<陣内真斗>
千佳の死によって能力の効果が消えたのだろう。真斗
の身体を蝕んでいた悪寒や熱が抜けた。手足にでていた赤黒い発疹も次第に薄らいでいった。
替わりに真斗を覆うのは、最大の禁忌を犯したことに対する罪悪感。
震えだした自身の身体を両手で抱きしめ、乱れる呼吸を浅く刻んで落ち着けた。
朱に染まって倒れる千佳の亡骸に一礼し、彼女のディパックを緩慢に漁った。
簡易医療キッドや半分ほどに減った飲料水のボトル、乾パンが入った箱。指輪や銃の取り扱い書もある。
指輪の説明書きをざっと流し読んだところ、おおよそ真斗が推察したとおりの能力だった。
戦利品だ。ありがたく貰い受けようと、中身を戻したディパックを担ぎ、立ち上がる。そして、はっと息を呑んだ。
荷物を持って帰ったら、智樹に、彼女を殺したことがばれてしまう。
即座に、何を今更と考える。
だけど……。
「ああ……」
先ほど千佳のものとよく似た喘ぎを漏らし、真斗は彼女のディパックを持ち上げた。
迷う。
銃、指輪、各種の支給品。あればそれだけ、これからの戦いが有利になる。持って帰るのは当然の判断だ。それに、襲ってきたのは彼女だ。プログラム。やるかやられるかの、この状況、相手を返り討ちにして何が悪い。
前回だって、今回だって、そうやって生き延びてきているんだ。
……そうだ、何も殺したと言う必要はない。鷹取を追い払ったと言えばいい。
腕時計を見ると、午後4時だった。
……あと、二時間。次の放送まで二時間。逃げた彼女が、他の誰かに殺されてもおかしくないだけの時間の猶予もある。
大丈夫、大丈夫……。
暗い沼を見つめ、真斗はそっと息をつく。そして、鷹取千佳のディパックをゆるやかに投げ入れた。
ごぼごぼと音を立てて、沼の底へと沈んでいくディパック。
真斗の理知がこの行動は間違いだと告げる。しかし、智樹に、殺人者だとは極力思われたくなかった。智樹の前では、殺人者ではなく、死に怯える普通の生徒でいたかった。
バックを落としていったと嘘をつくことも考えたが、持って帰ったら、それだけ疑念を増すことになる。彼女の銃も取り上げることはできなかった。小銃なのでポケットに入れて隠すことは出来るが、使うときには結局ばれるのだ。
*
真斗が洞窟に戻ると、三人は起き上がっていた。肌を覆っていた発疹も見えない。能力の影響は解けたようだ。
先んじて、「鷹取千佳だった」と告げると、「やっぱり鷹取か……」彩華が表情なく頷く。
「どうなった?」
俊介に訊かれたので、「追い払ったよ。……でも移動したほうがいいな。いつまた襲ってくるか分からない」さも最初から殺すという選択肢がなかったかのように、答えた。
智樹の反応はどうだろうと、彼のほうを見やる。
と、わき腹のあたりに鈍い痛みを感じた。
「え?」
腹を確かめた手にぬめった感触が走る。
戸惑いながら視線を下げると、包丁が刺さっているのが見えた。
「な……」
そして、その包丁を握っているのは、真斗を刺したのは、智樹 だった。
最初に感じたのは衝撃だった。次いで、右わき腹がかっと熱くなった。そして、最後に鈍い痛みに襲われた。左手で痛みの先を追うと、ぬるりとした感触が走る。
「え?」
意図なくこぼれる疑問符。
下げた視線の先には、片手で握られた包丁があった。さほど力は込められてなかったらしく、刃全体が真斗の身体に飲み込まれたわけではなかったが、それでも大きな傷には違いはない。
そして、その包丁を握り締めているのは智樹だ。
……ああ、ほら、危ないよ。
智樹、お前はぶきっちょだから、そんなもの持ったら怪我をするよ。
こないだの美術課題の彫刻でも、手のあちこちを傷だらけにしてたじゃないか。……そういや、秋里と仲谷は上手く作ってたなぁ。さすがに美術部だけのことはある。……仲谷は時間がかかったみたいで、期限よりも一週間も遅れて、美術の先生に渋い顔をされてたっけ。でも、時間をかけただけのことはあるできばえだったな……。
「陣内!」
彩華
の金切り声ではっと我に返った。
智樹に刺された!
