OBR2 −蘇生−  


060   2004年10月01日17時00分


<鮎川霧子>


 細い山道
だった。覆いかぶさってくる木の枝を払いのけながら、駆ける。霧子 だけではなくアスマと二人で和を抱え、負担を分けているとはいえ、人一人運ぶのはやはり重労働だった。下り坂であることがせめてもの救いだ。
 ぱらぱらと頬を打つ雨は次第に強まってきていた。
 地面に泥が浮き始めており、走りづらい。
 
 そのまま、5分ほど駆けていただろうか。唐突に森から出た。
 舗装された農道、そのまま下れば町に出るらしい。遠く、線路が見えた。
 農道を挟んだ向いも森になっていたが、10メートル四方ほどの開かれた土地が森よりも先に続いており、土壁の崖を背にした小屋が建っていた。
 小さな物置のようなものも併設されており、どちらも四柱の上にトタン屋根を敷いた壁のない作りだったため、中を見通せた。
 トタンと石、しっくいなど粗末な建築材で作られた母屋には窯のようなものが見え、物置には木材が積み上げられている。
 大粒の雨がトタンをばちばちと叩く音が、霧子たちの元にも届く。

 壁がないので身を隠すことはできないが、雨を避けることはできる。また、曲がりなりにも建物だ。野土の上よりは身体を休めるに適している。
 アスマも同じ思いだったのだろう、話し合うことなく、脚が小屋に向いた。
 母屋に駆け込むと同時、蒼い光が走った。
 夕刻の薄闇、空を覆う厚い雲に遮られ、光を失った建物の内部が一瞬明るくなる。ややあって落ちる雷鳴。
 
 どうやら、炭焼き小屋だったようだ。すす けた炭窯に背を預け、息を上げる。
 ディパックからタオルを取り出し、濡れた髪を拭う。
「和ちゃん、しっかりしてっ」
 アスマ の涙声が雨音にかき消される。
 布切れで上腕をきつく縛り血止めは施しているのだが、やはり素人処置でしかなく、流血は止まらなかった。 
 アスマが頬を叩くと、半ば気を失っていた の瞳がうっすらと開いた。
「アスマ……」
 幼馴染の名を呼ぶ声が弱弱しい。
「和ちゃんっ」
 アスマが安堵の表情をする。

 霧子もそっと胸をなでおろした。
 和には少なからず恩義を感じていた。
 彼らと合流したときに、和にフォローしてもらったからこそ、生きながらえているのだ。和が「鮎川さんもプログラム優勝者なんだよね?」と嘘をついてアスマの興味を引き出してくれた。あれがなかったら、おそらくアスマに殺されていただろう。
 
 と、「ぐっ」奇妙に潰れた声がアスマから漏れた。
 続く「え?」言葉。
 見やると、アスマが腹に手を当てるところだった。やがて持ち上げられた手は真っ赤に濡れている。
 腹には包丁が突き刺さっていた。そして、刺したのは和だ。
「どうして……?」
 驚愕、困惑、そして悲嘆。様々な感情がアスマの細面を色づけ、複雑な様相になっていた。

 ふっと、二重のデジャブを感じた。
 ……どこかで見た光景だ。
 ややあって、「ああ……」と息を漏らす。
 アスマから、彼の父親であった藤鬼静馬がプログラム中に友人に裏切られた話を聞いていた。残虐な殺人鬼……実際に多くのクラスメイトたちが彼の手によって悲惨な骸を晒したそうだ……にはそぐわないエピソードで印象的だった。
 いま目の前にあるのは、その話を聞いたときに想像した藤鬼静馬の顔だった。
 親友に裏切られ、驚いている藤鬼の顔をアスマはしていた。
 そして、もう一つのデジャブ。それは、つい先ほど見た陣内真斗の顔だった。
 城井智樹に刺された陣内真斗の顔をアスマはしていた。

 アスマの身体が揺らぎ、立て膝をついた。上半身が炭窯にかかり、かろうじて倒れずに済んでいる格好だ。
「なぁ、どうして?」
 和は問いに答えなかった。
 代わりに「知りたかったんだろ?」忌々しげに口を切る。
「お父さんの気持ち、知りたかったんだろ? ……良かったじゃないか。これでまた一つ……知ることができた」
 血を失い真っ青になった童顔に脂汗を滲ませながら、告げる。
 これを聞いたアスマが目を剥き、どうと音を立てて横倒しに崩れ落ちた。
 数分の間びくびくと身体を痙攣させていたが、やがてその動きも止まる。


