<陣内亜希子>
業務上保健室を離れることの出来ない三田村を残し、亜希子は、ミライと遠藤沙弓とで数家教諭の後を追った。パソコンルームは誰の目に留まるか分からないと言われ、数家の席がある教務室に案内された。
入り口のドアにカードキーを通した数家が振り返り、無言で入室を促してくる。
入ってみると、片面にデスクが4つ、逆面にファイルケースや教本が並んだ棚がおいてある、10畳ほどの広さの部屋だった。
「この部屋を使っているほかの教師は今日出てきてないから、誰かに見咎められる心配は……ない」
数家がいがらっぽい声を落とした。パソコンを一台起こす。
「IDパスを他人に使わせたとばれるとまずいんだ、頼むから慎重に……」
「分かってますよ。ご協力、ありがとうございます」
これ以上ないくらいに慇懃無礼に深沼ミライが答える。
「自分はこれから会議だから……」
気になるのだろう、後ろ髪をひかれるように数家は立ち去っていった。
「じゃ、はじめましょうか」
デスクに向かいパソコンを操作するミライのとんがった背中をそっと盗み見る。分からないようにしたつもりだったが、視線を感じ取られたらしい。
「事件当時、あの人は副担任でね。……まぁ、あの通りの人ですから、色々と不快な思いをさせらたものです」
笑みを戻した表情でミライが語る。
どのような思いをしたのか容易に想像がついたので、何気ない態度を装うミライの替わりにため息をついた。
「ああ、出た出た」
キーボードを叩きながらミライが告げると、脇に立っていた遠藤沙弓が身を乗り出した。
椅子に座っているミライを亜希子と沙弓で左右はさむ格好になった。
埃のついたディスプレイ。黒バックに、丸に囲まれた桃色の『秘』の文字。いっそ滑稽なほどに、どの類(たぐい)を取り扱っているか分かる。
ミライが画面を進めると、何やら表のようなものが現われた。
「オッズ表ってやつですかね。……む、データつき」
気軽い口を飛ばし、画面に浮かんだ表を指先でとんとんと小突く。
誘われるままに見ると、確かにオッズ数値が見えた。
プログラムをレースに見立ててトトカルチョをしているという話は聞いたことがあった。実際にその証拠となるものを見せ付けられても、憤りの感情はわかなかった。
それは、一度勝利した側の人間だからだろうか。優勝者の家族として、その益を舐めているからだろうか。
真斗の項はすぐに目に付いた。
データは相当に詳しかった。心の中で順に読む。
陣内真斗:年齢・16歳 身長・173センチ 体重・60キロ 視力・1.5(眼鏡による矯正) 中学期の体育実技成績平均値・7,6(10段階) 格闘経験・無 クラスでのトラブル・特に無し……。
性質の欄には冷徹とあり、亜希子はどきりと胸を鳴らした。
特記事項として、やはりプログラム優勝経験が書かれていた。前回の殺害人数5人と書かれており、今度は息を呑む。
真斗とは、プログラムについて一切話し合っていない。
プログラムでどんな行動を取ったのか、負った傷の一つ一つの由来、何人傷つけたのか、何人殺したのか、どのように傷つけ、殺したのか。プログラム中に何を思ったのか、いま何を思っているのか、どれだけ苦しんだのか、どれだけ苦しんでいるのか……。
……優勝経験が影響したのか、真斗は上位人気になっていた。
また、プログラムに乗る予想確率の欄に8割とあるのを見、言葉を失った。
見ると、深沼アスマも上位だった。
身体能力はそれほどでもないようだが、藤鬼静馬の息子である点や、友人たちと悪さをしていた点が加味されたらしい。
