<矢坂彩華>
少し黙ったあと、「5メートル」真斗が真顔で言った。
「え?」
「僕の『ブレイド』で血液を操作できる限界が、5メートルです。操作した血液は銃弾扱いになるので、5メートル制限にかかります。覚えておいてください」
「……」
「不利な情報なので話していなかったんですが、『フォーンブース』のカラクリを知らない間に、木ノ島に伝わってる可能性は大きいです。敵が知ってるのに身内に黙っている必要はありませんから」
城井智樹以外には排他的な真斗が身内という言葉を使ったことに驚き、軽く身体を起こす。
特に意識して使ったようには見えなかった。
……これは、ちょっと嬉しいじゃないか。
真斗に愛おしさを感じつつある身としては、正直に嬉しかった。
さらに、「雨に濡れたので身体を拭きます」続けてくる。
苦しげな声だった。
「……どうぞ」
怪訝に思いながら促すと、真斗は神妙な面持ちで黒縁めがねをはずし、ゆっくりとした動きで上着を脱いだ。立てられた懐中電灯に照らされる、真斗の痩せた裸体。
この一日足らずの間に、傷だらけになった身体。
彩華が『アドレナリンドライブ』
でだいぶん散らしたのだが、それでも傷は残っていた。
しかし、彩華が目を瞠ったのはそれらの傷のせいではなかった。
真斗の身体には古い傷跡がいくつもあった。大きなものでは、肩口に弾痕。胸元を袈裟懸けに斬られた痕もある。
陣内真斗はプログラム優勝者だった。
先ほどの告白を思い出し、何度目かのため息を落とす。
ディパックから取り出したタオルで身体を拭いている真斗がつっと顔を上げ、「なんだか、視姦されているようで、居心地が悪いのですが」とわざとらしく照れてみせる。
言い返そうとしたところに、「ああ、すいません。悪い癖だ」真斗が首を振った。
「前のプログラム以来、病院関係以外で誰かに肌を見せるのは、はじめてです」
傷を気にして、優勝者だとばれるのを気にして、というところだろう。
「プログラムの後、当時付き合っていた子とうまくいきませんで。女なんて信用できないと考えてたんですが」
真斗が途中で言葉を切り、素知らぬ顔で濡れたシャツを絞り、着なおした。
先ほどの混乱時ならともかく、およそ、打ち明け話をするキャラクターではない真斗だ。
このような話をすること自体が、意味のある行動だろう。
そして、話をする相手として、肌を見せる相手として、自分を選んだことにそれなりに感じるものはあり、胸が熱くなった。
以前のプログラムによって様々な人間関係や感情を滅した彼が、このプログラムや自分という存在との関わりを経て、それらを蘇らせたということであれば、たとえ理由の一つに過ぎないにしろ、喜ばしいことだった。
「それは、アタシのおかげと受け取ってもいいのかしら?」
「世の中には面白い女もいたんだな、とは思ってますよ」
「頭のよさは認めるけど、女の扱いはまだまだね」
「若干16歳。年増の域には遠いですから」
皮肉を忘れないあたり、相変わらずだ。
「手ほどきが必要ってことね」
真斗の華奢な肩口に腕を回し、抱き寄せる。
汗や泥の匂いよりも、赤い血の匂いが強かった。
ふっと、彼はこの決して恵まれているとはいえない身体で戦ってきたのだと、思った。
「そうですね」
軽い口付けのあと、照れもせず、淡々と真斗は答える。
彩華としては自然な流れで真斗の頬に手をやると、彼はびくりと身体を硬直させた。黒縁目がねの奥から不遜に見返していた視線が泳ぐ。
大人びた台詞を吐き、顔にも出ないが、女に慣れているわけでもないのだ。
ゾクゾクっと彩華の体芯に電流が走った。
「なんだか、滅茶苦茶にしてやりたい気分」
「……僕は、蟷螂のオスの気分ですよ」
「そう?」
演出も兼ねて艶然と微笑むと、「まぁ、取って喰われるのも、一興」彼は肩をすくめた。クールな物言いの一方で目元が赤らんでいる。
これで、また彩華に電流が走る。
本気で滅茶苦茶にしようとして抱きしめたら、「さて、続きは帰ってからにしましょう」真斗が彩華を振り解き、荷物をまとめ始めた。
振りほどかれたことに憮然として見つめたら、真斗の手が小刻みに震えていることに気がついた。
生き残るために、前回今回と何人ものクラスメイトを殺してきて、慣れもでてきてるだろうに、感覚は麻痺してきてるだろうに、それでもなお、これからの戦いを思うと恐ろしいのだろうか。
「……帰ってから、ね」
「ええ」
それは、互いを蘇らせる契約だ。
ためしに、二人して生き延びた後のことを考えてみた。
……うまくは行かないだろうな。
一緒にいれば、プログラムのことを思い出す。心が切り裂かれる。
互いに、生き残ることために仕方のないことだったと一応の割り切りはできても、結局のところ、罪悪感を捨てることはできない質だ。
異性との関わりで言えば、真斗は女性不信からは脱したようだが、今度は井上菜摘を、自分のことを好いていた女の子を殺したという新しい重荷を背負った。
先ほど手を振り解いてきたのは、戦いに向かうためではなく、井上菜摘を思い出したからではないだろうか。
と、雨ざらしになっていた城井智樹の亡骸に目をやった真斗が顔をゆがめた。
無言で智樹の身体を抱き起こし、洞窟の中に入れる。
ずぶ濡れになった智樹の身体をタオルでぬぐう真斗の姿をぼんやりと見つめ、彩華は「ああ……」と声を漏らした。
一歩進み、洞窟から出る。
強い雨が彩華の身体にあたり、熱をさらに冷やした。洞窟の外は嵐だった。稲妻が空を裂き、風が森をしならせる。
契約は履行されないかもしれない。彼が生き残った場合、結局城井智樹を蘇らせるかもしれない。……裏切られたのに。刺されたのに。井上菜摘を蘇らせるかもしれない。……一度殺したのに。彼女の思いを踏みにじったのに。
だが、人の心なんてそんなものだ。
真斗の心は気ぜわしいドアのようだ。
開いたと思ったら、すぐに閉じる。注意をしないと指を挟まれて怪我をする。
「さて、行きましょうか」
「……ええ」
生き残るためには、やはり、最後の一人になる必要がある。
強く、彩華は思った。
……それは、この目の前にいる男と戦うこともあるということだ。
−04/17−
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