OBR2 −蘇生−  


050  2004年10月01日13時00分


<鮎川霧子>


「恨みなさいとは、誰も言わない。みんな、早く忘れなさいって言う。だけど、僕もアスマも、不思議でたまらないんだ。あんな優しかったおじさんが、アスマにとっては実の父親が、どうしてあんなことをしたのか」
 霧子は、秋里和の言葉で、アスマの入学理由を思い出した。
「だから?」
「うん、だから、優勝者と触れ合いたくて、ぶどうヶ丘高校に進学したんだ」
 和はくすりと笑い、続けた。
「禁止されたんだけど、まぁ、色々やりくりして、ずっと連絡取り合ってたから。高校進学のときに相談して、同じ学校に進んだんだ。……始めは事件のことを思い出す、って両親に反対されたんだけど、ほら、うちの学校ってカウンセラーとか置いてあってフォローちゃんとしてるでしょ。そのへんアピールしてなんとか説き伏せた。もちろん、家族にはアスマが同じ高校にいることは内緒にしてるけどね」
 和の親はアスマとの親交を禁止したらしい。
 当然だ。息子を虐待し、身体に障害を与えたのだ。藤鬼静馬亡き今、憎しみはその血縁に向いているだろう。
 その感情は、真斗を恨んでいる霧子にはよくわかるところだった。

 和はいったん言葉を切って、ぼんやりと宙を眺めた後、再び口を開いた。
「高熊くんが優勝者だってことを公表してたから、アスマは嬉々として近づいたよ。話を聞いたり、彼を煽って、実際に人を傷つけさせたりしてた」
 深沼アスマが高熊修吾や堀田竜と組んで悪さをしているという噂はたしかに聞いたことがあった。
「苦しむのにね。……結局、罪の意識を感じたりとか、おじさんにされたことを思い出したりとかで、苦しむのにね。悪夢を見て、震えるのにね」

「アスマには、悪いことをしちゃってるな。って思う」
「え?」
「ぶどうヶ丘高校に進学しようかって言い出したの、僕なんだ。そうしたら、おじさんのことが分かるんじゃないかって思って。……でも、結局高熊と接触しても、誰かを傷つけさせても、分からなかった。苦しいだけだった」
 我ことのように、和は言う。
「それは、深沼のこと? 秋里のこと?」
 和は一瞬虚を突かれた顔をし、目をむいた。ゆるやかに首を振り、「僕は、正直、もうそれほど気になってないんだ。だから、ほとんど関わってない。アスマは深みにはまっちゃってる」言った。
「深みに?」
「うん、知りたい。苦しい。もうやめたい。でも、知りたい……」
 淡々とした口調で、和は続けた。

 和が口をつぐんだため、沈黙が落ちた。秋風が吹き、葉擦れの音がした。昼間だと言うのに、空気が冷たい。
「いくつか、聞いていい?」
 沈黙を霧子が破る。和が黙ったままうなづいたので、霧子は口を切った。
「どうして、高熊を殺したの?」
 プログラム開始直後、深沼アスマは高熊修吾を殺していた。
 わざわざ手を下さなくても、高熊修吾に殺させれば、それを見ていればよかったのではないだろうか。
 霧子の疑問に、和は滑らかに答えた。
「高熊くんの考えだとか、プログラムの経験だとかは、アスマは十分に聞きだしてたみたいだから、もう聞く必要なかったんだと思う。それに、高熊くんとおじさんとはタイプが違ったから。彼の暴力は、単に肉体的に痛めつけるだけだったから。……おじさんのは、もっと……」
 ストレートな乱暴者、そんな言葉が頭によぎった。
 確かに、喧嘩馬鹿とでもいうのか、高熊や堀田竜にはそんなところがあった。彼らは、腐りかけた亡骸に口付けをさせようとは、亡骸をスケッチしようとは、間違ってもしないだろう。

「深沼が堀田をあんなにも苦しめてから殺したのは、藤鬼静馬の真似?」
 せっかくの優勝者の高熊は、乱暴者ではあるが残虐ではなかった。歪んでもいなかった。では、自分自身でと考えたのか?
 そう思って訊いたのだが、和は困ったような顔をした。
「分からないんだ。真似ておじさんの心を探ろうとしているってのは、確かにあると思う。……でも、アスマを見てると、それだけじゃないような……」
 つっと首をかしげ、「でも。でもさ、アスマはああして結局のところは苦しんでいる。アスマには辛いことなんだろうけど、僕はアスマが苦しむと、嬉しいんだ」
「えっ」
 何を、と疑問符を投げる。
 霧子の疑問に、和は強い口調で答えた。
「だって、それはアスマがまだまともだって証拠だから。アスマだって普通の人間だってことの証だから。僕もアスマも怖いんだ。アスマには、おじさんの血が流れてるから……」

 和の言葉にはっとする。
 二人の思いが分かったような気がした。
 アスマは藤鬼静馬の息子だ。異常者の血。蛙の子は蛙。
 二人は、アスマは自身に、和は幼馴染に、親譲りの歪んだ残虐性があるのではないかと、心配しているのだ。

