OBR2 −蘇生−  


062   2004年10月01日17時00分


<鮎川霧子>


 アスマだけではなかった。アスマが「また裏切らないでね」という言葉で和を縛り付けていると思っていたが、むしろ、和こそがアスマを縛り付けていたのだ。

 炭窯に背もたれる和は満足げだった。
 幸い大きな痛みを感じてはいないようだが、出血はひどく、やがて死に至るのは目に見えていた。
 瀕死の状態、緩やかに訪れる死を待ちながらも、和は微笑んでいた。何かを成し遂げた達成感に浸っていた。
 アスマの心の皿に、罪悪感を積み続ける。積み上げられた罪悪感が重くて不安定で、アスマが必死になって平衡を保とうとする様を間近にみるのは、さぞかし気持ちのいいことだったろう。
 いや、ときには進んでアスマを手伝ったに違いない。
 アスマが偽りの心の平穏を持つ手伝いをしたに違いない。
 それもこれも、積み上げた積み木を崩す瞬間の悦楽ためだ。

 アスマを刺した後の短いやり取り。その中で、アスマは全てを悟ったのだろう。和は、アスマがその瞬間に全てを悟るよう、ずっと準備してきたのだろう。
 恐ろしいと思った。
 プログラム中、アスマに感じていた恐怖とは違う意味で、和のことを恐ろしいと思った。
 肩膝をついた体勢、両手で自身の身体を抱きしめ、震えを抑える。
 横殴りに吹き込む雨風が、霧子の束ねていた黒髪を振り乱す。束ねなおそうとしたが、強張った心が邪魔をしてうまくいかない。
 ややあって、霧子はふっと肩を落とした。
 怖い。だけど……。
 霧子は、和にいくらかの哀れみを感じ始めていた。
「逃げたいと思ったことは……なかったの?」
 訊く。
 和は、炭窯に背もたれ座ったまま、素知らぬ振りをしていた。何もかも、……生きることすらからも、興味を失っているように見える。

 そうだ。
 反応のない和を置いて、霧子は一人頷く。
 そうだ、秋里だって、逃げ出したいと思ったはずだ。

 事件の話をしたとき、和は身体を震わせていた。
 襲われ、地下室に囚われ、傷つけられた。塾の友達や講師がなぶり殺しにされるところを見せ付けられた。腐り行く亡骸に口付けさせられた。辛い辛い記憶だ。
 アスマの記憶を刺激し続けるということは、和の記憶も刺激されるということだ。
 恨みを晴らすためにアスマに張り付いていたこの数年間。一度たりとも、もうこんなことはやめようと、アスマなど捨てて記憶から逃げ出そうとは、しなかっただろうか? 
 ……いや、そんなわけがない。必ず、和は逃げようとしたはずだ。もうこんなことはやめようと考えたはずだ。
 だけど、それをアスマが許さなかった。「また、裏切らないでね」という言葉で和を縛り付けた。 
 二人は、プログラムという鎖に互いを縛りつけあった。互いに傷つけあった。互いに歪め(ゆがめ)あった。

 彼らは普段の教室では一緒におらず、アスマは高熊らと、和は仲谷優一郎と一緒にいた。だけど、時折、話している彼らを見かけることはあった。アスマが何か冗談をいい、それを受けて和が穏やかに笑うさまを見ることがあった。
 その全てが嘘だったはずはない。
 和だって、16,7の少年だ。
 心から嫌っている相手と笑いあうことができるほど、精神は完成されていないはずだ。
 無防備に友情を信じて疑わなかったアスマほどではないにしても、そこにシコリのようなものがあるにしても、アスマに友情を感じることは多々あったのだろう。
 ならば、どこかのタイミングで、呪縛から逃げることも出来ただろうに……。

 ここで、霧子は軽くうめいた。どっどと血が流れ、胸が熱くなる。雨に奪われていた体温が戻った。
 自分もそうだ、と思った。自分も、プログラムの呪縛に囚われていると思った。
 一年前、霧子にとって大事な人だった室田高市をプログラムで亡くした。高市を殺した陣内真斗を憎むようになった。真斗に恨みを晴らすことを糧に生きてきた。
 ……秋里は、同じだ。
 ふっと、考える。
 秋里和は、私と同じだった。
 霧子には、和の歪んだ熱情を責めることは出来なかった。それは、朋輩ほうばい を否定することになるから。


 気がつけば、和は目を閉じていた。
「秋里?」
 名を呼び、肩を揺らしたが、何の返りもない。
 脈を取るまでもなく、彼が命尽きたことは分かった。驚きはなかった。いつ死んでもおかしくない出血量、来るべきものが来ただけの話だ。
 その死に顔は、ことを成し遂げた充足感に満ちていた。 
「羨ましい……」
 感情そのままに口に出す。
 和のことが羨ましかった。思いを遂げた和のことが羨ましかった。和の死に顔に浮かぶ表情。それは、霧子が願ってやまなかった、その瞬間を夢見てきた表情だった。憎い陣内真斗を殺したところを思い描き、幾度となく鏡に映した表情だ。
 
 和の亡骸は炭窯を背にしていた。あの中の灰を掻き分ければきっと、種火が出てくるのだろう。
 和の心にも、憎しみの炎が絶えずあった。アスマに気づかれないよう、灰を被して隠してはいたが、たしかにあった。ときにその火が消えかかることもあったのだろう。しかし、和は種火を守り続けた。和が望む望まないに関わらず、アスマがその種火を起こすこともあった。
 霧子の中にも、ある。
 陣内真斗へ向けた憎悪の炎がある。
 そして、プログラムを経て真斗に同調ししぼんでいた殺意、消えかけてきた憎悪の炎が、蘇ってきていた。焚きつけたのは……、和だ。
 霧子は、湧き上がる感情を確かめるかのように強く拳を握り締め、一呼吸置いて手のひらを広げた。

 雨はひときわ激しく、炭焼き小屋が面した道路は、泥流の押し寄せる川になっていた。森の木々が風に煽られ、咆哮を繰り返す。
 やがて、稲妻が闇に包まれた森を切り裂き、開いた手についた爪痕が閃光の中に浮かび上がった。



−秋里和死亡 04/17−


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鮎川霧子
真斗が前回のプログラムで殺害した少年と関係があったらしい。