<矢坂彩華>
城井智樹が陣内真斗に突進していくところを、彩華
は呆然と見ていた。
両手で握られた包丁が真斗の胸元に沈むとともに、低い撃発音があたりにこだまする。
二人がもつれ合うようにどうと倒れ、土ぼこりと血が舞った。追って、血の匂いと火薬の匂いが増す。
真斗が腹に受けた傷を抜き取り、襲撃者に渡した。
指輪についていた解説を読んだときからある程度予想できてはいたのだが、自分の身体に他人の傷を通すというのは、相当な不快感と負担を伴うものだった。
また、とっさの判断だったため、一度散らす余裕もなく、傷そのままに引き受け動かした。
真斗の傷を吸い取った右手から、襲撃者……秋里和だったようだ……に渡した左手にかけて、真一文字に大きな怪我を負った。身を包む作業服は血で赤黒く濡れそぼっており、土肌の地面に広がる赤い液体には、彩華自身のものも多分に混じっている。
とりあえず『アドレナリンドライブ』
を発動させ、負った傷を散らす。眩み、片膝をついた。明らかにオーバーワークだった。頭がずきずきと痛んだ。
とても、全身に満遍なく散らすことはできず、とりあえず四肢にばら撒いておく。
これは、後々傷跡として残るだろう。
女として悔しさを感じるが、すぐに「この非常事態に何を」と苦笑いした。
もちろん、注意深く、真斗と智樹の動きは見ている。
二人は真斗を下にして抱き合うように倒れ、動かなかった。
真斗は胸を刺され、智樹は至近距離から銃弾を受けているはずだ。もしや……と青ざめていると、智樹の下敷きになっていた真斗が小さくうめいた。どうやら、一瞬間気を失っていただけようだ。
「智樹……?」
仰向けに空を見上げたままの体勢で、真斗が智樹に掠れた声をかける。身体をずらすと、ずるり、包丁が地面に落ちた。
簡単に抜けるところを見ると、どうやらわき腹のときのように深く刺されたわけではないようだ。
続いて半身を起き上らせたため、城井智樹が真斗の太もものあたりに顔をうずめ倒れている格好になった。膝枕を崩したような体勢だ。
浅いとはいえ、内臓は傷つけられたらしく、ごぼっと血を吐いたので、慌てて傷口に手を当て散らした。
彩華の困憊は酷く、雑な散らし方しかできなかった。四分割ほどにして適当に彼自身の手足に送っただけなので、新たにできた傷から血が噴出す。
右腕の傷が一番大きいようだったので、そこに手を置き、さらに散らせようとすると、ばっと払いのけられた。
「おっ、俺なんかいいから!」
言葉を叩きつけるように叫ぶ。
「俺なんかより、智樹をっ」
膝を立て、城井智樹を抱きかかえ、必死の懇願をしてくる。
「あ、ああ……」
その気迫に圧されながら智樹の身体をあらためると、ちょうど心臓のあたりから血が流れていた。弾は貫通しており、背にも傷がある。
胸の傷に手を当て、『アドレリンドライブ』を発動させたところで、はっと息を呑んだ。
散らすことが出来なかった。砂を手ですくったときのように、さらさらと能力がこぼれてしまう。
察しのいい真斗のこと、彩華の顔色の変化にすぐに気がついた。
「そ、そんなっ。お、俺が、智樹を! ……ああっ。ともっ、智樹、智樹……」
狼狽を隠そうともしない。
「陣内……」
「なぁ、ダメなのか? 俺の身体に、智樹の傷、移せないのかっ?」
左腕で智樹の身体を抱いたまま、右手で彩華の胸元を掴む。
掴んできた手はぶるぶると震えていた。至近距離になった彼の顔は、大きく歪み、眼鏡の奥の切れ長の瞳から涙があふれている。
彩華が顔を背け否定の意を伝えると、「ああ……」真斗が息を吐き、首をうなだれた。浮き上がらせていた腰を地面にぺたりと落とす。
驚いていた。
日ごろから理知的な雰囲気を身にまとった男だった。プログラムで合流してからもその印象は変わらず、彼の数々の判断や閃きを見るたびに、舌を巻いていたものだ。
憎まれ口、軽口を叩いてはいたが、実は見え隠れする冷徹さに怯えもしていた。
先ほど鷹取千佳(真斗が殺害)を追い払ったと言っていたが、彩華は殺したのだろうと読んでいた。真斗は顔色も変えず、平坦に報告していた。
彩華は、その心の強さに薄ら寒いものを感じていた。
しかし、いま、友人の智樹を失った彼の嘆きは本物だった。崩れ落ちるような喘ぎは本物だった。
この男はこんなにも弱かったのかと、驚いた。
そして、ふっと、千佳を殺したことを誤魔化したのは、城井智樹のためではないかと思った。城井智樹に、クラスメイトを殺したとは思われたくなかったのではないかと思った。