 しかし、結局のところ、アスマにもその発露はあるように伺える。異常者の遺伝子などという馬鹿馬鹿しいことは霧子は信じていない。あれは、アスマ特有のものだろう。
 それは、「それだけじゃないような」と言った和も感じるところなのだろう。
 アスマも自覚しており、抱える残虐性に苦しんでいる。
 父の心に近づきたい。近づけない。人を傷つけたくない。……本当に? 本当に、自分は傷つけたくないのか? 辛い、苦しい。知りたい。分からない……。
 アスマの心境を考えるだけで、混乱してきた。
 当然、本人はもっとだろう。深沼アスマは混沌の世界で生きている。だから、あんなにも矛盾し、不安定なんだ。そう思った。

「神様に祈れ」
「う……ん?」
「堀田を殺すとき、深沼が神様に祈りなよって言ってた。あれは何か意味があるの? ……もしかして、藤鬼静馬がそんなことを?」
 ああ、と和は小さく頷いた。
 そして、慌てて首を振った。
「えと、頷いたのは、おじさんが言ってたって意味じゃないよ。あれは……、事件のとき、僕たちはずっと、神様、神様って繰り返してたんだ。神様助けて、神様、って。言って言って、心の根っこに刷り込まれちゃった。だから、僕たちにとって『神様』って言葉は特別なんだ」
「特別」
「神様に祈りなよ、ってのは、あのときの自分に被せてるんだと思う。高熊くんたちと悪さしてたときにもよく使ってたらしいし。……神様になる、ってのは、プログラムになってから初めて聞いたけど……」
 アスマの言葉を思い出す。
 確かに、彼の台詞には『神様』というワードが多く出てくる。
「アスマは、生き死にを弄ばれた。怖い怖い思いをした。だからきっと、今度は弄ぶ立場になりたいんだ。『神様』を、祈らせるモノから、自分自身へと近づけたいんだ。……そうしたら」
「そうしたら?」
「恐怖を……感じずにすむから」

 ああ、と霧子は声を漏らした。
 一緒だと思った。プログラムに巻き込まれたほかの普通のクラスメイトたちと一緒だと思った。
 死ぬのは怖い。とても、怖い。恐怖、恐怖、恐怖。……逃れるためには? 
 ……恐怖を受ける立場から与える立場へ。殺される立場から、殺す立場へ。
 実際に行動に移すかどうかは別として、おそらくはプログラム会場にいる生徒たちの誰もが持ってしまう感情のはずだ。霧子自身も、持った。
 そう、表現が突飛なだけで、根にあるものはアスマも一緒なのだ。
 こんなにも恐ろしい話を聞いたのに、アスマの異常性を裏付ける話を聞いたのに、霧子は初めてアスマを身近に感じた。
 
 最後に、問う。
「ねぇ、どうして? どうして、こんな話を……」
「知っていて欲しかったんだ」
 和は繰り返す。「知っていて欲しかった。事件のことはみんな知ってる。僕たちが事件のときどんなに怖かったかも、みんな想像してくれてる。アスマの立場は微妙だけど、それでも、僕たちの心を、身体を心配してくれる。だけど、僕たちが何を思っているかは、誰も知らない。ずっと僕たちは口を閉ざしてきたからね」
「……」
「プログラム、特に僕はこんな身体だし、いつ死ぬかわからない。だから、誰かに知っておいて欲しかったんだ。あとは……、アスマがあんなだから、鮎川さん、あいつのことを変な目で見てたでしょ。あいつだって普通の奴なんだってことを知っておいて欲しかった……」
 一旦言葉を切り、そして表情を堅くして「でも、危ないから、注意はしてね」と結んだ。

 頷きを返す。
 その後で、ふっと、和はどうしてアスマのそばを離れないのだろう、と思った。
 神埼での事件は、和にとっては忌まわしい記憶のはずだ。アスマと一緒にいれば、事件のことを思い出す。和の両親は、和に「忘れなさい」と言っていたようだ。素直に理解できる感情だった。
 アスマと和は友達だから? ……それだけではないような気がする。 
 と、一つ聞き忘れた話があることを思い出し、疑問も同時に解決した。和は、先ほどのアスマの「また裏切らないでね」という台詞の意味を教えるといっていたが、その話が出ていない。
 出てはいないが、想像はついた。
 川原で襲われたときか、それともアトリエでかは知らないが、おそらく和は逃げられるタイミングがあったに違いない。そして、実際にアスマを置いて逃げようとした。
 結局は藤鬼静馬に捕まったのだろうが、そのことがアスマと和の間を繋ぐくさびの一つになっているのではないだろうか。
 アスマは和に依存している。
 ことあるごとにその話をちらつかせ、和が離れないようにしているのだ。単純に友情も理由なのだろうが……。


   
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鮎川霧子
前回のプログラムで真斗が殺した少年と関係があった様子。