<鮎川霧子>
鮎川霧子
は、学区は違うが、真斗と同じく福岡地区の生まれだ。
父親は地方政府の高官で、母親は料理教室をいくつも経営している。ともに忙しく、間柄のすっかり冷め切った両親のもと、愛情はともかくとして、物質的には非常に恵まれた環境で育った。
また、霧子は、幼い頃から何でも人並み以上にできる少女だった。
両親の関心はそれぞれの仕事にしかなく教育熱心ではなかったので、学習塾やスポーツ教室には通っておらず、かといって、一人で地道に努力してたわけでもない。なのに、クラスの誰よりも優れていた。
これは、子ども心に、「詰まらない」ことだった。
手を抜いて、適当にこなしても、全てにおいて一番なのだ。これほど詰まらないことはない。
結果、中学に上がる頃には、何事にも熱を感じなくなっていた。
しかも、聡い霧子は、その能力を十分すぎるほどに自覚してしまっていた。生まれ持った才を浪費しているだけなのに、ただこなしているだけなのに、自負心を高めてしまっていた。
周りの子どもだって愚かではない。一つ高い位置から見下ろし小馬鹿にする霧子に反感を持つ者も多々いた。
しかし、悪いことに、娘時分はモデルをしていたという母親の血を、霧子は色濃く受け継いでいた。ありていの言葉を使うとすれば、美少女。だが、これほど当時の霧子を正確に表す言葉はなかった。
中身にたいしたものが入っていなくても、綺麗な容器をもてはやす人間はどの世にもいる。
霧子の周りには人が絶えなかった。霧子の容姿の灯りに惹かれ、集まる羽虫のような男たち。その男たちのおこぼれに与ろうとする女たち。
友はいないが、孤独もない。そんな生活を霧子は続けていた。
詰まらなかった。
どうせ、詰まらないんだから、別にいつ死んでもいいや。他人から見れば恵まれた環境にいながら、そんなことを考え、空虚に生きていた。
霧子が通っていた学校では、生徒は部活動を義務付けられていたので、霧子はバスケットボール部に入った。
特に興味があって選んだわけではないが、ここでも霧子は才を発揮し、早々にレギュラーを取った。
そして、二学年の春には、エリア代表チームの選手に選ばれていた。
大東亜共和国はスポーツ事業に熱心だ。エリア代表チームに選ばれるということは、名誉だった。努力も無しに掴んだ誉れ。羨望の眼差し。
選抜チームともなれば、同レベルの選手もたくさんいたが、それでもレギュラーの一席は確保できた。
外見は順風満帆の人生に、バスケットボールが拍車をかけた。
しかし、その人生に味噌を付けたのもバスケットボールだった。
二学年の冬、選抜チームのコーチが変わり、その女性コーチから霧子は疎まれた。
彼女はチームの和を大切にするタイプの指導者だった。努力を惜しみ、チームメイトを突き放した目で見ている霧子は、彼女が作るチームには不必要だった。
そして、あっさりとレギュラーを外される。
生まれてはじめての挫折だった。痛くプライドを傷つけられた霧子は、憤りそのままに荷物を集め、合宿所から出て行こうとした。
そのとき、室田高市
が声をかけてきたのだ。
「もったいないなぁ」
合宿所のロビー、ソファに身を沈めた彼は、呟くように言った。
男子の選抜チームの多くも、美しい霧子をちやほやしていたが、高市はあまり霧子に興味がなかったようで、彼とはこのときが初めての会話だった。
高市も二年春から選抜されており、男子チームと女子チームで別とはいえ、何度も顔をあわせていたので、名前とどんな選手であるかは見知っていた。
一定のレベルをクリアしてはいるが、選抜チームのレギュラーになるには、今ひとつもふたつも足りない選手だった。
努力は惜しまないようで、自主練習をしているところを時折見かけていた。
才能もないのに無駄なことをと、当時は高慢に感じていたものだ。
「もったない?」
「うん、もったいないよ。せっかく上手いのにさ」
珍しく霧子は言葉に詰まった。
羨望の眼差しは受けなれていた。しかし、それは女子生徒からのもので、男子生徒はみな彼女に取り入るために美貌と才を褒めちぎるばかりだっただし、男としてのプライドもあったのだろう、悔しさを見せることはなかった。
比べて、高市は、あけすけに羨ましそうだった。一度レギュラー落ちしたからといって、さっさと諦める霧子が羨ましそうだった。
詰まるところ、高市は霧子を女性としてではなく、一人の選手として見ていたのだろう。