 恐る恐るアスマの手を握り、脈を取る。
 まだ暖かいが、すでに命は抜け落ちていた。
 信じられなかった。あのアスマがこんなにもあっさりと死ぬとは信じられなかった。
 しかし、事実は事実だ。
「死んだよ……」
 言うと、和がうっとりと恍惚の表情を浮かべた。
 上半身を起こし、炭窯に背を預け、地べたに足を伸ばす。それぞれの動きがひどく緩慢で億劫そうだった。悪くしているという右足を伸ばすのにも相当の労力を使っている様子だった。
 そして、ふっと眉を上げる。
「驚かないね」
 何も返せないでいると、「いつ気がついたの?」さらに質問を重ねてくる。
 これにも答えられなかった。
 気がついていたというよりは、『これで腑に落ちた』この表現が正しいと、霧子は思う。
 ずっと引っかかるものは感じていた。しかし、アスマに対する違和感があまりに鮮烈で、和に対するそれをかき消してしまっていた。



 和の言動で、最初におかしいと思ったのは、仲谷優一郎と一緒になったときだった。
 アスマが友情に強い独占欲を持っていることは、この短い付き合いでも十分に感知できた。
 幼馴染の和ならそんなことを重々承知しているはずなのに、和はアスマの前で仲谷優一郎を大事にする素振りを繰り返したのだ。
 こんな言い方をして大丈夫なのだろうか……と、ひやりと身体をこわばらせたことをよく覚えている。
 その上で、和は自分を連れ出し、アスマと仲谷優一郎を二人きりにした。
 ……果たして、アスマは仲谷優一郎を殺した。
 和は深い衝撃を受けたかのように振舞っていたが……。

 今思えば、そもそも、一番最初からおかしかった。
 どうして自分と合流する必要があったのか。
 アスマは自分を殺そうとした。和の機転がなければ、死んでいただろう。
 助けてもらった礼を言ったとき、和は「嫌だったから。僕はアスマと友達だから。アスマが誰かを殺すところをみたくなかった……」と言ったが、そのあと、アスマが堀田竜(アスマらが殺害)や陣内真斗を襲ったときは、逆らうことなく協力していたではないか。

 ぶどうヶ丘高校に二人して入学したのだって、おかしい。
 「僕もアスマも、不思議でたまらないんだ。あんな優しかったおじさんが、アスマにとっては実の父親が、どうしてあんなことをしたのか。だから、優勝者と触れ合いたくて、ぶどうヶ丘高校に進学したんだ」
 その思いは分からなくもない。しかし、辛い記憶を刺激する場所にあえて身を投じることもないのに。
 話を聞いたときも疑問に思ったことだ。

 また、アスマの父親、藤鬼静馬の話を和はしてくれたが、どうしてそんな話をする必要があったのだろう。
 ……あの話にも色々と引っかかる部分があった。
 アスマの父親に襲われ、筆舌に表しがたい目にあった。そのときの怪我がもとで、脚を悪くし、心臓を傷めた。休学せざるを得なくなり、一年遅れた。
 そんな目にあったのに、事件のあとも、和はアスマと連絡を取り合っていたようだ。
 和の両親は、アスマとの親交の継続を快く思わなかったらしい。
 被害者の親としては当然の感情だ。

 和だって、アスマとの交流すればするほど事件のことを思い出して辛かっただろう。
 実際、あの話をしていたとき、彼は苦しそうだった。あまつさえ、発作のようなものまで起こしていた。きっと、和にとっては身を切られるような記憶なのだ。
 それでもアスマと離れようとしなかったのはどうしてだろう。
 ……それだけ仲が良かったから? 
 しかし、「なんだか、成長も鈍っちゃってさ。こんな子どもみたいな身体のまま……」あのときの和の台詞。あからさまに恨み言ではないか。 
 
 今までは、和がアスマを刺すまでは、一応の理由付けはできていた。
 アスマが繰り返した「また裏切らないでね」言葉。
 数年前の事件のとき、和たちは藤鬼静馬に襲われた。そのとき、おそらく和はアスマを置いて逃げようとした。結局は捕まったのだろうが、アスマはことあるごとにその話をちらつかせ、和が離れないようにしていたのだ。
 あのときはそう思った。アスマが和を離さないでいると思った。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 アスマだけが歪み、アスマだけが和を束縛していたのだろうか……。

 疑問体の思索。しかし、すでに答えは出ていた。



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鮎川霧子
真斗が前回のプログラムで殺害した少年と関係があったらしい。