予想確率は、真斗と同じ8割。アスマには、血縁からしてとの注釈がついていた。
「血縁」
吐き捨てるようにミライが言う。
「犯罪者の血。馬鹿馬鹿しい」
しかし、その苛立ちは、ミライ自身も一抹の疑いを払えていない証拠だった。
ミライの弟のアスマも、おそらくは……。それは、10代の少年にとって、恐ろしいことだろう。精神を削られることだろう。
「えと、このファイルがプログラム経過のようです」
語尾を落としつつ、ミライが告げる。
開いたファイルを見やった瞬間、ミライが「あっ」と小さく声を上げた。その理由はすぐに分かった。「深沼アスマ、高熊修吾を殺害」とあったのだ。
亜希子が慰めを言いあぐねていると、「祈る間もなかったですね……」ミライが誰に言うでもなく呟いた。
祈りという言葉に、はっとする。
そうだ、祈らなくては。願わなくては。
どうか……、どうか。
と、ここで、亜希子の身体が硬直した。
心拍があがり、顔が火照っているのに、寒気がする。手足ががくがくと震える。こめかみの辺りがきーんと痛み、軽く目を瞑った。
……どうか? どうか、生きていて? どうか、死んでいて? 亜希子は、自分が真斗に何を祈るべきか、この期に及んで未だ決めかねていた。
ふっと息をつき、目をパソコンディスプレイに戻し、経過を追う。
そして、「ああ……」と声を漏らした。「陣内真斗、井上菜摘を殺害」10数文字が重くのしかかってくる。
ミライと遠藤沙弓はファイルに見入っていた。まだ生きているかを確認しようとしているのだろう。心臓を右手でぎゅっと抑え、亜希子も続き見た。
どうか、どうか……。どうか、どうか、どうか……。
自分が何を祈っているのかも分からず、頭の中で同じ言葉を繰り返す。
「どうか……」沙弓が亜希子の言葉を口に出した。
椅子に座っているミライを左右挟んでいる片割れ、沙弓の顔を盗み見る。
真斗の元交際相手である彼女、いつもまっすぐに前を見ている彼女。彼女は、どのように祈るのだろう? そう思い、ちらと視線を動かし見た。
やはり、彼女もミライの言葉が契機になったのか、祈っている風情だ。その横顔に迷いは見えない。
どっどと、心臓の音が身体中にこだました。呼吸を浅く刻み、落ち着けさせる。両足に力を込め、倒れないように地面をつかむ。
……そして、読み終わった。
「生きて……いた」
途中経過は、6時間ごとに乗るようだ。それによると、少なくとも、正午時点では真斗は生きていた。
亜希子は、安堵のような、諦めのような、悲鳴のようなため息を落とした。
目を瞑り、開いた瞬間、自分の顔が鏡に映っていることにきがついた。洒落者の数家らしく、ディスプレイにかけられたフックに鏡を取り付けてあり、その鏡に姿が映ったのだ。
映った左右対称の亜希子は、実に複雑な表情をしていた。
と、沙弓が崩れ落ちる。
「沙弓ちゃん!」
見やると、沙弓は腰を落として座り込んでいた。沙弓の唇から、嗚咽が漏れる。
ああ、この子は真斗の生をこんなにも喜んでくれるんだ。と、ほうっと胸が熱くなった。そして、実の弟の生を迷いなく願うことの出来ない自分を恥じた。
しかし、次の瞬間。
沙弓が「どうして……。どうして!」と声を荒げた。
「沙弓……ちゃん?」
戸惑う亜希子の言葉に、「どうして、まだ生きてるのよう……」
沙弓の涙声が重なった。
沙弓の肩を抱こうとした亜希子の手がびくりと止まり、愕然と立ちすくむ。
何を? この子は何を言った?
