OBR2 −蘇生−  


067   東京  2004年10月01日17時00分


<陣内亜希子>


 深沼ミライ
が運転するワゴンが国道を進む。
 ミライの運転はお世辞にも上手とは言えず、時々ひやりとさせられる場面すらあったので、亜希子 は助手席で首をすぼめていた。
 フロントガラスには、初心者マークが吸盤で吊るされている。
「どうも、車と……運転ってものと相性が悪いみたいで」
 赤信号で車を止めてから、亜希子に視線をやり、頭をかく。
 車で送ると言った手前、拙い運転技術を見せてしまったことに恐縮しているのだろう、頬を赤らめていた。

 ミライは部活に入ってもないのに怪我ばかりしていた、という保険医の三田村香苗の弁を思いだし、電車を乗り継いだほうがよかったかなと、苦笑する。
 まぁ、会って以来、人を食ったような態度ばかり見せ続けられてきたのだ。
 これはこれで、意外で可愛らしくはある。
 本当に運転下手なだけで、意図などまったくないのだろうが、なんだか気が楽になった。
 と、亜希子の携帯が鳴った。
 ミライに断ってから出る。
 少しの間先方と話してから、「病院からです」とミライに告げた。話しやすいようにするためか、気になって運転しにくいためか、ミライは車を路肩に止め、亜希子に電話を促した。


 
 亜希子に電話をかけてきたのは、母親の牧子が搬送された病院の看護師だった。
 牧子の容態を聞いた後も話が続く。
「……はい、はい。ありがとうございます。……後どれくらいかですか?」
 横で聞いていたミライが「順調に行けば2時間ほどでつくと思います」と合いの手を入れてくれた。
「二時間ほどで……。はい……、はい。……それでは」
 亜希子はゆっくりと電話を切った。あがっていた気がどんよりと沈んでいた。
 表情が落ちたとはいえ、最悪の事態は免れたことを悟ったのだろう、ミライが「お母さんの具合どうでした?」と訊いてきた。
 動悸を抑えるために細かく息を刻んでから答える。
「命は取り留めたようです」
「よかった」
 彼が肩を下ろすのを見、「心臓疾患に使われる、ある種の薬を過量摂取して……」と告げる。
「母は、薬剤師をしているので……。今日は休みだったんですが、午前中のうちに何かしら言い訳つけて職場にいって、手に入れたようです」
 亜希子は疲れたように首をかしげ、「致死量ギリギリだったそうです」続けた。

「何はともあれ、助かってよかったですね」
「……そうでしょうか?」
 思いがけない返事に、ミライがぎょっとした顔をした。
「え……?」
「薬剤師の母が、致死量ギリギリの薬を飲んだんです」
 や・く・ざ・い・しと、一言一言区切って話した。
「薬を飲む直前に、管理人室に電話もかけてます」
 この意味が分かりますか?
 声にならない問い。
「……そんな」
 ミライは全てを理解し、信じられないという意思表示をした。ハンドルに顔をうずめる。

 路肩に停めたミライのワゴンを次々と車が追い越していく。
 ふっと、行き交う車のどれでもいいから乗り換えて、別のところへ行きたいと思った。
 事実が、亜希子を冷やしていた。心が震え、ぐうと身体が沈み込むような感覚に襲われていた。
 母の自殺未遂は、真斗へのあてつけだった。
 わななく唇をぎりっと噛んだあと、「あてつけ……です」言葉に表した。

 マンションの管理人の坂口から話を聞いたときから「もしや」とは思っていたのだが、先ほどの看護師の電話がいちいちその裏づけになった。
 薬剤師をしている母のこと、服薬量の見極めはお手の物だったろう。
 何のために? 母は何のために自殺未遂を?
 ……もしまた真斗が優勝したときに、彼が負担に思うように。自分がどれだけ苦しんでいるのか、どれだけ真斗に帰って欲しくないと思っていたか、知らしめるために。
 死んでは元も子もないので、管理鍵を持っている坂口に電話を入れたのだ。
 迷惑をかけることを謝ったふりをして、助けを求めたのだ。
 ここで、亜希子は、いやと首を振った。
 もしかしたら、死んでもいいと思ったのかもしれない。
 ギリギリの綱渡り、落ちても落ちなくても、真斗は負担に思うだろう。

