきたということだろう。
銃撃を、真斗は右のふくらはぎに、彩華は左の太ももに受けていた。
霧子も慌てたのか、石つぶての攻撃は下方に向いてたので、その大部分は床にめり込んだのだが、しゃがみこんでいた彩華が腰の辺りに被弾してしまっていた。
幸い、真斗も彩華も、銃弾、石つぶては貫通させていた。
「指輪を貸してください」
受けた傷が焼けたように熱かった。
彩華はもっと酷い状態で、息も絶え絶えだった。この状態ではとても指輪を使うことはできないと判断した。
指輪は身を守る盾であり命綱だ。また、自分のことを信用しきってもいないのだろう。
いくらかの逡巡のあと、意を決したように彩華が指輪はずし、渡してきた。
指輪を『アドレナリンドライブ』
に付け替え、まずは彼女の腰の傷を散らす。
能力の仕組みは既に聞いていたし、被能力者には何度もなっていたが、実際に発動させるのは初めてだ。上手くいくか不安だったのだが、なんとか動かすことができた。
彼女に残された体力を考え、傷の半分を引き受ける。
真斗の右腕に新しい傷が生じ、どくどくと血が流れた。
これを、彩華がさも意外そうな顔で見た。
「なにか?」
「いや……。まさか、傷を……もっててくれるとは思っていなかった」
痛みに耐えながら、彩華が言う。
言われて、それが自分らしからぬ行為だと気がついた。
たしかに、献身とは程遠い行動を取り続けてきた。
「あなたに深手を負われたままだと色々不都合なだけです」
とっさに理由を付けると、彩華は唇の端をゆがめて笑った。その笑顔の意味は考えないこととする。
自分のふくらはぎと彩華の太ももの傷も散らし、空いたペットボトルに今度は自分の血を詰めた。
彩華は依然脂汗をかき、憔悴している。『アドレナリンドライブ』は治癒を施す能力ではなく、単純に傷を動かし散らすだけだ。失った体力や精神力を取り戻させることもできない。
およそ弱音を吐くキャラクターではない彼女、動けないのは実際に限界に来ているからだろう。
仕方なく、エントランスから入ってすぐ脇にあった用具室に、彼女の身体を隠すことにした。
用具室は8畳ほどの広さで、左右の壁は全て木の棚で覆われていた。
学校を引き払う際に全て撤去したのだろう。棚には何も残っていなかった。
正面の窓はやはり割れており、木板で塞いであったが、隙間から強い横殴りの雨が吹き込み、窓際の床に水溜りを作っている。
埃と泥水の匂いがした。
埃のたまった床に彩華を下ろす。
空になった棚に背を預けて座り、荒い息を漏らしている彼女に指輪を返そうとしたら、差し出した手を無言で押し返された。
「どうしました?」
疑問符を投げると、「持って……いって」と彩華が顔を上げた。
今度は真斗が意外に思う番だった。
「なに?」
先ほどの真斗よろしく彩華が訊いてくる。
「いえ、武器を手放すなんて、あなたらしく……」
和野美月に襲われたとき、迷うことなく智樹に押し付けた彼女。合流したときには、利用できるものは何んでも利用する主義だと宣言していた。
いっそ清清しいほどに、生き残ることを最優先に行動している。
「言ったでしょ。アタシ、利用するものは……何でも利用する主義なの」
弱くはあるが、はっきりとした口調で話してきた。
「今は陣内。アタシが……戦えない以上、利用する陣内の戦力を上げなきゃ、ね?」
一見、主義に沿った行動に聞こえるが……。
与えた疑念に答えるためか、彩華はゆっくりと身体を起こすと、「陣内とアタシが生き残った場合、どうなるんだろうな」まっすく真斗の目を覗き込んできた。
外で、稲妻が走った。雷光が窓から漏れ入り、用具室を照らす。雨の音がいっそうの強まりを見せる。
真斗はしばらく考える振りをしてから、「まぁ、殺しあうでしょうね」と肩をすくめた。
予想通りの返答だったのだろう。彩華が頷いた。
惹かれるものは感じるが、だからといって全面的に信頼できるわけでもない。
このプログラムでも、確実に生き残るためには、結局のところ最後の一人になる必要があるのだ。
仮に自分が鮎川霧子と木ノ島俊介を殺したとして、彩華を生き返らせる確実性などないことは、彼女もよく分かっているに違いない。
では、どうして指輪を預けたままにしておくのだろう?
「保険を持ってるの」
「保険?」
「ええ」彩華は長い髪を優雅にかきあげ、「アタシ、城井が……陣内を襲った理由を知ってる」凄みのある笑顔をした。脂汗を流し、肩で息をしてはいるが、目の力は変わらない。
ひゅっと息を呑む。
痛いところを突かれた。そんな気分になった。
彼女は、木ノ島が指輪『フォーンブース』の能力で知った真実を伝え聞いたと話した。
嘘をついているようには見えない。また、仮に嘘だったとしても、確かめる術はなかった。これからの戦い、木ノ島俊介とそんな話を悠長にできるはずもない。
「智樹を生き返せば済むことですよ」
言い返してみたが、彼女は笑顔を崩さなかった。
「話して……くれると思う? 話してくれたとして、それが本当だと思う?」
またしても痛いところを突かれた。
殺そうとした理由を智樹が話してくれるとは思えなかった。重い事情であればこそなおさら胸のうちにしまってしまうだろう。
「矢坂は……」
「え?」
「矢坂は、どうして、生きたいんだ?」
クラスメイトを利用し、傷つけ、殺し、彼女は生き延びようとしている。開き直り、持った手札を最大限に利用している。
最初合流したとき、フルメイクの彼女は艶やかに光って見えた。
そして、時間と戦いを経て、傷つき、雨に体力を奪われ、削られ、憔悴しきった今もその輝きを失っていなかった。
変わらない目の力で、彩華は真斗を見やる。
「死にたくないから、よ」
シンプルに答えてきた。
「陣内も同じ……だろ?」
「……ああ、そうだよ」思いがけず、自然に唇が動いた。「俺は、死にたくないんだ」
彩華は、「じゃぁ、それでいいじゃない?」とも「それで正しいんだ」とも言わなかった。正しい選択だとは決して言えないからだろう。
……だけど、生きたい。
と、「やっと……普通の話し方してくれた」満足げに彩華が微笑んだ。
言われてみれば、慇懃無礼な口調を続けることを忘れていた。
この話題は照れくさかったので、「では、行きます」立ち上がる。
「……なんだ、口調戻しちゃうのね」
「僕たちにはこのほうが似合いだと思いますが」
「とことん捻くれてるわね」
なんだかおかしくて、笑ってしまった。
「その性格悪そうな笑顔、好きよ」
そういって乱れた息をする。体調は最悪だろうに、口が減らないあたり、彩華らしいといえば彩華らしい。
用具室の戸をしっかりと閉める。鍵は前から壊れてしまっているようだった。血の痕は『ブレイド』
を使い目立たなくしたが、埃や泥に痕跡が残ってしまった。
戸越しに彩華に告げると、とんとんと戸を叩く音がした。了解、という意味合いだろう。
呼吸を整え、歩き出す。その足は小刻みに震えていた。
恐ろしかった。だけど、前に進むしかなかった。
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