数々の言動に、智樹を第一に考える質も出ていた。
しかし、その智樹に刺されたのだ。
なんて皮肉で残酷な現実だろう、と彩華は眉を寄せる。
広がる一面の血の池の中、自身の身体も血にまみれながら、真斗が泥を吐く。
「俺、篠塚を殺したんだ。滝本、真鍋も殺した。桐野成美なんかは、逃げ惑っているところを追い詰めて、殺した。……高市も。俺、一番の友達を殺した」
脈絡のない重大な告白に、唖然とする。
何のことを言っているかは、すぐに分かった。
陣内真斗はプログラム経験者だった。疑問を挟む余地もなく、腑に落ちる。
「陣内……」
やや離れた位置にたち、逃げていくアスマらを目で追っていた木ノ島俊介の口から息が漏れる。驚いた様子はなかった。知っていたのだろうか。
「……思ったんだ。井上を殺して、堀田を退けて。そのあと、思ったんだ。神様なんてものがいるとしたら、なんで、俺を裁かないんだろうって。……こ、これが、そうなのかな。友達に襲われる。これが、そうなのかな」
「なっ」
また非常に重大な告白を受け、今度は身体が硬直した。
井上って、井上菜摘っ?
陣内、井上まで殺したの? ……井上って、陣内のこと好きだったのに? はっきりアプローチしてたから、陣内も知ってただろうに? 陣内、自分を好きな女の子を殺したの?
身構え、少し距離をとる。
そんな彩華の様子に頓着せず、「……死んでもよかったのに。罰を受けて、そのまま死んでもよかったのに……。俺はまた、友達を……」涙を増す。
やるせなさ、悲しみに、真斗の肩は震えていた。
言わなくてもいい、言う必要などない重大な情報や心情を、涙とあふれる感情とともに次々に明かす、真斗。
あからさまに前後不覚になっている。日ごろの彼、合流してからの彼からは想像もつかない醜態……日ごろの真斗ならこう表現するだろう、と彩華は思った……だった。
ややあって、俊介が近づいてきて、「智樹、この学校に来る前に、好きな子に死なれたみたいだ。自殺だったんだって」小さくささやいた。
「え?」
彩華の反問を受け「石、握って」と続ける。
俊介から預かっていた『フォーンブース』
の中継器になる鉱石の欠片を握り締める。身に着けていれば声は届くらしいが、鉱石のかけらを握ったほうが通りがいいそうだ。
真斗に聞かれたくない話なのだろうか。
ぴりぴりと後頭部にうずきが生じ、頭の奥で俊介の声が響いた。
「操られたあと、陣内の腹を刺したあと、優勝して、その子を生き返らせることができたら、って考えたみたいだよ。生き返らせて、どうして死にたくなったのか、どうして相談してくれなかったのか聞きたかったみたいだ」
「そう……」
「混乱もあったんだろうね、それで誰彼構わず襲ってしまった。……出来るはずないのにな、この会場で死んだ者ならともかく、そんな昔に死んだ人を生き返らせることなんて。……瞬間のことで、すぐに陣内を襲ったことを後悔してた。本意ではなかったんだ。誰でも持ってしまう感情の波に、呑まれただけだったんだ」
「どうして、そんなことを?」
内容よりもまず、智樹の胸のうちを伝えてこれる俊介に疑問を持った。
『フォーンブース』は頭の中でやりとりする電話のようなものだと聞いていた。あの状況で、城井智樹が俊介に思いを伝える余裕が果たしてあったのだろうか。
彩華の疑念に、「ごめん、能力の説明、嘘ついてたんだ」俊介が答えた。
「なっ」
驚き、声を上げる。
「この指輪は、一番強く思ったことが伝わる能力なんだ。」
「一番強く……」
「人って、同時に脈略なく色んなことを考えるからね。そのうちの一番強く思ったことが伝わるんだよ。これは、能力者、俺も同じだから、俺も気をつけないと、思ってることが伝わっちゃうんだけどね。まぁ、これを伝えよう、って思ったことが結局一番強くて、それが掬いあげられるから、電話のようなものだと思ってもらってても、違いはないんだけど」
俊介をまじまじと見つめる。
切り詰められた薄茶の髪、とび色の細い瞳、サッカー部で外で運動しているわりに白い肌。全体に色素の薄い顔立ちだ。
その口元はきりりと引き締まり、何かしらの決意が見えた。
「智樹は鉱石のかけらを握ってなかったから、ちゃんと伝わってこなかったし、切れ切れに流れてきた感情だったけど……。伝わってきたことを繋ぎ合わせたら、さっき言ったような事情だったって分かった」
「どうして……」
どうして、そんなことを私に話すんだ?