そんな馬鹿な、と思い直すが、現実は変わらない。腹の痛みも、ぬめった血の感触も、消えなかった。包丁片手にびっくりしたような顔をしている智樹
の姿も消えなかった。
……びっくりしたような?
智樹をまじまじと見つめる。
次第に智樹の表情に変化が現われた。元々大きな丸い瞳がいっぱいに見開かれ、額には脂汗が滲みはじめる。顎先ががくがくと震え、歯ががちがち鳴リ出した。
「う、わ……」
身をよじり、智樹が離れようとする。身体を引いたので、包丁がずぶりと抜き出され、傷口から血が噴出した。
智樹が不可思議な体勢になった。腰はひけているのだが、右手だけがぴんと伸び、真斗の身体から離れようとしないのだ。包丁は依然握ったままで、切っ先が揺れる。
足が揺らぎ、真斗は洞窟の横壁に背をぶつけた。手で腹を押さえているが出血は止まらない。制服のズボンがぐっしょりと血に濡れ、地面に赤い池ができはじめていた。
「何これ!」
智樹が惑いを飛ばした。次いで、「うわ、ちょっと」身体を戻し、右手を左手で抑える。
「何言ってんの! お前が刺したんだよっ」矢坂彩華が一歩後じさり叫んだ。
これに、「手っ。手が勝手に!」智樹が怒鳴り返す。
どうやら、智樹の右手が意に反した行動をとるようだった。
いい加減、この異常なシチュエーションにも慣れてきた。
壁の下面を後ろ足で蹴って前に飛び出すと、「ああ、もう、次から次へと!」一言吼え、あたりをざっと見渡した。
その咆哮で、誰かの能力によるものだと木ノ島俊介も気がついたようだ。真斗の後を追って首を左右に振り、同じように周囲を探った。
「いた! あそこっ」
俊介が指差す方向、15メートルほど先に数人の姿が見えた。みな、制服姿のようだ。
雑木林に半身を隠しているが、深沼アスマと秋里和
の姿は確認できた。
そして、後ろにもう一人女子生徒が。生き残りの生徒を思い浮かべるまでもなく、それは鮎川霧子
だった。……前のプログラムで真斗が殺した室田高市と関係があるという女。真斗のことを怨んでいるという女。
俊介の目にも留まったようだ。
「鮎川……」
彼の唇からかすかな喜びが含まれた嘆きが落ちた。
智樹から預かっていたブローニング・ハイパワーを取り出すと、彼らに向けて撃った。
銃器の類は5メートル越えると威力を失う。このプログラムでの前提条件だ。制限に阻まれて届かないことは承知していたが、別の目的があった。
果たして、狙い通りになった。
アスマらが慌てて頭をさげると同時、「あ、自由になった!」唐突な能力解除でバランスを崩し尻餅をついた智樹が、歓喜の声を上げた。
何かを操作する能力というところから、自分の『ブレイド』同様に操りに集中が必要だと読んだのだが、正解だったようだ。
突然の威嚇射撃、銃撃音に驚き、解除してしまったのだろう。
しかし、不可思議なのは、発動条件だった。
あれだけ離れているのにどうやって智樹を操作したのか。
何か禍々しい気配を感じたかと思うと、智樹の左後方に黒い楕円が現われた。空間の歪み、渦。子供向けの科学本に出てくるブラックホールのイラストのようにも見える。そして、そこから、ぬっと二本の腕が出てきた。
腕が歪みの中から出てきたことで、だいたいのところを理解した。
この歪みを使って、空間をショートカットしているに違いない。
「智樹!」
注意を投げると同時、智樹を突き飛ばす。
血止めもしないまま動いているので、ぱっと周りが朱に染まった。己の血に濡れた下生えの上に足をつけ、痛みに、ぐううと呻く。
智樹は突き飛ばされ仰け反った拍子に空間の歪みとそこから出た腕を目にしたらしく、驚愕の声を上げた。