 ミライが顔を上げ、大きく首を振ったあと、「実の、息子ですよ?」抗議の声をあげた。
 しかし、すぐに「ああ、僕が言えたことじゃないのか……」藤鬼静馬の、『神崎の殺人鬼』の息子が重い息を吐く。
 弟のアスマが父親の藤鬼静馬に酷い目にあわされたことを思い出したのだろう、顔をしかめる。 
 
 と、ミライが車を発進させ、10数メートル先に見えていたコンビニエンスストアに乗り入れた。車を降り、自動ドアをくぐり店の中へと入っていく。
 2,3分後、戻ってきたミライが訊いてきた。
「お茶、飲みます?」
 あっけに取られたまま頷くと、彼はコンビニエンスストアの袋からお茶のペットボトルを取り出した。
「おにぎり、食べます?」
 今度は握り飯の包みを取り出してきたので、これにも頷いて答えた。
 
「僕、しんどいときは、食べて飲むことにしてるんです」
 その目は、少し遠くを見ていた。
 父親が起こした大事件、彼もさぞかし身の置き所のない思いをしたことだろう。
 握り飯をぱくついているミライの横顔を見つめていると、彼は運転席に座ったまま背伸びをし、「なーんか、嫌な環境っすね、お互い」おどけた口調で言った。
 軽く笑う。
「あー、ほんと、そうですね」
 彼の真似をして気安い口調で愚痴を吐き、背伸びをしてみたら、少ししゃんとした。
 もらった握り飯を口にしたら、うつむき加減だった心が前を向いた。

 真斗は食事を取れているのだろうかと思う。そして、遠藤沙弓が真斗が食事を取れているか心配している振りをしていたことを思い出した。
 遅れて、全くの振りだったのだろうかと考える。
 もしかしたら、本当に心配もしてくれていたのではないかと考える。
 彼女は心の平安のために、真斗を切り捨てていた。真斗の死を一刻も早く確かめるためにぶどうヶ丘高校に行った。
 だけど、心配もしてくれていたのではないだろうか。
 人の心なんてそんなものだ。

 ……母さんも。きっと母さんもそうだ。
 思ったこと口に出すと、ミライは「そうだったら、いいですね」と返してた。亜希子も頷く。
 世の中性善説だけでは生きていけない。そんなことは二人とも十分承知していた。プログラム関連で、これまでに嫌というほど世間の風を受けてきたのだ。
 ……だけど。……だけど、そう。
「そうだったら、いいですね」
 ミライの言葉を口に出し、もう一度頷く。
 そうだったら、いい。
 母さんだって、今は無理でも、いつかは、真斗のことを思ってくれる日が来るかもしれない。

 母さんは母さん。自分は自分。
 母さんがいま真斗を愛せないというのなら、自分が替わりに愛してやればいい。母さんが辛いというのならば、支えてやればいい。
 ごく自然にそう思えた。
「さて、行きますか」
 食べ終えたミライに促され、亜希子は「お願いします」頷く。
 まだ辛いけれど、これからのことを思うともっと辛いけれど、隣にいるミライも辛いのだと、自分ひとりではないのだと思うと、少し楽になれた。



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陣内亜希子
真斗の姉。真斗のプログラム優勝後、婚約を破棄されている。ぶどうヶ丘高校に今回のプログラム様子を聞きに行っていたが、母親の牧子が自殺を図ったと聞き、横浜に戻ろうとしている。

深沼ミライ
深沼アスマの兄。ぶどうヶ丘高校の卒業生。父親は連続殺人犯の藤鬼静馬。