<鷹取千佳>
斜面の上は沼地
になっていた。
背の高い古木がうっそうと立ち並ぶ雑木林。乾いて白茶けた蔦が垂れさがり、黒く粘る水をたたえた沼からも様々な植物が生い茂っている。
沼地特有のすえた水の匂いがあたりに充満し、暗い景色と相まって不気味な雰囲気をかもし出していた。空気も湿っぽく、纏わりつく感じだ。
空にも厚い雲が出てきており、先ほどまで出ていた太陽を隠してしまっていた。
「きゃあああっ」
鷹取千佳
はその肥満体を揺らしながら悲鳴を上げ続ける。
制服のスカートに、キャンプ場のスタッフパーカーという格好。沙都美に襲われたときに失禁した。プログラム会場では下着を替えることもできないので、一度濡れて乾いた下着がごわごわと気持ち悪かった。
千佳に与えられた指輪の能力は『感染(アウトブレイク)』。
真斗が推察したとおり、能力者の声を媒介として流感のような症状を周りに起こす能力だ。沙都美の『痩せ行く男』と同じく、全体に効果がある分、その発露には時間がかかる。
次第に症状は重くなり、最終的には肺炎等を起こさせて死に至らしめることもできるらしい。
沙都美の『痩せ行く男』によって命の危険に晒された千佳は、このタイプの能力の恐ろしさを身に染みていた。
そう、気がついたときには遅い、のだ。
それに、体調悪化が能力によるものだと気づいたとしても、声が媒介になっているところまでは読まれないだろう。
千佳が狙っているのは、陣内真斗と城井智樹だった。洞窟の前に座って何事か話しているのを遠目に見つけ、迷ったものの、戦うことにした。
陽気な城井智樹はともかく、陣内真斗はとても信用ならなかった。
真斗は、どこか厭世的な雰囲気を持った男だった。
仲間の井上菜摘(真斗が殺害)が真斗のことを好いており、グループとして応援もしていたが、実のところは「見目は悪くないけど、一緒にいても楽しくなさそうだな」と斜めに見ていたものだ。
プログラム開始直前、真斗と智樹が待ち合わせた会話を千佳も聞いていた。
だから、菜摘が管理棟に現われなかったとき、「ああ、陣内のほうに行ったんだな」と思った。その菜摘は最初の放送の死亡者リストに入っていた。
菜摘を殺したのはきっとアイツだ。と見当をつける。
ただ単に、死ぬのが怖かった。死にたくなかった。
沙都美の能力によって、枯れ木のようになって死んでいった舞。あんな風になるのはごめんだった。腐っていくのはごめんだった。
なら、やるしかない。
沙都美と舞の指輪は管理棟に置いてきてしまっていた。あのときは混乱を極めていてそれどころではなかったのだ。だが、幸い支給された指輪は攻撃性のあるものだし、もう一つの支給武器もワルサーPPK9ミリだった。
智樹の手に銃が見え、撃ち合って勝てるとはとても思えなかったため、まず『感染(アウトブレイク)』を使った。もし近距離戦になったら、銃を使うことになるだろう。
ふっと、沙都美の言葉を思い出す。「一緒にご飯を食べたよね?」「一緒に映画を観にいったよね」「私の部屋で何度もお泊り会、したよね。アイドルの話をした。好きな音楽の話をした。男の子の噂話。先生の話。クラスの女子の悪口。お菓子の話、化粧品の話……。千佳、言ってた。私とおしゃべりすると楽しいって、一緒にいると楽しいって、言ってた」
死に際の沙都美が命を振り絞って吐き出した言葉。「……嘘、だったのね。全部、嘘だったのね」
「嘘じゃなかった……」
断続的にあげていた悲鳴を止め、ぽつり、千佳は呟いた。
嘘じゃなかった。
たしかに、沙都美を落としいれ、リーダーの座を奪った。でも、そんなの、よくあることだ。クラスにリーダーは二人いらない。どちらかが勝ち、どちらかが負けるしかなかった。
嫌いだからやったことじゃない。……まぁ、最初リーダー取られたときはむかついたけど。
「沙都美……」
死んだ沙都美に呼びかける。
沙都美、本当に嫌いだったら、後からグループに入れなかったよ。
