<鮎川霧子>
「誰が、死ぬ、もんか」
唐突に、一言一言区切るように俊介が言った。
戸惑いを返すと、「堀田竜に襲われたとき、陣内が言ったんだ。……死ぬもんか、って」続ける。
「あいつは……あいつなりに、必死だよ」
「必死に?」
「そう、必死に生きようとしているよ。もがいているよ」
「陣内が?」
「いつ死んだっていい」
つっと顔をあげ、俊介がきつい口調で切る。
それは、日ごろ霧子が持っていた感情だった。先ほど室田高市の話をするときに心の中で描いていた言葉だ。フォーンブースを経て、伝わっていたのだろう。
いや、彼はずっと自分のことを見ていてくれた。あるいは、前から知っていたのかもしれない。
「どうせ詰まらない人生なんだから、いつ死んだっていい」
繰り返す俊介。
腹を立てているように見える。珍しく、感情があらわになっている。
きっと、いつ死んだっていいと人生を投げる霧子に対して怒っているのだろう。
「あいつはきっと、そんなこと思ってないよ。……だって、必死に生きようとしているんだもの」
俊介の言葉に否定を返すことは出来なかった。
フォーンブースを通して流れてくる彼の感情に嘘偽りはなかった。
「ああ……」
霧子は、ゆっくりと息を吐き、首を振った。
怨みが、消えていく。
プログラムを経て、陣内真斗に同情心を抱いた。秋里和の地獄の炎のような憎悪に触れた。
この数時間の出来事が、俊介の言葉が、霧子の怨みで凝り固まった心を溶かしていた。もちろん、怨みは完全に消えはしない。だけど、確実に薄まってきていた。
……それは、彼を殺す理由を失うということだ。生き残る大義名分を失うということだ。
すっと胃の腑が冷える。
どうしよう……。
惑う。
どうしよう、私、死にたくない……。
額を打ち抜かれ脳漿をぶちまけていた堀田竜や、首を絞められて醜く顔を歪ませていた仲谷優一郎を思い出す。
……いつ死んだっていい。どうせ詰まらないんだから、いつ死んだっていい。
ずっとそう思っていたのに。なのに。……ああ、私、死にたくない。
と、ここで霧子ははっと我に返り、慌てて鉱石の欠片を投げ捨てた。
こんな醜い心を知られたくなかった。
投げた拍子に下げた視線をおそるおそる上げると、俊介は仔細承知という顔をしていた。
「生き残りたかった。死にたくなかった。これじゃ、駄目か?」
少し間を空けて続ける。「これも、陣内の言葉だ。……心が壊れてるわけじゃない。将来の大きな夢があるわけじゃない。生き残らなくちゃならない理由があるわけじゃない。でも……でも。でも、死にたくないんだ」
声に涙が混じっている。
「開き直ってるような、言葉だよな」
言葉自体には毒があったが、哀れんでいるような口調だった。
真斗を、自分自身を、霧子を。
「実際、そうなんだろう。陣内は、開き直ってる。……でもさ、それは、逃げたってことじゃないんだ。誤魔化してもいないんだ。」
「木ノ島……」
「アイツは、殺して、踏み台にして、足蹴にした、クラスメイト達から逃げちゃいない。……逃げようとしたことはあるんだろう。だけど、ギリギリのところで、逃げなかった。アイツは、しっかりと罪を背負って生きてるんだ」
俊介の表情が唐突に曇る。
「俺だって、そうだよ。俺だって、誰かを足蹴にして生き残る理由なんて、ない。だけど、俺だって、死にたくない」
激しい雨音にかき消されそうな弱々しい声を出し、霧子の震える指先を両手で握る。
霧子を力づけるためというよりは、自身を奮い立たせるためのようだった。
「でも……」
「ああ、人殺しなんて間違ってる」
ごくり、俊介が喉に唾液を落とす音がした。
「だけど。だけどさ……。仕方ないよ、そうしないと生き残れないんだから。辛いけど、怖いけど、そうするしかないんだから。俺は、陣内になる。俺は、生き残る」辛そうに、俊介がうつむいた。話し出してから、彼が視線をそらしたのは、これが初めてのことだ。
俺は、陣内になる。その言葉の意味をかみ締める。
陣内真斗のように、クラスメイトを足蹴にして生き残る。足蹴にした者たちに追われながら、生きていく。……それは、酷く辛いことだろう。
やがて、顔を上げ、「俺は、鮎川と生き残りたい」俊介が宣言し、ぎゅっと口を閉じた。
かみ締めた唇がぶるぶると震えている。
俊介は陣内真斗と親しくしていたはずだ。このプログラムでは実質二人生き残ることができる。そのパートナーとして、友人を捨て、霧子を選んだ。きっと、身を切られるような思いだろう。
「私も……」
彼の顔を見据えたまま、霧子は薄い声を押し出した。
「私も、生き残りたい」
目頭が熱くなり、涙が滲んできた。
怨みを晴らすためなんかじゃない。ただ生き残るために、陣内真斗を、今彼と一緒にいる矢坂彩華を殺す。
……でも、やっぱりそれは、間違いなんじゃないだろうか。
仮に生き残れたとしても、後悔しないだろうか。
私は、私の精神は、人殺しに耐え切れるのだろうか。
まだ殺してもいないのに、身体が震えた。嘔吐感に襲われた。
真斗のことを思った。
陣内は、アイツは、ずっとこんな思いをしてきたんだ。想像の感情ではなく、現実の、リアルな感情として、ずっとこんな思いに耐えてきたんだ。逃げずに、向き合ってきていたんだ。
真っ暗闇の森をまた、雷鳴が長く尾を引いて轟く。闇を切り裂き、雷が走る。森を、世界を、激しく打ち続ける豪雨。木々をしならせて吹く風。
霧子はぶるぶると頭を振った。
そして、風雨の音に負けないよう、強く大きな声で「私、認めないからね」言った。
俊介が怪訝な顔をするのを、不遜に眺め、「私、認めないからね」繰り返す。
「だって、アイツが必死に生きようとしているところ、実際にこの目で見たわけじゃないもの。やっぱり、怨み言の一つも、言ってやりたいもの」
怨みのために彼を殺すのではない。だけど、怨み言は言ってやりたい。
既に彼のことは認めている。だけど、実際に必死になって生きようとしているところを見ないと気がすまない。
相反する感情。嵐にあわせて混沌とする心。
しかし、不思議にどこかすっきりとしたものを感じていた。
そんな霧子を見、「頑固だね」俊介の顔に笑みが戻った。
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