いつもならば素っ気無く返すところだったのだが、なんだかおかしくて噴出してしまった。
そして、高市と話し込んだ。
話せば話すほど、彼がバスケットボールというスポーツを愛していることが分かった。嘘偽りなく、一つの事柄に打ち込み、熱く語る彼。壁にぶつかり、もがいている彼。
容姿も中身も着飾った者ばかりを周りにおいていた霧子には新鮮な話し相手だった。
まぁ、だからといって、態度を改めることはできず、コーチに頭を下げることもできず、結局のところは体調不良を言い訳にして合宿所は出て行ったのだが。
しかし、霧子の中で何かが動き出した。
レギュラー入りして、高市にちゃんと褒めてももらおう。羨んでももらおう。そんな風に考えたのだ。
認めてもらうだとか、そんなつもりはなかった。
あの日、合宿所のロビーで見た彼の羨望は、逃げ出す霧子に向けられていた。
自尊心で塗り固められていた当時の霧子にも、それは酷くみっともないことだと分かった。
霧子が幸いだったのは、高慢でありながら、そんな自分を突き放して見ることが出来る聡さや冷静さを持ち合わせていたことだろう。
いささかずれた方向からの奮起ではあったが、霧子なりにまっとうな努力を始めた。
合宿所から所属している学校に戻ったあとは、練習に励み、チームの輪に溶け込もうと努力した。今更友達作りをする気もなかったので、チームプレイを意識するようにした。
エリア代表チームは、半期ごとに更新される。春からの代表チームの選抜にきた、件の女性コーチは、変わった霧子を見て目を見張った。
高市のようにバスケットボール自体に面白みを感じていたわけでもないし、繰り返すも、いささかずれた方向性の霧子ではあったが、それでも選抜チームのレギュラーに返り咲くことが出来た。
……その時点で高市を羨ましがらせることはできなかった。高市は、新しい選抜チームの補欠からすらも漏れてしまっていたのだ。
高市と親しかった男子チームの選手に聞いたところ、高市は試合の応援には来ると言っていたと教えてくれたので、「じゃぁ、試合のコートで活躍する自分を見て羨んでももらおう」と思い、練習に励む霧子だった。
夏の最後の試合、選抜チームは、九州ブロックで三位入賞を果たした。
高市は、コートで活躍する霧子を手放しに褒め、同時に羨んできた。試合に負けた悔しさ、いいところで先に、全国に進めなかった悔しさもあったが、願いを果たした霧子は満足だった。
外から見れば、奇妙な感情のやり取りに見えたに違いない。
熱意と努力を重ねても思い通りにならなかった高市に羨んでもらいたいという霧子は、残酷なことをしていたはずだった。
また、本来、羨望は妬みや嫉みと表裏一体なものだ。
しかし、高市の素直な性質と、霧子の悪びれることのない性質がうまくかみ合い、そこに負は生まれなかった。
今振り返ると、その頃の自分は滑稽で、おかしさを感じる。
だけど、14歳15歳なりに努力していた。才に任せて何もしない、「詰まらない、いつ死んだっていい」などと考えている、それまでの自分とは大きく違った。
おかしさは、当時も感じており、なんだかくすぐったかったものだ。
三年生は夏で引退で、高市とは接点を失ったが、彼が進むつもりだった高校のことは聞いていたので、霧子も進学希望先を同じにした。
もっと彼と近い位置にいたかった。
もっとくすぐったく感じていたかった。
恋ではなかった。高市に男性としての魅力は感じていなかった。おそらく高市もまた、霧子のことをいち選手としてしか見ていなかった。14,5にして、すでにいっぱしの女としての自覚はできていたつもりだ。高市の視線には、周りの男のような色恋も……情欲も感じられなかった。
それを、周りの人間が友情と呼ぶのならば、おそらくそうなのだろう。
霧子にとって、そのカテゴリは想い人でも友人でも何でもよかった。ただ、ひたすらに大事な人だったのだ。
高校生になることを霧子は心待ちにしていた。
高市のことを考えているときだけは、「詰まらない、いつ死んだっていい」なんてことは考えなかった。
……しかし、思い描く未来は、訪れなかった。
高市は、プログラムで、親友の陣内真斗に殺されたのだから。
−04/17−
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