私、仲間のうちではあんたのことが一番好きだった。
菜摘は善良過ぎたし、舞は邪ま過ぎた。沙都美は、千佳にとってはちょうどいいバランス感覚の持ち主だったのだ。
私は、その沙都美を……。
一瞬、彼女を殺してしまったことを悔やむが、仕方のなかったことだと首を振った。
生きるために、仕方のなかったことだ。
そう、仕方なかった。リーダーの座を取るために沙都美を蹴落としたのも仕方のないことだった。
開始当初は死に怯え、身動きが取れなくなっていた。
しかし、沙都美に襲われたのがショック療法になったのか、千佳は本来の気の強さ、割り切りのよさを取り戻していた。
ワルサーPPK9ミリを左手でぎゅっと握り締める。
痩せ行く男の能力に晒されていたときに銃撃の反動で右腕を損じてしまった。折れたかと思ったが、捻った程度だったらしい。しかし痛みや腫れは依然残っているので、右手で仔細な動きは厳しい。
じんじんと痛む右腕をかばいながら、千佳はそっと汗をぬぐった。
リーダーを取るためにライバルを陥れるのも、生き残るためにみなを踏み台にするのも、仕方のないことだ。だから、私は陣内たちを殺し、生き残る。
決意を改め、さらに大きな声で悲鳴を上げようとした瞬間、近くの藪ががさりと揺れた。
「ひっ」
惑いなら銃を向けると、陣内真斗
が藪から姿を現すところだった。制服を着込んだ中背の痩せた体躯。通った鼻筋、無骨な黒縁眼鏡の向こうの切れ上がり気味の瞳。
『感染(アウトブレイク)』
によって体調を悪くしているのだろう、青白い顔をして、ぜいぜいと息を上げていた。効果が出た証である斑点も全身にでていた。古木に身を預け、やっと立っているように見える。
しかし。
「なんで!」
十分な時間、能力に晒されたはずだ。説明書どおりなら、立ち上がる気力すらもうないはずなのに。
疑問はすぐに解けた。両耳に何か布地が詰められている。
能力のカラクリに早い段階で気づかれたんだ!
驚愕し、目を見開いた。
じりじりと沼の縁に後じさり、泥の中にずぶりと手をつく。
顔色こそ悪かったが、真斗に迷いはなかった。「醜い死体を晒せ」芝居がかった台詞を吐き、そして、銃を握っていた手をすっとあげた。ドンッと撃発音がこだまし、千佳と真斗の間の地面が爆ぜる。
「ちっ」
残念そうに真斗が舌打ちし、遅れて、残忍な笑みを浮かべた。
背筋をなめあがる悪寒。
「こないでっ」
恐怖に駆られ、千佳もワルサーPPK9ミリの銃口を向ける。プログラム開始当初よりは落ち着いてきていたとはいえ、やはり経験不足だった。容易にパニックに陥り、銃を乱射する。
照準を合わせるような余裕などなかった。目を瞑り、「お願い! 一発でいいから当たって!」と心の中で叫ぶ。
腕の痛みも忘れ、あっという間に全弾を撃ちつくした。
火薬の匂いが充満する中、かちかちと空撃ちの音が響く。恐る恐る眼を開くと、宙に銃弾が浮いていた。一発一発から湯気のような煙が立っている。
ややあって、弾丸が地面に落ちた。
そのうちのいくつかが石にあたり、乾いた音を立てる。
「えっ?」
一瞬の疑問符の後、全てを理解する。
5メートル!
この島では、銃器の類は、五メートル内の距離からでないと殺傷能力を失う。
混乱と焦燥のあまり大前提を見失っていた。そして、真斗の行動の一つ一つがその大前提を使った罠であったことを悟った。
芝居がかった台詞も、残忍な笑みも、二人の間の地面に弾丸を打ち込んだのも、全て、5メートルの外から千佳を混乱させ乱射させるための計算づくの行動だったのだ。恐怖心を煽り、正常な判断能力を失わせる罠だったのだ。
全てを理解した。しかし、遅かった。
真斗が歩を進め、緩やかに腕を上げる。
黒い銃口を見つめ、千佳は「ああ……」喘ぐような悲鳴をあげた。
−鷹取千佳死亡 07/17−
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