「何これ!」
智樹が叫ぶと同時、黒い歪みがすっと消える。
「二人組だっ」
接触を条件に人を操る能力と空間をショートカットさせる能力の二種類だと、おおよそのところを読む。
また、先ほどの智樹の様子から見て、身体の一部分だけで、意思までは操れないようだととっさに判断した。
……受けた能力はアスマの『天使の囀り(さえずり)』と和の『裏窓』
で、ほぼ真斗が推察したとおりだった。
「うわっ、また!」
再度操られたらしい。智樹が彼自身の右手に引きずられるようにして襲い掛かってきた。
智樹の後方の空間に黒い歪みが浮かんでいた。
とっさに両腕を胸の前でクロスし、包丁の切っ先を受ける。智樹の抵抗の賜物か、力が入っていない。軽く切るにとどまった。
ここで、唐突な疑問がわいた。
……どうして智樹ばかり? 最初はともかくとして、今は自分が銃を持っていることは相手にもしれている。なら、操るべきは自分だろう。
困惑しているうちに、彩華が智樹と真斗の間に割って入ってきた。
「うらあっ」
20歳そこそこの女とは思えない野太い気合声とともに、智樹の腹を蹴り上げ、「木ノ島! 城井を抑えててっ」俊介に指示を飛ばした。
智樹が俊介に組み敷かれるのを見届け、彩華は今度は真斗の腕をぐいっと引っ張った。
黒い歪みの前まで引きずられ、傷ついたわき腹を右手で掴まれる。あまりの痛みに真斗は声も出せず、身をよじった。
「暴れんな! 我慢しろっ」
彩華の迫力に圧され、動きを止める。
彼女の左手にはいつの間にか小ぶりの包丁が握られていた。どこかの家で失敬してきたのだろう。
その包丁で、空間の歪みから出ていた襲撃者の腕に切りつける。襲撃者が慌てて手を引っ込めるやいなや、彩華は包丁を地面に落とし、歪みに左手を突っ込んだ。
右手は真斗の腹に、左手は歪みの中に。ちょうど、真斗と歪みの間に彩華が入った感じだ。
「行くよ!」
彩華が声を上げた瞬間、ずずっと何かが滑るような音が真斗の身体の中でこだまする。
既知の感触、彩華の『アドレリンドライブ』を受けた感触が走り、智樹に切られたわき腹の傷が動きだした。
今度は息を呑むような悲鳴が出た。
「こらえろ、こっちだって痛いんだ!」
「え?」
反問を返すと同時、真斗のわき腹の傷が彩華に吸い取られ、彼女の右腕からぱっと鮮血がほとばしった。
「え?」
同じ疑問符を繰り返すうちに、真斗の傷が彩華の腕を駆け上る。そのまま肩口から胸元をかすめ、移動した。血は、彼女が着ている作業服の右腕から右肩、胸元を、真一文字に辿る。そして、「うらああっ」再度の咆哮とともに、歪みの向こうに突っ込まれていた左腕に到達したかと思うと、「うわっ」離れた場所で声があがった。
見やると、アスマたちが何やら慌てている。
「和ちゃん!」
アスマが秋里和に呼びかける悲鳴が15メートル先から届いた。
遠目に、和の片腕が朱に染まっているのが見える。
そんなことも出来るのか!
驚愕し、彩華の顔を見つめた。
真斗の傷を一端引き受け、歪みの渦の向こう、秋里和の腕に送ったのだ。
彩華の『アドレナリンドライブ』
の能力は、傷を散らし治療、もしくは重要な部位に動かし攻撃、の二種類だと思っていたのだが、傷を人から人へと移動させる使い方もあったらしい。
とっさのことだったためか、前のように散らすのではなく傷のまま動かす必要があったためか、真斗の身体にも彩華の身体にもダメージは残り、ぼとぼとと血が流れ落ちていた。
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