最後まで伝えようとはしなかったが、感情として伝わったのか、それとも、単に続きを読まれたのか、俊介は正確な解答をした。
「俺、行くから。鮎川のあとを追うから。だから、陣内が落ち着いたら、矢坂の口から陣内に伝えてあげて。それで陣内も、少しは救われるだろう」
俊介は、壊れた声色で智樹の名を呼び続ける真斗にそっと目をむけた。哀れむような表情だった。続いて、智樹の亡骸に手を併せ、軽く頭を振ると、地を蹴って駆け出していった。
*
しばらくの間をおいても、真斗の狼狽はとまらなかった。
つい先ほどまでの冷静さと比較しなくとも、嘆きと混乱の深さが手に取るように分かり、彩華はそっとため息をついた。
知らず知らずのうちに身体が動いていた。
ゆるやかに手を伸ばし、子猫のように震える真斗の肩に触れる。びくりと肩を上げたが、拒否はしてこなかったので、そのまま後ろから抱きしめた。
大きな罪を負った背中だった。その罪を真正面から受け止め、苦しんでいる背中だった。
彼は間違いなく罪人だ。
人殺しが許されるプログラム。
ルール上は全く問題がないのだろう。しかし、少なくとも彼自身が、自分のことを咎人だと考え、悔いている。
……なら、殺さなければいいのに。生き残ることを選ばなければいいのに。
ふっと考え、そして、考えてしまったことを恥じた。
抱きしめた身体は思いがけず華奢だった。……まだ少年なのだ。と、20歳の彩華は思う。真斗よりも少しだけ長く生きている女として、思う。
魂が抜け落ちそうな真斗の悲痛な嘆き。
しかし、彼の身体は確かに熱を持っていた。そばに横たわる城井智樹とは違う。冷たくなっていく亡骸ではない。
汗の匂いと泥にまみれた血の匂いがした。嘆き悲しみ、己を責める、涙の匂いがした。
不意に、その匂いと、弱さと強さを併せ持った背に、愛おしさを感じた。
罪から逃げない潔さを眩しく感じた。そして、これが彩華らしいところなのかもしれないが、彼を抱きたいと、彼に抱かれたいと思った。
初めは、彼の頭の良さや、この非常時でも理性を保てる精神力に惹かれた。
いや、口ではそう言っていたが、実際のところは、単なる興味に過ぎなかった。しかし今は、彩華は、彼の弱さに確実な愛おしさを感じていた。
がらあん! 低く雷鳴が轟き、彩華の頬に大粒の水滴が落ちてきた。
雨が降ってきたようだ。見上げると、枝葉の隙間から濃灰色の空が見えた。押し迫る夕闇に答えるかのように、木々が風にざわめき始めている。
朝方の霧のような雨とは明らかに違う。
……嵐が来そうだ。
続けて、思った。
やがて降りしきる雨が、彼の罪と血を洗い流してくれればいいのに。
−城井智樹死亡 06/17−
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