ミライも驚いたのだろう、沙弓を凝視していた。ややあって、ミライが「ああ……」と肩を落とす。そして、唇の端をゆがめて薄く笑った。こんなもんだろう、とでも言いたげな物憂い表情だ。
遅れて、亜希子も得心いった。
そうか、違ったのか。
不思議に、心の乱れはすぐに収まった。
この子は、既に真斗を切り捨てていたのだ。
凍えるような事実が、そぐわぬ穏やかさで亜希子に染み入る。
遠藤沙弓は、既に真斗を切り捨てていた。
「どうして……」
先ほどの沙弓の言葉を、違うトーンで繰り返す。
これに、沙弓はきっと顔を上げ、「だって!」と叫んだ。
単純に、「なら、どうしてここまでやって来たの?」という意で口に出したのだが、咎められてるとでも思ったのだろうか、睨み付けられた。
さらさらの髪が振り乱れ、沙弓の頬にかかっている。伝う涙に、髪は頬に張り付いた。
「だって、怖かった!」
「怖かった……?」
「ずっとずっと、怖かった! 真斗がいつ私の前に現われるんじゃないかって、怖かった!」
彼女の剥き出しの恐怖が伝わり、亜希子の血の気が引いた。
「高校で福岡から東京に出て、やっと落ち着いたのに……。真斗がもし、また生き延びて、私の前に現われたら……。真斗とのことが、高校の友達に知れたら……」
次第に弱まっていく語調。逆に強まる涙。うつむき加減の彼女から零れ落ちた涙が、教務室の床を湿らせた。
亜希子は、沙弓が真斗の心配をしてぶどうヶ丘高校に向かったものだとばかり思っていた。しかし、それは違った。沙弓は、真斗の死を少しでも早く確かめて、安心するために、向かったのだ。
学校についてから頻繁にかけていた電話、頻繁に送っていたメール。それは、沙弓の事情を知る誰かだろう。沙弓は「大丈夫」だと、「二度も優勝するわけないよ。もう死んでるよ」と声をかけてもらうために、安心するために、電話をし、メールをしていたのだ。
しかし、その願いは届かなかった。
沙弓を責める気にはなれなかった。真斗の安否だけを気遣えない自分に、彼女を責める資格などない。
ただ、一抹の違和感はぬぐえなかった。
沙弓とは真斗を通じて知り合ったのだが、気があって時折食事にいく仲だった。彼女のことはよく知っている。心の背筋がぴんと伸びた、いまどき珍しいまっすぐな気性で、間違ったことは間違っていると言える強い少女だったはずだ。
その沙弓がなぜ……。
と、ここで思い至った。
「もしかして、沙弓ちゃん、真斗のことで何か酷い目に……?」
沙弓ははっと身構え、怯えた表情を見せた。言葉なくとも、それは肯定の意だろう。
彼女は当時真斗と付き合っていた。亜希子たちに向けられたのと同じ、もしかしたらそれ以上の嫌がらせを受けたのではないか。
真斗の姉として、申し訳ないような気持ちでいっぱいになっていると、沙弓から、予想だにしていなかった名前が飛び出した。
「鈴木……由利絵」
「えっ」
鈴木由梨絵
。
妹を、プログラムで失った悲しみを真斗にぶつけてきた女性だ。
ただし、実際に妹は失っていらしいが、プログラムは真斗のものとは別だった。怒りの矛先がたまたま真斗に向いただけだったのだ。
どうして真斗がターゲットになったのかはいまだに分からない。
狂気に触れている彼女の目にとまっただけなのかもしれない。
今は精神病院送りになっていると聞いているが、一時の陣内家は彼女の存在に悩まされたものだ。
由梨絵は、沙弓の元にも行ったのか。
亜希子は眩暈を感じた。
沙弓は、優勝者の女として好奇の目に晒され、不快な思いをし、鈴木由梨絵に追い詰められた。
本来の彼女は、少々のことでねを上げるような気性ではない。その彼女をしても耐えられないほど、降りかかった闇は濃かったのだろう。……そして、彼女は闇から逃げるために、真斗を切り捨てたのだ。
今度はしっかりと沙弓の肩に手を置いた。
「ごめんなさいね」
彼女の震えを感じながら、出来るだけ穏やかに言う。
泣きじゃくる沙弓に、真斗の家族として、亜希子はゆっくりと頭を下げた。
*
得られた情報によると、真斗は、開始早々クラスメイトを殺していた。殺したのは、井上菜摘。添付された会話ログを読むと、その菜摘という少女から真斗は告白されていた。好きだと告げられた相手を、その場で殺しているのだ。
次に、堀田竜という生徒に襲われたが、機転を利かし、退けている。
今は、友人と一緒にいるようだが、概ね前評判に沿った活躍といえよう。
菜摘を殺しているところからすると、データに書かれたとおり、冷徹にも見える。
しかし、亜希子は、前回の優勝後、病室のベッドで真斗が震えていたことを知っている。家に帰ってからは、精神的に落ち着いているように、何気ないように装っていたが、その実塞ぎこんでいたのを知っている。夜うなされていたことを知っている。
そんな真斗が好んで人を殺すはずがない。
真斗は傷ついた心を振り絞って、戦っているに違いない。
だが……。
ああ、と亜希子は肩を落とす。
だが、誰も真斗のことなど待っていないのに。誰も真斗の勝利など望んでいないのに。
かつての恋人には既に切り捨てられている。父親は死んだ。母親は怯えるばかり。そして、姉である自分も……。
懸命に戦っているに違いない真斗の姿を想像し、亜希子は顔をゆがめた。
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